台長コラム ときどき土佐日記

2013年5月アーカイブ

名刺の使命

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 先日、天文台スタッフの赤いつなぎのユニフォームをご紹介しました。初対面のお客さんがあった時に最初に話題になりますが、次に話題になるのが名刺です。
 いつもは、名刺が私をお客様に「紹介」してくれるのですが、今回は、私が私の名刺を紹介します。

 初対面の挨拶はいつもうやうやしく名刺の交換で始まります。名刺の交換には「作法」があるようで、特にお仕事で来られた方は実にスマートに名刺を差し出され、私の名刺を受け取ってくれます。新入社員は、社員教育の最初に名刺交換の作法を習うと聞きましたが、私は、職業柄(?)そのような「教育」を受ける機会が無かったので、名刺を無造作に差し出し、相手の名刺を無造作に受け取ってしまいます。
 実は、私は名刺の交換が少し苦手なのです。「作法」を知らないことに加えて、私の名刺が少し変わっているので、渡すのがちょっと恥ずかしく、ためらってしまうのです。

 私の名刺の表には、左上に名前と肩書き、下の端に小さな文字で1行メールアドレスが印刷されています。活字はそれだけですが、中央に仙台市天文台の矢印型ロゴ(VI=Visual Identityと言います)とその矢印の先にピンボケの赤いリンゴが印刷されています。名刺を見て怪訝な顔をされる方が多いのですが、「きれい、すてきな名刺ですね」とお世辞を言ってくれる方もあります。
daichomeishi1.jpg このリンゴの写真、上下にぶれてピンぼけなのですが、そこに注目した人は「落下するリンゴ、ニュートンのリンゴでしょう!万有引力の法則ですね」と言ってくれます。「正解!」ですが、それだけではありません。
 名刺を裏返すと、黒地に白抜きで住所と電話番号、ウェブサイトのURLが小さな文字で印刷されています。そして、たくさんの小さな白い点が見えます。印刷のムラかゴミのようですが,実は夜空の星々を表しています。しかも、実在の夏の星座が配置されているのです。中央上端の大きな白点はこと座のベガ・織姫、右下端にはわし座のアルタイル・彦星、そして左端にははくちょう座のデネブがあり、夏の大三角を作っています。仙台は七夕まつりの街・星の街ということで、七夕の星があしらわれているのです。daichomeishi2.jpg さらに、左下の隅に月らしきものが4分の1ほど顔を出しています。「これは何? この位置に月が見えることはあり得ない!」と思われた方は天文に詳しい方です。その通りですが、宇宙から見た仮想の月ということでご容赦ください。月のそばに2つの赤い点(小さな三角印)がありますが、この2点を結ぶ線を折目にして、隅の三角形を名刺の表に折り返すと、月とリンゴが重なります。つまり「月もリンゴも、地球の重力・万有引力に引かれて落ちている」ということ表した「おち」というわけです。
daichomeishi3.jpg

 「名刺を折るのはちょっとためらわれる」という方も多いようですが、しばらく前にある県の知事選挙の後に起こった、いわゆる「名刺折り曲げ事件」が思い起こされるからのようです。県知事選挙が終わり、当選した新知事が庁内を挨拶回りしているとき、新知事の当選に反対の一人の県庁職員が、知事に渡された名刺を面前で折り曲げたのです。その後、この「不作法」に非難が殺到し「事件」になったのです。私もテレビの報道でその場面を見ましたが、その「作法」に驚きました。
 ところが、「名刺の隅を折る」習慣が西洋の上流社会にあったのです。プルーストの長編小説『失われた時を求めて』の中に出てきたのですが、当時のフランスの上流社界では、パーティなどで大勢の来客あるとき、主人に会うことができなかった訪問客が名刺の隅を折って名刺受けに置いて帰る、という習慣があったそうです。本人が来たという証拠、アリバイ(現場不在証明)ならぬ「現場存在証明・出席証明」というわけです。
 私も、自分の名刺でも折り曲げることに少し抵抗がありますが、こんな「蘊蓄」を言い訳に、名刺の隅を折り曲げながら説明します。
 こうして、月もリンゴも一緒に「落ち着いた」ところで、しばし本題を忘れて、話題が名刺から宇宙へ飛び出すこともあります。

 ここで、この名刺のデザインと天文台の使命・ミッションとの関係を説明しなければなりません。仙台市天文台では、施設の使命・ミッションをできるだけわかりやすい言葉で表そうと考え「宇宙を身近に」という言葉を選びました。天文台のモットーです。実は、この名刺も「宇宙を身近に」するためのツールになっているのです。

 名刺は本来「氏名」という情報を伝えることが使命ですが、私の名刺は本来の使命を「忘れて(?)」、「宇宙を身近に」という天文台の使命・ミッションを伝えようとします。そのためには、私が説明したように名刺を「紹介」しなければなりません。しかし、名刺の交換は短時間で終わり、「ヘンな名刺」という印象を与えただけで終わってしまうことが多いようです。
 ということで、今回は、私の名刺を詳しく紹介しました。これで、名刺はめでたく使命を果たすことができたと思います。

 ふだん名刺が話題になることはあまりないと思いますが、仙台メディアテークの館長・鷲田清一さんが「おしゃれな名刺」と題してすてきなエッセーを書いていらっしゃいます(『新編 普通をだれも教えてくれない』ちくま文芸文庫)。名刺から見えてくるその人の生き方や人と人のつながりを語っていらっしゃいます。名刺から広がる「人の宇宙」が見られます。一読をお勧めします。