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日時 : 2012年2月4日(土) 16:00-17:00 ※いつもの時間とは異なりますのでご注意ください。
場所 : プラネタリウム ※いつもの会場とは異なりますのでご注意ください。
料金 : 無料(整理券が必要。9時-インフォメーションカウンターにて配布※270枚)
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トワイライトサロンのテーマは毎週変わります。
<過去のテーマ>
2012年
第175回/01.28 「食変光星・アルゴル-悪魔の星の謎を解く」
第174回/01.21 「宇宙と地球とニュートリノ」
(東北大学ニュートリノ科学研究センター・丸藤祐仁氏)
第173回/01.14 「天文食入門」
(北海道大学・長谷川俊雄名誉教授)
第172回/01.07 「2012年の天文現象」
第9回<後編>まこと(天文学者)→こうじ(詩人)へ
仙台七夕がやってきましたが、先月七夕の頃、東京に出張したときに時間があったので、東京竹橋にある東京国立近代美術館を訪ねました。
仙台市天文台は博物館登録施設、国に博物館として登録されています。天文台に勤めるようになって、博物館・科学館・美術館などを訪ねるのも仕事になりました。
東京国立近代美術館ではクレー展が開催中でしたが、常設展示では近代日本絵画の代表的作品を見ることができました。
常設展示ではガイドツアーの案内がありました。天文台でもスタッフが展示ガイドや解説などをしているので、参考になることがあればと思い参加することにしました。
ホスピタリティあふれる女性のガイドさんで、楽しくわくわくしながらツアーに出発しました。七夕の季節ということで、空や星をテーマにした作品をいくつか選んで案内してくださいました。
ガイドさんは、作品の解説をするというより、まず参加者の感想を上手に引き出して、そこに解説や鑑賞のヒントを少し加え、また問いかけをして参加者の反応を見ているようでした。ツアーが進むにつれ、参加者からさまざまな感想や意見が出され、見る目も変わってくるようです。30分ほどの短い時間でしたが、楽しいひと時を過ごしました。
このガイドツアーで、一枚の絵に思いがけない再会がありました。それは、太田聴雨(1896−1958)の「星をみる女性」(1936年)です。
五人の和服を着た若い女性が大きな屈折望遠鏡を囲んでいる絵です。切手(1990年)にもなった絵ですが、切手では右側の女性1人と望遠鏡の架台・ピラーがトリミングされていました。実物は273×206cmの大きなもので、細部まで良く見ることができます。
日本画で和服の女性と天体望遠鏡、想像しにくい取合わせですが、静かな調和があります。太田聴雨は「描かれた女性は『悠久的なるもの』への思慕を表現する為に私が仮に託した映像に過ぎない」と述べているそうですが、私は日本版ムーサ、ミューズの女神と解釈しました。ミューズの女神たちが集うところがミュージアムです。
特に私の目を引いたのは、望遠鏡を覗いている女性の目と、その望遠鏡です。望遠鏡は見慣れたドイツ式屈折赤道儀で細部まで実に正確に描かれています。解説によると、予想通り上野の国立科学博物館の口径20cm屈折望遠鏡でした。1931年、国立科学博物館1号館が完成した時屋上に設置されたもので、当時から観望会が開かれていたそうです。画家も観望会を見て着想を得、望遠鏡を忠実に写生したのでしょうか。
実は、私も昔(1950年代)、中学生の頃何度か上野の科学博物館の天体観望会に参加し、この望遠鏡を覗いたことがあったのです。憧れの大望遠鏡でした。今はもう使われていないようですが、思わぬ再会でした。
この絵は独立行政法人国立美術館のウェブサイトで見ることができます。
太田聴雨「星をみる女性」 http://search.artmuseums.go.jp/records.php?sakuhin=2102
皆様、大変ご無沙汰しております。こうじさんにも「交換日記」の返事を棚上げにしたままですみません。
トワイライトサロンがいつの間にか150回になっておりました。いろいろな方からお祝いの言葉を頂きありがとうございました。
もう7月も終わり、いつの間にか1年の後半に入っていました。このところ「いつのまにか」という感覚がついてまわります。時は過ぎていくのに、私の頭の中の時計は止まったままのようです。カレンダーをめくるのも忘れがちです。大震災は3月11日でした。いつのまにか年度が変わり、人事異動でもきちんと挨拶をする間もなく人が入れ変わり、遅れて新学期が始まり、暑いと思ったらいつのまにか夏が来て、もう8月です。
今年に入っていろいろな経験をしたのですが、特に大震災では大地震・大津波・福島第一原発事故、その被害の惨状、これまでに経験したことのないことでした。私の身のまわりでも、友人が津波の犠牲になったり、天文台が長期間の休館になったり・・・。
天文台は大震災後一月あまり、4月16日から、ひとみ望遠鏡関係を除いて部分的に開館しました。トワイライトサロンも毎週定期的に開催し、私自身も正常に戻ったように見えます。でも、いろいろな思いが絡み合って頭の中で散乱し被災地の瓦礫の山と重なります。なかなか解きほぐせない噛みきれない思いが積み重なっていくようです。
これまで、いろいろな機会に「この忙しい世の中、ストレスで精神が歪みがちです。ときには天文台に来て正気を取り戻してください」などと言っていたのですが、今その自分の言葉を思い出しながら私も「正気」を取り戻そうと努めております。
たくさんの方からお見舞いや励ましの言葉を頂きました。大震災の混乱の中、まだ十分にお礼を申し上げていないような気がしてなりません。本当にありがとうございました。
今日はここまでにします。
第7回<前編> こうじ(詩人)→まこと(天文学者)へ
まことさん、こんにちは。
「秋は、忘れていたものを思い出す季節」ほんと、そうですね。
実は今年になって、引っ越しを計画して、ちょこちょこと進めてきたのですが、あの猛暑のせいで、なかなか捗らず、ようやくこの2ヶ月くらいで片づけを再開しました。そうなるとどうしても自分の過去のものと向き合わなきゃいけなくて、それはそれで、立ち止まってしまいます。
過去を振り返るのは、僕の得意技でもあるのですが(過去にはなにかあるのではないかと、つい思ってしまうのです)、さすがにこれではいけないと思い、いろいろなものを片っ端から、捨てています。
中でも、大量のカセットテープが出てきた時は、ほんと途方にくれました。もちろん、音楽を録音したものもたくさんあるのですが、自分のラジオ番組を録音したものがたくさん出てきたのです。それは記録としてはちょっとは貴重かもしれませんが、再生する機械を持っていないので、聴くことはないと思うと、なんとも言えない気持ちになりました。
今は、ラジオの収録はもちろん、作品などもすべてデータです。わずか数年とはいえ、自分の仕事の中にもいろいろ変化していることはあるんだなぁと思いました。
カセットテープ、やっぱり捨てようかなと思っています。
今、ぼくの部屋は宇宙をひっくり返したみたいになっています。
無事に片付いたら、ぜひ、遊びにきてください。
☆
「秋の月」と「春の月」の歌の話、おもしろいですね。歌自体の味わい方も違いますが、そもそも同じ月なのに、季節によって、違うものだと感じるのが、とても不思議です。もちろん、それは月だけじゃないけど、やはり月の存在感は別格だなとこれを書きながら、夜空を見上げ、実感しています。
ぼくも以前の作品の中で『月は表情を変えたりするけど もうずっとそこにいる』と書いたことがあります。その時は、表情を変えるのは月ではなく、自分、もしくは自分の心(感情)の方ではないかと、とても悩んだのを覚えています。そして、さんざん悩んだ末に、そのフレーズにしました。それは、今の自分ではなく、子供の時に月をみて思ったことをそのまま書こうと思ったからでした。
...望遠鏡で月を見たことないです。というか、こんなに連載したり、ライブに行っているのに、天文台で望遠鏡から空を見たことがありません。なので、今度ぜひ見てみたいです。いろいろ教えてください。
ぼくは子供の頃、自分が大人になる頃には、月に行けるようになっていると勝手に決めつけていました。それだけじゃなく、わからないことのほとんどがわかるようになっていると思い込んでいました。で、実際、大人になってみると、月に行けるどころか、すぐそばのことすらもわかっていません。これは一体どういうことなのでしょう。。。
☆
話はちょっと変わりますが、最近ひょんなことから、JAXAの笠原さんという方と知り合いました。そして、何回かメールのやりとりをして、東京に行く用事があったので、神奈川県の相模原にある宇宙科学研究所に行って、お会いしてきました。
メールのやりとりはあったものの、初対面でしたし、宇宙科学研究所ですし、予定があったので時間はあまりないしで、かなり緊張しましたが、とても刺激的で楽しい時間でした。
最近は天文台に行ったり、この連載があったりと、ぼくの中で星や宇宙はちょっと身近なものになった気がしていたのですが、またしても、果てしない物語の入り口を見た気がして、心がフワフワしました。
でも、まことさんや笠原さんと話していると、自分が詩人という生き方を選んだことが当たり前のように思えてくるのです。どうしてか、わからないのですが...。
特別に「あかつき」から見た地球と月の映像を見せてもらいました。ぼくはこの星に住んでいて、この月のことを詩に書いているんだな、と思うと、とても、とても神秘的な気持ちになりました。
☆
「だいちょう過敏症」の話、おもしろいですね!ぼくは「こうじ過敏症」ではないけど、飼っている犬の名前が「ミルク」なので「ミルク過敏症」かもしれません。テレビを観てて「ミルク」と聴こえたりすると、つい反応してしまいます。ミルクも時々反応します。聴こえているのかな...。
確かに、自分のことを名前で呼ぶことはないですね。(女性はそういう方いますね)でも、ぼくは「これは武田こうじかな」とか「武田こうじじゃないかな」とか考えたりはします。で、そんなことを気にしている時の仕事や活動は、ロクなことにならないことが多いです。つねにオリジナルでいることは、難しくもあるし、簡単でもあります。
あー、長くなってきてしまいました。『薔薇の名前』の話も興味深く読みました。映画は観たことがあったのですが、本は読んだことないので、読んでみたいと思います。
(11月13日)
第7回<後編> まこと(天文学者)→こうじ(詩人)へ
こうじさん、お元気ですが。引越し計画は進みましたか。
まことさん、こんにちは。
ほんと、今年は暑い夏ですねー。
今月になって、何回「暑い」と言ったことか...。
この暑さ、いつまで続くのでしょう。
詩集『バンスイ、トウソン ヲ、イマ ヨム。』読んでいただき、ありがとうございます!!!
文学館のイベントで、ずっとリーディングしてきた作品をまとめることができて、とても嬉しいです。
晩翠と藤村、二人の大先輩に話しかけるように、作品をつくり、詠み、まとめていきました。
それは、どこか時空を越えた、作業だったと思っています。
この作品を未来の詩人が、新たな言葉(表現)で、更新してくれたら、と願っています。
さて、前回のお返事、楽しく読ませていただきました。
(<宇宙をポケットに入れて>...新しい詩が書けそうです☆)
やはり、宇宙人に会えるのは、SFの世界だけなんですね。
だけど、なぜか、まことさんの日記を読むと、宇宙人に対する興味が増してきます。
実は、ぼく、中学生の頃、UFOを見たことがあるんです!
絶対にあれは、飛行機とか人工衛星ではないはず...だけど、なにかはわからない...まさに未確認飛行物体でした!
それからというもの、テレビなどで、UFOや宇宙人の特集があると夢中になって見ました。
ほんと、「地球人は、なぜそれほど強く宇宙人に興味を持つのでしょう」。
そう言えば、最近って、あまりそういう番組がないような気がします...ぼくが見ていないだけかな。
以前、なにかのテレビで「パイロットやNASAの人は、よくUFOを目撃している」みたい特集がありました。
ならば、宇宙のスペシャリストのまことさんは、そういうことを、どう考えているか、興味があったのです。
未知の世界はどこまでも広く、果てしない。だけど、日常の近くにいろいろな魔法があるように。
<ぼくたち以外の宇宙に暮らしている人が、ちょっと地球に寄り道しているのではないか...>
空とか見て、ふと詩が浮かんでくる時、そんなことを、たまに考えてしまいます。
どんなUFOだったか、今度会った時にでも、詳しく話しますね(笑)。
(8月12日)
第4回<後編>まこと(天文学者)→こうじ(詩人)へ
こうじさん、「残暑お見舞い・・・」と申し上げたいところですが、まだ「暑」の真っ最中ですね。若い人でも、熱中症に要注意だそうです。
宇宙人・UFO、いろいろな物語が想像できて面白いですね。UFOを低音でゆっくり発音すると夏向きの話題に聞こえます。こうじさんもUFOを目撃したことがあるそうですが、今度、その話を詳しく聞かせてください。UFOバスターになって、その正体を追求してみたいと思います。
UFOは英語のUnidentified Flying Object の頭文字をとったもので、本来の意味は正体不明の未確認飛行物体、1950年代始めにアメリカ空軍が使い始めた言葉だそうです。正体不明の飛行物体が目撃されたとき、調査しても正体が分からなかった場合にUFOとされたそうです。国籍不明の航空機やミサイルなどもUFOになるので、冷戦の時代、空軍はUFOに大いに関心があったと思われます。
どんな飛行物体でも、十分に情報があれば正体が判明しますが、情報が少ないと正体不明のUFOになってしまいます。それがいつのまにか宇宙人の乗り物を表す言葉になってしまいました。しかし、もし宇宙人の乗り物と正体が分かったら、もうUFOではありませんよね。不思議ですね。
最近は、正体がすぐには分からないもの、特に夜間の見慣れない光が目撃されると、すぐにUFOになってしまうようです。埼玉県に住む私の母が「最近、決まった時間にUFOがたくさん見える」といって見せてくれたのは、近くの飛行場に着陸する航空機の着陸灯でした。明るい光がゆっくりと下降する様子は、見慣れない人にはUFOに見えます。正体を説明すると、「なるほど!」と合点したものの、少し失望したようでした。
UFOに対して、USOと言う言葉があるのですが、こうじさんは聞いたことありますか。これはUnidentified Submerged Objectの略、未確認潜水物体で、海や湖や川などの水中にある正体不明の物体を指す言葉です。UFOが水中にもぐったらUSOになりますね。カッパやネッシーなどもUSOにはいるかもしれません。ところで、ネス湖の水面から頭を出している有名なネッシーの写真は、実は人間が作った模型だったそうです。文字通り「uso」でした。
UFOのように見えるものはいろいろありますが、よく見られる楽しいものは夕焼けの西の空を低く飛ぶ飛行機雲、珍しいものでは円盤の形をしたつるし雲・レンズ雲があります。空や雲を観察していると、とても自然のものとは思えないような面白い形に出会うことがあります。ほんとうに「雲は天才」ですね。こうじさんは面白い形の雲を見たことがありますか。
そんな風景を見ながらいろいろなことを想像するのが好きですが、やはり、宇宙人やUFOは、恣意的な目撃談や捏造された写真などより、SFやファンタジーの中で、自由にのびのびと活躍してもらうほうがいいと思います。
日頃、空を見慣れているとUFOに出会うことは少ないようですが、そうでない人にとっては、少し珍しい自然現象がUFOに見えてしまうようです。やはり、UFOは人の心を写す鏡でしょうか。
今日はここまでにします。UFOを目撃したら教えてください。
(8月26日)
※この日記は、「りらく」7月号内コラム“Astronomical Essay”と連動しています。
私が勤務する仙台市天文台では、「宇宙を身近に」を合言葉に、宇宙が身近に感じられるような施設を目指しています。「身近」というと、文字通り身の回り、近くにあって日常の生活に関係が深いこと。ところが、星や宇宙は遠くにあって、日常生活には縁の薄い存在、どうしたら身近に感じられるでしょうか。
幼少の頃、満天の星空や天の川は馴染みの風景でした。いつしか星に興味を持つようになり、夜な夜な外に出て星座を探したり、望遠鏡で月を眺めたり、宇宙が身近な遊び場になりました。そうした夜遊びを繰り返しているうちに、ふと疑問がわいてきました。「星の正体は何だろう」。そう思って星をいくら見つめてもその正体は見えてきません。身近な星がだんだん遠くなるような気がしましたが、そこから、星の正体を求める長い旅が始まりました。
やがて、星の正体は太陽のような巨大な高温のガス球で、核融合反応という原子力エネルギーで輝く天然の原子炉であることを知りました。納得できるまでにずいぶん時間がかかりましたが、いつの間にか黒板に星を表す円を描き、あたかも自分が星になって自己紹介をするように星の話をしていました。星の理解が深まって再び星が身近になったわけです。そして、私にとって星は「☆」から「○」になりました。
距離は近いのに、身近に感じられないものもあります。たとえば、元素。私たちの体は酸素・炭素・窒素など様々な元素で構成されていますが、極微の元素は目にも見えず、触れても実感できず、心理的には限りなく遠い存在です。その元素が、実は核融合反応によって星の中で作られたことを知りました。星の中で作られた元素は、星の一生の終わりの大爆発によって宇宙に撒き散らされます。そのような昔の星が作った元素を集めて太陽や地球が生まれたというのです。私の指先の炭素原子は、その昔、星の中で作られ、はるばる宇宙を旅して今ここでひと時を過ごしている、つまり、私たちは星のかけらでできていると言うことになります。このことを知ったとき、目には見えなくとも、元素が急に身近な存在になりました。近いものと遠いもの、極微なものと限りなく大きなものがつながる、宇宙の面白いところです。
満天の星や天の川は都会では見られなくなりましたが、プラネタリウムで疑似体験することができます。また、薄明の空に明るく輝く金星や細い月などは都会でも見られる風景です。少し注意していると日常生活の中に宇宙を身近に楽しめる機会がいろいろありますが、もし興味を持って深く知り、理解が深まると一層身近に感じられると思います。これは、宇宙だけでなく、音楽・美術・文学などあらゆる分野に、そして人間関係についても言えることでした。
第2回<前編> こうじ(詩人)→まこと(天文学者)へ
こうじさん、お返事ありがとう。ボクもこうじさんと呼ばせていただきます。今度はたくさんボールが飛んできたので、どれをキャッチしようか迷っているうちに、ボールを全部逃してしまいました。ボールを拾ってきます!