年度始めと六十の手習い

 少し前のことですが、今年の年頭に「2013年のご挨拶」を展示室に展示しました(仙台市天文台のウェブページでも閲覧できます。「仙台市天文台について」>「台長からの2013年のご挨拶」)。仙台市天文台の今年のテーマは「うつす」で、天文学や宇宙に関係するいろいろな「うつす」を考えてみました。天文台では、今年は「うつす」をテーマにいろいろな活動を展開します。
 
 新年は新しい計画を立てたり手習いを始めたりするチャンスですが、新しい手習いを始め、すでに成果を上げている方も多いと思います。私の場合、新年を迎え「今年こそは」と考えているうちに「新年度」がやって来てしまいました。二度目のチャンス到来ですが、もう4月も半ばを過ぎてしまいました。パソコンに「しんねん」と入力したら「信念」と変換され、私の信念が問われているようで、パソコンの画面をナナメに見たりしています。

 実は、私にも毎年「今年こそ、今年度こそ」と思うことがいろいろあります。家族や友人に揶揄されることを恐れて秘密にしていますが、同時に浮かぶのが「今さら」と「六十の手習い」という言葉です。(後が続かなくなるので、「今さら」はちょっと棚上げにしておきます。)

 「六十の手習い」は、学問や習い事をするのに年齢制限はない、何歳になって始めても遅すぎることはないという意味が込められていて、「六十」は「七十」でも「八十」でもよいということです。心強い言葉ですが、そこで思い浮かぶのは白洲正子さんが、友人から聞いたという言葉です。「六十の手習いとは、六十歳に達して、新しくものをはじめることではない。若い時から手がけてきたことを、老年になって、最初からやり直すことをいうのだ」(『私の百人一首 愛蔵版』新潮社)。そこで、白洲さんも、若いころから親しんできた百人一首を改めて考えてみたい、ということでした。 

 話が長くなりそうですが、ここまでが「話の発端」です。

 「六十の手習い」の続きですが、私は1944年生まれ、いつの間にか60歳台後半、シニアと呼ばれる歳になりました。そこまで「長生き」すると、今となっては役に立たないモノがたくさんたまりました。そろそろ身の回りのモノを整理しておかなければと思うのですが、そんな中で処理に困るのが本です。

 古い本から整理しようと思うのですが、むかし苦労して勉強した本や、大きな出費に懐を痛めて買った本などは簡単には「整理」できずにいます。そんな本をパラパラ開くと、難しくて歯が立たずに途中でギブアップした本が、今読むと意外にスラスラ理解できたり、意味が分からずつまらないと思っていた本が、今読むと意外に面白かったりします。ということで、処分するつもりだった古い本を段ボール箱から掘り出して本棚に並べ、再チャレンジするつもりになっているのです。

 そこで改めて白洲さんの「六十の手習い」を考えるのですが、「若い時から手がけてきたこと」だけでなく「若い頃トライしてギブアップしたこと」を追加したくなります。

 天文学や宇宙に興味を持つ人は多いようですが、実生活からは少し距離があるようです。時々、自分も天文学が好きで天文学を勉強したいと思ったけれど、天文学では食べていけないのであきらめたとか、大学で物理学を学んで天文学を学びたいと思ったが、天文学のコースが無かったので学ぶことができなかった、というような話を聞きます。天文学に限らず、若い頃トライしたいと思ったけれど、あるいはトライしたけれど、「諸般の事情」であきらめたという話はよく聞きます。

 「六十の手習い」は、いずれ再チャレンジと思っている方、忘れていたそんな気持ちを思い出した方に再チャレンジを呼びかける言葉のようです。始めるのに年齢も時期も関係なし(年始も年度始めも関係なし)、思い立った時がチャンスというわけです。

 現代の天文学は、400年前にガリレオが望遠鏡を宇宙に向けたときに始まるといわれます。そのときのガリレオの発見は、小さな望遠鏡や自作の望遠鏡で追体験することができます。

 現代の天文学は、物理学を基礎とすることから天体物理学と呼ばれますが、その基礎は、19世紀から20世紀にかけて、物理学と技術の進歩によって築かれました。そのとき天体観測で活躍したのがひとみ望遠鏡と同じ程度の口径1-2 メートルの天体望遠鏡です。

 物理学を学びながら、ひとみ望遠鏡で観測し、観測データを物理的に分析すれば、現代天文学・天体物理学の発展を自ら追体験することができます。むかし物理学を学んで、天文学にも興味があった、天文台がそんな方の再チャレンジの場になったら面白いと思っています。