2010年5月2日にはじまったこの交換日記も、今号で最終回。ぜひ、バックナンバーも含めて、二人のやりとりをお楽しみください。
第14回<後編> まこと(天文学者)→こうじ(詩人)へ
こうじさん、詩をありがとう。楽しませていただきました。最後の返信になりましたが、長い間お付き合いいただきありがとうございました。この交換日記を通じて星や宇宙への関心が深まったということでうれしく思います。僕もこの日記を通じて言葉や詩についていろいろ考える機会があり楽しい経験でした。特に、若い頃の詩との出会いや体験を思い出し、長いこと開いていなかった詩集を取りだしたりして、思わぬ発見をしました。
昔から、詩はなんとなく近づきがたいと思っていたのですが、振り返ってみると、意外に詩と仲良くしていたことに気がつきました。最後に、少し長くなりますが、思いだしたことをお話しさせてください。
まず思い出すのは、前に少しお話ししましたが、中学校の国語の時間に読んだ島崎藤村の『初恋』です。「まだあげ初めし前髪の/林檎のもとに見えしとき/前にさしたる花櫛の/花ある君と思ひけり」と美しい言葉とリズムで始まります。思春期が訪れた年ごろで、友達と暗唱して何度も口ずさみましたが、言葉の意味をいちいち問う好奇心豊かな友がいて、一緒に考えながら頬を赤くした覚えがあります。日常から離れた未知の世界に誘われているように感じましたが、僕には、その頃知った「宇宙への誘惑」と相通じるものがありました。
同じころ読んだ石川啄木の『一握の砂』も記憶に強く残っています。「東海の小島の磯の白砂に/われ泣きぬれて/蟹とたはむる/頬につたふ/なみだのごはず/一握の砂を示しし人を忘れず」で始まる長い詩です。友だちと校庭の砂場で砂を握り、「一握の砂」などと言ってオヤジ・ギャグを先取りしていましたが、詩の響きに、遥か彼方の美しい少し寂しい砂浜が思い浮かび、そこに運ばれていくような心地がしました。しかし、この詩は作者の深刻で切実な心情を歌ったもので、それを知ったのはずっと後のことでした。
やがて、故郷を離れて仙台の大学に入学し、悩み多き青春時代になりますが、その頃強く印象に残っている詩が中原中也『曇つた秋』の2番目の詩です。
猫が鳴いてゐた、みんなが寝静まると、
隣の空地で、そこの暗がりで、
まことに緊密でゆつたりと細い声で、
ゆつたりと細い声で闇の中で鳴ゐていた。
あのやうにゆつたりと今宵一夜を
鳴いて明さうといふのであれば
さぞや緊密な心を抱いて
猫は生存してゐるのであろう……
あのやうに悲しげに憧れに充ちて
今宵ああして鳴いてゐるのであれば
なんだか私の生きてゐるといふことも
まんざら無意味ではなささうに思へる……
猫は空地の雑草の蔭で、
多分は石ころを足に感じ
その冷たさを足に感じ
霧の降る夜を鳴いてゐた……
秋も深まった頃、下宿の窓から夜霧に煙った空を何となく見上げていた時、ラジオの深夜放送でこの詩の朗読が流れてきました。当時、僕はいわゆる苦学生で、アルバイトに疲れて勉学も思うようにはかどらず、将来の見通しもたたない状況で、科学者を目指したもののこのまま挫折してしまうのでは、そんな心細い心境にこの詩が深くしみ入りました。
この詩は、河上徹太郎著『日本のアウトサイダー』 (中公文庫)の最初に「必ずしも傑作ではないが、心境の歴然たるものがあり、挙げたくなった。」と紹介されていましたが、僕の心境にも強く共鳴するものがありました。当時、英作家コリン・ウィルソンの『アウトサイダー』(紀伊国屋書店)という本が日本語に翻訳され話題になっていましたが、河上徹太郎の本のタイトルはこの本から借りたものということです。当時、天文学では食べてはいけない、天文学を勉強する者は変わり者とされた時代で、天文学を目指す自分を社会からはみ出したアウトサイダーのように感じていたようです。
今でも、野良猫を見るとこの詩が思い浮かぶことがありますが、暖かい布団の上でぬくぬくとしている我が家の老猫タマを見ると、いささか緊張感の緩んだ私自身を見るようで身につまされます。
僕は、一度読んだり聞いたりした本や音楽、作家や音楽家を勝手に「友だち」にしてしまうのですが、友だちになりたいと申し出た詩人がいました。八木重吉は、詩『秋の瞳』の「序」でこう話しかけてきました。「私は、友が無くては、耐えられぬのです。しかし、私にはありません。この貧しい詩を、これを読んで下さる方の胸へ捧げます。そして、私を、あなたの友にして下さい。」ということで八木重吉の「友だち」になりました。手元に『定本 八木重吉詩集』(弥生書房)があるのですが、時々手に取ってぱらぱらと頁を開いて数行読み、友達とひと言ふた言ことばを交わして挨拶するようにして本を戻します。ただ、時に数行の言葉に胸に迫るものを感じ、時間が止まることもあります。
「大学院で天文学を学んでも就職口はありませんよ」と教授に念を押されて大学院に入学しましたが、その頃であった詩がW.H.オーデンの「見るまえに跳べ」(『オーデン詩集』深瀬基寛訳、せりか書房)です。この詩は、大江健三郎の短編小説『見るまえに跳べ』を読んで知ったのですが、大江の小説は性的な表現が多くて僕には刺激が強すぎましたが、タイトルになった「見るまえに跳べ」というオーデンの詩のタイトルはいつまでも記憶に残りました。僕は用心深い優柔不断な性格で、行動する前に考えてしまうところがありましたが、時々「見るまえに跳べ」という内なる声を聴くことがありました。学生時代の困難な状況を思うと、僕が天文学を学ぶことにしたのも「見る前に跳んだ」ということかもしれません。
後に、教員になって、学生に「よく考えてから行動するように」と「指導」することが多かったのですが、「いずれは跳ばなければならない」ということも伝えたいことでした。
青春時代は「道に迷ったり、胸に棘さす」ことが多かったのですが、その頃の楽しい詩体験があります。NHK-FM放送の「詩と音楽」という番組です。毎日放送された早朝の番組ですが、マントバニーオーケストラのストリングスによる「朝日のようにさわやかに」という曲で始まり、音楽を背景に朗読家・幸田弘子さんのナレーションと詩の朗読があるものです。毎朝、布団の中でこの番組を聞きながら、二度寝、三度寝しながら、番組が終わる頃に目を覚ましました。幸田弘子さんの独特の声が魅力的でした。今も、こんな番組があるといいのですが・・・。
(ここで一休み)
古い話が続いたので、現代にジャンプします。
先日『仙台本のはなし』(荒蝦夷)の「仙台ゆかりの101人が選んだわが人生の1冊」という企画で本を一冊選んだのですが、そのとき迷うことなく選んだのが『詩のこころを読む』茨木のり子著(岩波ジュニア新書)でした。理由は、この本の「はじめに」茨木のり子さんが書かれていることと同じ気持ちからだと思います。
この本の最後は岸田衿子さんの「アランブラ宮の壁の」という詩で終わります。「アランブラ宮の壁の/いりくんだつるくさのように/わたしは迷うことが好きだ/出口から入って入り口をさがすことも」
私も人生の「出口」に近づいてきたので、時々迷いながら過ごした人生の入口に戻ってみたい気持ちになります。そんな気持ちが、今回のこうじさんへの返事になりました。振り返ってみると、僕の人生のいろいろな経験は読書の経験と重なって記憶に残っているようです。
こうじさんは「人生の1冊」に『ランボー詩集』A・ランボー(河出書房新社)を選んでいましたね。ランボーの詩と言えば、『わが放浪』に「わが宿は大熊星座。大熊座の星々はやさしくささやき、さざめいていた。」(中原中也訳)という一節がありました。僕が仙台に来て心細い思いをしていた時、北斗七星・大熊座を見つけて、この詩のように星が歓迎してくれているように感じました。
取りとめのない話が続きましたが、こうじさんに合わせて、最後は月の話で終りにします。1月に全国科学博物館協議会の海外科学系博物館視察研修旅行に参加し、アメリカのシカゴ、ニューヨーク、ワシントンDCの科学館を見学しました。シカゴでの経験ですが、レストランで夕食を終え外に出ると、超高層ビルの谷間に月が見えました。満月を過ぎたばかりで、上が少しだけ欠けていましたが、丸いお月さまでした。異国の空で見る月はうれしいもので、思わず緊張が解け心が軽くなりました。
シカゴは道路が東西南北に碁盤の目のように走っているので、東の空に昇った月がビルの谷間に見えたのです。ホテルは南にあったので、南にむかって歩くと、交差点に来るたびにまたビルの谷間に月が見えます。信号を待つ時間も気にならず、ゆっくりとホテルに向かって南下しながら、かくれんぼをしたり、いないいないばあをして、お月さまと遊びながらホテルに戻りました。もし、僕が詩人ならこの楽しい体験を是非詩にしたいと思いました。
ここで交換日記が一段落、一区切りですね。次の新しい段落には何があるのでしょうね。楽しみに期待したいと思います。月の話で終りますが、これからも月を見ると、こうじさんのこと思い出しますよ。同じ月をこうじさんも見ているかもしれませんね。ではお元気で。
(3月30日)
第14回<前編> こうじ(詩人)→まこと(天文学者)へ

まことさん、こんにちは!
残念ですが、今回でこの連載も最終回になります。。。
この時期ははじまりの季節でもあり、なにか区切りをつける季節でもあるんですよね。
実はまことさんとの日記のやりとりから、いろいろ書いていたものがあって、いつか発表したいと思っていたものがいくつかあります。
今回は最後ということで、少し載せようと思います。
なので、ちょっとまとまりがない文章になると思いますが、お許しください。
実は、月の詩もいくつか作ってあったのですが...。
今回はまことさんの日記を受けて「月を食べる」を載せます。
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月を食べる
ビルと教会の間にある
公園を歩きながら
月を食べてみた
いつかこの病気も治るかな
そんなことを想いながら
気がついたら
いろんなものを部屋に忘れてきた
とりあえずマフラーで
できるだけ顔を隠していこう
進まないと終りだと言われる
みんなつまらないのに
大人になれる
電話は切ったはずなのに
まだ話は終わっていない
カボチャの馬車に乗って
絵文字の月を空に置こう
ぼくのはじまりにいこう
そこでのぼくは
ちょっといい奴なんだ
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日記を読み返してみると、はじまったのが2010年。2年前といえば、まだそんな前じゃないのに、ずいぶん昔のようにも思えます。}
ぼくはプラネタリウムで詩を読むようになって、宇宙や星に対する興味がさらに湧いてきました。子どもの時から、感じていたことや、不思議に思っていたことを、改めて考えたというか...。
きっと、この日記を始めた時は、素朴な疑問をいろいろと訊いてみようと思っていたんだと思います。だけど、いざ書いてみるとなかなか難しい...。
いつも何度も読み返しては、直し、最終的にはなんか、物足りないものになってしまう感じがありながら、更新していました。
そうそう、この連載はいろいろなところで話題になりました。友人、知人はもちろん、仕事などで出会った方も、よく話題にしてくれました。
その際に言い訳がましく、上記したようなことを言うと、みんな「わかる、わかる」と言ってくれました(特に男性)。
きっと宇宙や星というのは、そんな風にみんな、興味があって、いろいろ知りたいんだけど、いざ言葉にしたり、話のテーマにすると、なんか不思議に思っていたことから、ズレていってしまうものなのかもしれません。
ぼくはこの連載のおかげで、いろんな方と星や宇宙、プラネタリウムのことなどを話すことができて、刺激的でした。まさに「宇宙を身近に」ですね。
それから、まことさんはすごい読書家ですよね。まことさんの中にある宇宙に触れることは、まことさんの言葉に触れることでした。
ぼくは、この連載の間に、文学館の作品をまとめた本、動物園の作品をまとめた本、そして、天文台で発表してきたものをまとめた本を作りました。
それは、ぼくにとって、とても充実した活動であり、仕事でした。うまく言えないのですが、なんか、いろんなことが見えてきたような気がしていたのです。
そんな中、2011年3月11日がありました。見えていたもの、触れていたもの、そして感じ、考えていたことが、今はわからなくなっています。
うーん、長くなってきたし、うまくまとめられなそうなので、この辺にします。すでに何度も読んで、書き直していて...。詩を載せるタイミングを見失ってしまいました。
なので、最後にもう一つだけ、詩を載せたいと思います。
まことさん、今まで、ありがとうございました!
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銀河の途中
携帯の待ち受けを変えるように
宇宙の模様を変えた
4つの季節がちょっと意地悪をして
ロケットを迷子にしてしまう
一日が横に広がる
今、何時かな?
雨に濡れたけど
いいよね
うん、いいよね
思いがけないプレゼントを
さりげなく渡すようなイメージ
今 はじめての宇宙
星屑のタトゥーを心に入れたら
バターみたいに想い出が溶けていった
もうすでにたくさん働いた
だからたくさん帰りたい
宇宙みたいにゆっくりいなくなれたら
いいな
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(3月2日)
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