第1回 地球という星

【河北新報「ときどき土佐日記」2016年4月掲載原稿 ~原案~】

 

古代の哲学(アリストテレスの哲学など)では、月から始まる天上界は神聖にして完全無欠の不変な世界であり、一方、地上は変化と混乱の不完全な世界でした。天と地は最もかけ離れた世界として峻別され、その類似性を唱えることなどもってのほかでした。そのような時代が古代から中世にかけて長い間続きました。月も完全無欠神聖な球体と考えられていたので、ガリレオが望遠鏡を月に向け、その表面に地上と同じような凸凹を見たなどということは「もってのほか」というわけです。

ということで、「天と地」は最もかけ離れたことを対比させる言葉です。その隔たりをウィリアム・シェークスピアは、ハムレットが親友ホレイショーに向けた台詞で「ホレイショー、天と地の間にはお前の哲学など思いも寄らぬ出来事がある」と表現しています。

幼少の頃、私は宇宙に興味を持ち、その天と地の間に宇宙という遊び場を見つけました。私にとって宇宙の入り口は月でしたが、今も最も身近な天体で、見るたびにいろいろなことが思い浮かびます。

もし天と地が入れ代ったら、それは思いもよらぬことですが、それが20世紀になって実際に起こったのです。

 

earthrise_lo1_big.jpg

図1:月から見た最初の地球(1966年ルナー・オービター1号が撮影)

©The Lunar Orbiter Project, NASA

 

1966年、無人月探査機によって撮影された月から見た「天に浮かぶ」地球の姿が送られてきました。少し不鮮明ですが、地球からみた月のように、月の地平線(月平線!)上に地球が、まさに「天に地」が浮いて輝いていました。

実は、月から見た地球の写真としては、2年後1968年にアポロ8号の乗組員によって撮影されたカラー写真が有名ですが、「最初」の写真はすでに2年前に撮影されていました。この写真は不鮮明なモノクロでアポロ8号による写真と比べると見劣りがしますが、最近、ルナーオービター画像復元プロジェクトで最新の画像処理技術によって処理された鮮明な写真が発表されました。

 

earthmoon_nasa_big.jpg

図2:ルナーオービター画像復元プロジェクトによって復元された月からみた地球。 ©NASA/LOIRP

 

 

as8-14-2383HR.jpg

図3:アポロ8号が撮影した、月から見た地球 © Apollo 8, NASA 

 

そして、1969年にはアポロ11号が月面に着陸しました。最初に月面に立った船長ニール・アームストロングは、その第一歩を「人類にとって偉大な飛躍」と述べた後、月面に星条旗を立てたのです。「人類にとって」と言いながら星条旗を立てるということは、人類はアメリカ人だけでしょうか。やはり、米国の国威発揚、軍事的優越性を誇示する意図を感じます。もし人類を代表してということであれば、せめて国際連合旗でも立てたらと思ってしまいます。もう一人の宇宙飛行士エドウィン・オルドリンは、月面の船外活動の前に着陸船内で宗教儀式を行ったということです。こうして天と地が入れ代ったのです。

 

apollo11.jpg

画像4:月面に立てられた星条旗とアポロ11号の宇宙飛行士 ©NASA

 

そのとき月を周回する司令船にいたマイケル・コリンズ宇宙飛行士は、地球を眺めながら次のようなことを考えたそうです。「世界の指導者がはるかかなたから自分たちの星・地球を見たら彼らの態度も根本から変わるだろう。国境は見えないし、言い争いも聞こえない。共産主義者も資本主義者もない。」このとき、彼は地球という星、そして地球人を発見したようです。また、アポロ計画最後の宇宙飛行士ユージン・サーナンは「我々は月を探査しに行ったが、実は地球を発見することになった」と述べています。

アポロ計画は、1960年代冷戦下の米ソ宇宙開発競争のさなか、後れを取った米国がその挽回と国威発揚を目的としたものです。ケネディ元大統領の「1960年代の終わりまでに人間を月面に到達させよ」という演説が有名ですが、その目的は十分に果たされたようです。しかし、それだけではなく月の科学的解明にも多くの成果を上げました。

ところで、「偉大な飛躍」を遂げた人類の現在はどうでしょうか。争いは止まず、環境は悪化するばかりで、苦難に満ちています。もし、人類が平和に生き延びようとするなら、限りある地球という星の現実を認識し、地球人として互いに苦楽を分かち合い助け合わなければならないでしょう。そう考えると、人類にとってアポロ計画の最大の成果は、まだ十分に生かされてはいませんが、「地球という星」そして「地球人」の発見かもしれません。アポロ計画から約半世紀、月を眺めながら思うことです。

 

 

注1)アポロ計画

 米ソ冷戦のさなか、ケネディ大統領はアメリカが宇宙開発競争をリードすると考えていたが、ソ連はアメリカに先立って1957年に世界最初の人工衛星スプートニクの打ち上げを成功させ、1961年には初の有人飛行を行った。アメリカは、宇宙開発でソ連に大幅に遅れをとったことを知って大きな衝撃を受けた。ここから「スプートニクショック」という言葉がうまれた。

「アメリカが宇宙開発競争で後れをとることはできない」と考えたケネディは、人間を月に到達させるという計画(アポロ計画)を立て、大統領就任間もない1961年に上下両院合同議会で「まず私は、今後10年以内に人間を月に着陸させ、安全に地球に帰還させるという目標の達成に我が国民が取り組むべきと確信しています。」と演説しアポロ計画推進を訴えた。

 宇宙開発が他の科学・技術分野の発展、さらに軍事技術の発展を通じて軍事産業が利益を得ることなどから、産業界からもサポートも得た。アポロ計画はこうしてスタートし、ケネディの死後ジョンソン政権とニクソン政権に引き継がれ、1969年にアポロ11号によって「人類」を月面に送り届けることに成功した。

 アポロ計画など宇宙開発は、宇宙における探検・研究(夢の実現)といった側面が強調されるが、冷戦下におけるソ連との軍事的覇権争い、軍産複合体の形成・拡大につながった。これらの軍産複合体は軍事費の拡大などから大きな利益を得るとともに、国の政策に大きな影響を与えるようになった。

 

 

 

【河北新報「ときどき土佐日記」連載 ~2016年4月掲載原稿~】

 

「天と地」は最もかけ離れたことを対比させる言葉ですが、その隔たりをシェークスピアは「天と地の間にはお前の哲学など思いも寄らぬ出来事がある」と表現しました。

幼いころ、私はその天と地の間に宇宙という遊び場を見つけました。その入り口は月でしたが、今も最も身近な宇宙で、見るたびにいろいろなことが思い浮かびます。

もし、天と地が入れ代ったら、それは思いもよらぬことですが、それが実際に起こったのです。1966年月探査機から月の地平線上に浮かぶ地球の姿が送られてきました。さらに、69年にはアポロ11号が月面に着陸しました。最初に月面に立った宇宙飛行士は、その第一歩を「人類にとって偉大な飛躍」と述べた後、月面に星条旗を立てたのです。

ここで天と地が入れ替わったようですが、その時、月を周回する司令船にいたマイケル・コリンズ宇宙飛行士は、地球を眺めながらこう考えたそうです。「世界の指導者がはるかかなたから自分たちの星・地球を見たら彼らの態度も根本から変わるだろう。国境は見えないし、言い争いも聞こえない。共産主義者も資本主義者もない」

その時、人類は「地球という星」、そして「地球人」を発見したようです。アポロ計画最後の宇宙飛行士ユージン・サーナンは「われわれは月を探査しに行ったが、実は地球を発見することになった」と述べています。

アポロ計画は、60年代の米ソ冷戦下、宇宙開発競争に後れを取った米国がその挽回と国威発揚を目的に始まったそうです。その目的は十分に果たされたようですが、それだけでなく月の科学的解明にも多くの成果を上げました。

ところで、「偉大な飛躍」を遂げた人類の現在はどうでしょうか。争いはやまず環境は悪化するばかりで苦難に満ちています。もし、人類が平和に生き延びようとするなら、限りある地球という星の現実を認識し、地球人として互いに苦楽を分かち合い助け合わなければならないでしょう。

そう考えると、人類にとってアポロ計画の最大の成果は、まだ十分に生かされてはいませんが「地球という星」の発見かもしれません。アポロ計画から約半世紀、月を眺めながら思うことです。

 

as8-14-2383HR.jpg図:アポロ8号から撮影された月面から昇る地球(© Apollo 8, NASA

 

 

※「ときどき土佐日記」は、毎月第1土曜日の河北新報夕刊に連載中です。