台長コラム ときどき土佐日記

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トワイライトサロンは、土佐台長が土曜の夜だけに開くサロン。飲食自由の気軽な雰囲気の中で宇宙をテーマにお話します。

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次回のテーマ 「UFOを考える(2)-UFOが空飛ぶ円盤になった日」

 

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◆日時 2017年6月24日(土) 16:50-17:30

テーマ 「UFOを考える(2)-UFOが空飛ぶ円盤になった日」

◆場所 オープンスペース

◆定員 なし

◆参加無料

 

 1947年6月24日、アメリカ・ワシントン州で実業家のケネス・アーノルドが自家用機で飛行中に正体不明の飛行物体(UFO)を目撃しました。これを地元紙が「空飛ぶ円盤(フライング・ソーサー)」と紹介し、その後「空飛ぶ円盤」という言葉が広まりました。このことから、UFOマニアの間では、6月24日が「空飛ぶ円盤記念日(UFOデー)」とされています。

今回のトワイライトサロンでは、その日何が起こったのか、当時の新聞などを調べてみます。

お楽しみに☆

 

※ トワイライトサロンのテーマは毎週変わります。

 

 

<過去のテーマ>

2017

第451回/06.17 「探査機ジュノーが見た木星」

第450回/06.10 「土星を見よう 探査機カッシーニが見た土星」

第449回/06.03 「宇宙から地球を測る 6月3日は測量の日」

第448回/05.27 「星を数える いくつあるのかな?」

第447回/05.20 「メートルと太陽系のものさし」

第446回/05.13 「南十字星が見たい 南の星空を見に行こう!」

第445回/05.06 「春の星座に群れる銀河―おとめ座・かみのけ座銀河団―」

第444回/04.29 「火球(大流星)と隕石」

第443回/04.22 「地球という星 地球と生命を考える」

第442回/04.15 「誕生日おめでとう レオナルド・ダ・ヴィンチさん」

第442回/04.08 「木星を見よう」

第441回/04.01 「UFOを考える 私のUFO体験、その正体は?」

第440回/03.25 「おおぐま座 北斗七星の星々」

第439回/03.18 「仙台七十二候―季節を表す言葉たち―」

        (ゲスト:仙台市天文台ブレインサポーター 黒須潔氏)

第438回/03.11 「地震って何だろう?」

        (ゲスト:東北大学 地震・噴火予知研究観測センター センター長 松澤暢氏)

第437回/03.04 「太陽系外惑星探査」

        (ゲスト:東京工業大学 准教授 佐藤文衞氏)

第436回/02.25 「冬の大三角の星

第435回/02.18 「2月18日・冥王星の日 冥王星はどうしているかな?」

第434回/02.11 「誕生日おめでとう ガリレオ先生」

第433回/02.04 「宇宙大疑問 考えてみれば不思議なこと」

第432回/01.28 「金星の輝き 織女・ベガの70倍に!」

第431回/01.21 「小惑星ってどんな星? 小惑星ベスタ接近中(かに座)」

第430回/01.14 「冬の星空案内 星の誕生と終末」

第429回/01.07 「今年の天文現象 2017年」

 

2016年

第428回/12.24 「クリスマスの星―ベツレヘムの星の正体は?―」

第427回/12.17 「星座になった鳥たち」

第426回/12.10 「ふたご座流星群を見よう 満月、最悪条件に挑戦!」

第425回/12.03 「賢治も愛した 星座早見を使いこなそう」

第424回/11.26 「悪魔の星 ペルセウス座アルゴル その正体は?」

第423回/11.19 「ハッブル先生 誕生日おめでとう」

第422回/11.12 「月が星をかくすとき 星食からわかること」

第421回/11.05 「『スーパームーン』ってどんな月?」

第420回/10.29 「銀河系マップの作り方―「ビリオンサン」を10倍楽しむ!―」

第419回/10.22 「どうして星はまわっているの?」

第418回/10.15 「アンドロメダ銀河を見つけよう その正体は?」

第417回/10.08 「金星を見つけよう」

第416回/10.01 「10月1日新月・朔 新月ってどんな月?」

第415回/09.24 「天王星と海王星の発見」

第414回/09.17 「9月17日・満月 月・地球・太陽 宇宙の三角関係

第413回/09.10 「9月15日 中秋の名月 月から地球はどう見えるの? かぐや姫のお地球見」

第412回/09.03 「9月15日 中秋の名月 もしも月がなかったら?

第411回/08.27 「宮沢賢治さん誕生日おめでとう! いっしょに星めぐり

第410回/08.20 「対決 火星 vs アンタレス

第409回/08.13 「銀河系の考古学―球状星団を見よう―

第408回/08.06 「ペルセウス座流星群を見よう

第407回/07.30 「七夕の起源

第406回/07.23 「仙台藩の天文観測機器

第405回/07.16 「土星を見よう」

第404回/07.09 「七夕の星を見よう」

第403回/07.02 「トワイライトサロン400回記念~天文台長といく銀河鉄道の旅~

第402回/06.25 「星までの距離はどうやってはかるの?~宇宙の距離を測るものさし~

        (ゲスト:東北大学 理学研究科 天文学専攻 助教 板由房氏)

第401回/06.18 「小さなロケット望遠鏡で宇宙の一番星を探る

        (ゲスト:東北大学 学際科学フロンティア研究所 助教 津村耕司氏)

第400回/06.11 「400回記念 台長ベストセレクション

第399回/06.04 「地球も太陽も大きな磁石! なにがおこるの?

第398回/05.28 「火星接近! 火星に関する疑問?一緒に考えます Part2

第397回/05.21 「北斗七星の秘密 七つの星はどんな星?

第396回/05.14 「ひとみ望遠鏡大解剖

第395回/05.07 「火星接近!火星に関する皆さんの疑問を一緒に考えます Part1」

第394回/04.30 「宇宙を測る ヒッパルコス計画からガイア計画へ

第393回/04.23 「宮沢賢治ゆかりの天文台―国立天文台VLBI観測所(旧水沢緯度観測所)―

第392回/04.16 「水星をみよう

第391回/04.09 「ようこそ火星!

第390回/04.02 「X線でみる宇宙

第389回/03.26 「おとめ座のかなたの宇宙 銀河の大集団

第388回/03.19 「木星を見よう

第387回/03.12 「3.11の記憶 ひとみ望遠鏡の復活

第386回/03.05 「日食を楽しもう

第385回/02.27 「重力波初観測!どういうこと?

第384回/02.20 「子午線を求めて グリニッジ天文台訪問

第383回/02.13 「オリオン座大研究

第382回/02.06 「『銀河鉄道の夜』の宇宙

第381回/01.30 「冬の星空 宮沢賢治『よだかの星』の舞台へ」

第380回/01.23 「今年の天文現象 2016年」

第379回/01.16 「南極で探る第2の地球」

           (ゲスト:東北大学理学研究科天文学専攻 市川隆 氏)

第378回/01.09 「もしも君が杜の都で天文学者になったら。。。2015  ~バックステージ編~」

           (ゲスト:東北大学 学際科学フロンティア研究所 助教 田中幹人先生)

 

【河北新報「ときどき土佐日記」2016年6月掲載原稿 ~原案・補足~】

 

「宇宙」という言葉の使い方について、以前から気になっていたことがありました。

「宇宙」という言葉は中国に古くからある空間・時間の広がりを表す言葉だそうですが現代では主な使い方が二通りあります。英語では、それぞれユニバース(Universe)とスペース(Space)という異なる言葉が使われています。

ユニバースは古くからある言葉で、あらゆるものを含む空間・時間の広がり(全体)で、本来の宇宙です。スペースは地球近傍の宇宙空間で、戦後宇宙開発とともに広く使われるようになりました。

航空宇宙業界では地上100㎞以上の大気圏外を宇宙と呼ぶそうですが、英語ではスペースです。地上約400㎞を飛行するおなじみの国際宇宙ステーションは英語ではインターナショナル・スペース・ステーション(International Space Station)、略してISSです。スペースでは宇宙飛行士、人工衛星あるいは探査機などを使った様々な活動が行われ、宇宙産業・宇宙ビジネスあるいは軍事利用などが追求されています(注1)。スペースの広がりはおよそロケットや探査機が到達できる範囲で、時間的にも人間が実感できるスケールです。

もう一つの宇宙、ユニバースはスペースを含む人間の感覚を超えた広大な空間・時間の広がりで、天文学の領域です。人類の歴史においては、神の世界、あるいは人智を超えたはかり知れない世界と考えられた時代が長く続きましたが、現代では科学の力、自然の法則によって理解できる世界です。私にとって、ユニバースは、スペースと異なり、手が届かない操作できない「生の自然」が魅力で、興味深い探求の対象です。

第2回 火星接近

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【河北新報「ときどき土佐日記」2016年5月掲載原稿 ~原案~】

 

以下の文は、昨年(2016年5月)の火星接近のときに記したものです。現在(2017年5月)、火星は太陽の彼方の遠方にあって、殆ど見ることはできません。次の接近は2018年7月31日になります。

 

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1705_kasei.jpg図1:火星(ハッブル宇宙望遠鏡撮影)©NASA

 

夜が更けると東の空に赤く輝く星が昇ってきます。火星です。火星はおよそ2年ごとに地球に接近しますが、今回(2016年)は5月31日に最も近づきます。ギリシャ/ローマ神話では、火星は戦いの神アーレス/マルスとされていますが赤い色が戦火や血を連想させるのでしょう。しかし火星が赤いのは地面に含まれる酸化鉄(鉄錆)の色で戦いや血とは関係ありません。地球でも同じような赤色の地面が各地で見られます。

 

第2回 火星接近の続きを読む

【河北新報「ときどき土佐日記」2016年4月掲載原稿 ~原案~】

 

古代の哲学(アリストテレスの哲学など)では、月から始まる天上界は神聖にして完全無欠の不変な世界であり、一方、地上は変化と混乱の不完全な世界でした。天と地は最もかけ離れた世界として峻別され、その類似性を唱えることなどもってのほかでした。そのような時代が古代から中世にかけて長い間続きました。月も完全無欠神聖な球体と考えられていたので、ガリレオが望遠鏡を月に向け、その表面に地上と同じような凸凹を見たなどということは「もってのほか」というわけです。

ということで、「天と地」は最もかけ離れたことを対比させる言葉です。その隔たりをウィリアム・シェークスピアは、ハムレットが親友ホレイショーに向けた台詞で「ホレイショー、天と地の間にはお前の哲学など思いも寄らぬ出来事がある」と表現しています。

幼少の頃、私は宇宙に興味を持ち、その天と地の間に宇宙という遊び場を見つけました。私にとって宇宙の入り口は月でしたが、今も最も身近な天体で、見るたびにいろいろなことが思い浮かびます。

もし天と地が入れ代ったら、それは思いもよらぬことですが、それが20世紀になって実際に起こったのです。

 

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図1:月から見た最初の地球(1966年ルナー・オービター1号が撮影)

©The Lunar Orbiter Project, NASA

 

 

仙台市天文台広報担当・熊田美波

 

土佐台長は、昨年(2016年)4月から河北新報紙(毎月第一土曜日夕刊)に「ときどき土佐日記」と題して短文(随想)を連載させていただいておりました。市民からの要望などもあり、ここに再録したいと考えていたところ、河北新報社から快諾を得ましたので、ここに再録することとになりました。

この原稿執筆にあたり、台長はいつも文字数がオーバーし文字数の調整に苦労していたようでした。

実は、台長が最初用意する原稿は、最終稿よりかなり長いもので、それを削って最終原稿を仕上げているということでした。そこで、短縮する前の原稿の公開をお願いしたところ快諾を得ましたので、「原案」もあわせてここに掲載いたします。河北新報紙の文章を補うものとして興味深いものがあるとおもいますので、河北新報紙の文章とあわせてお読みいただければ幸いです。

 

火星人の未来と地球人の未来(その2)


火星人が地球を観察して最も注目したのは、地球上どこの国の言葉にも「平和・思いやり・助け合い・分かちあい・友愛...」といった美しい言葉があることでした。このような言葉を聞いて火星人は地球人と仲良く共存できるのではないかと考えたのです。これが地球移住計画の発端でした。しかし、注意深く観察すると、必ずしも言葉どおりではありませんでした。特に民族や国が異なると、これらの言葉とは全く反対のことがしばしば起こるのです。宇宙から見ると、そのような美しい言葉が地球全体で実現しているわけではないことを知って火星人は失望しました。


火星人が注目したことは他にもいろいろありましたが、なかでも地球人の資源や富の配分は、火星人には理解しがたいことでした。火星では、資源や富は必要な量を分かち合って出来るだけ無駄の無いように生活してきました。それは、資源の少ない火星で皆が生きのびるためには特に大切なことでした。しかし、地球人は必要な量をはるかに超える資源や富を少数者が独占しています。そのため浪費が多く、貧富の差が極端に大きいのです。地球で最も豊かとされるアメリカという国の場合、全体の5%未満の人たちに、全アメリカの半分以上(約60%)の富が集中しているというのです(注2)。国と国の間にも大きな格差があります。火星人には理解できないのですが、地球では資源や富を無制限に独占することが許され、さらに、独占や格差を固定化するような政治・経済システムがあるようです。地球は火星に比べるとはるかに自然や資源の豊かな惑星なのになぜ貧しい人々が多いのか、火星人にとって理解し難いことでしたが、その理由がここにあるのでしょうか。


貧しい人は富が少ないだけでなく、生活や人生における選択の余地も限られ、劣悪な条件でも過酷な労働に従わざるを得ません。昔の奴隷制度が形を変えて今も残っているようです。もし、火星人が地球人に受け入れられたとしても、より厳しい奴隷的状況に置かれるのではないかと恐れます。体力のない火星人には耐えることが難しいでしょう。

 

火星人にとってもう一つ心配なことは、地球人による核の利用です。ひとたび核兵器が使われたり、あるいは原発が大事故を起こしたりミサイル攻撃を受けたりしたら、地球人の手に負えない状況になり、それが長期間続くことになります。火星人の手にも負えません。その危険性は地球人もよく知っているようで、警備や機密保持、あるいは市民の監視が強化されています。また、地元には「理解」を得るために膨大なお金が注がれています。その結果、社会や人間関係に信頼や自由が失われ、民主的な地域社会が崩壊します。さらに原発から生じる放射性廃棄物の安全な処理方法もまだ地球人は知りません。放射性廃棄物は厳重に隔離され、百年も千年もその先まで厳重に管理されねばなりませんが、今の地球人にそれができるかどうか疑問です。火星人にとってもそれらを追跡することは不可能です。ということは、もし100年先に可能になったとしても、火星人の地球移住は大変危険なものになる可能性があります。


地球は豊かな惑星ですが、地球人がこれまでのような生活や争いを続ければ、遅かれ早かれ資源が枯渇し、さらに地球温暖化や人口爆発によって環境や人間関係が破壊され、地球人の生存は危うくなるでしょう。今回の地球接近では、世界各地で紛争や緊張を高めようとする動きが活発で、一層の危機感を覚えました。火星人は、自分たちだけでなく、地球人の未来もたいへん心配しているのです。火星人は忠告します。もし、子孫のために少しでも生存の可能性を伸ばしたいなら、地球人はもっと宇宙的な眼で自分たちを見るべきです。「宇宙を身近に!」。



(注2)小林由美『超・格差社会 アメリカの真実』日経BP社、15頁。


◆広報担当からおことわり

この「お話し」は台長の「空想」による創作です。火星人については、これまでに何回か探査機が火星に着陸して調査していますが、その存在も、かつて存在したことを示す痕跡も見つかっていません。
 (台長からひと言。この「おことわり」は、「読者がこのお話を事実と誤解してはいけない」という広報担当者の老婆心...。老婆心ではなく、優しい乙女心、思いやりから記されたものです。)


火星人の未来と地球人の未来(その1)


4月に地球に最接近した火星は、まだ日没後の南の空に赤く輝く姿が目立ちます。5月末には、逆行から順行に転じ、そろそろ地球から遠ざかる準備をしているようです。

火星は、昔から占星術などで戦いの星、不吉な星とされていたようです。赤い色が血を連想させるからでしょうか。

このところ、世界中いたるところで戦争・紛争、災害、事故・事件、あるいは人種差別や排外主義勢力の進出など、気になることがたくさんあります。もし占星術が信じられていた時代だったら火星の置き土産と解釈されたかも知れません。


火星は地球のとなりを公転する惑星ですが、地球の公転周期との関係で、およそ2年ごとに地球に近づきます。望遠鏡が発明されると、火星の接近ごとに詳しい観測がおこなわれ、新しい発見がありました。天文学の発展とともに占星術を信じる人は減りましたが、火星表面の模様やその季節変化などから、火星には高度な文明を持った生命、火星人が存在すると考える人も現れました。


およそ100年あまり前、イギリスの作家H・G・ウェルズは、環境悪化によって火星に住めなくなった火星人が地球に移住すべく地球侵略を計画したと空想し、SF小説『宇宙戦争』(1898年)を著わしました。『宇宙戦争』の冒頭、「...。この地球が、人間をはるかに凌駕する知能を持ちながら人間と同様にかぎりある命しかもたない生物によって周到綿密に観察されており、人間がさまざまな営みにあくせくするあいだ、人間が顕微鏡で一滴の水中に群がり繁殖する微生物を丹念に調べるのに匹敵する精度で、観察と研究はつづけられているのだ...。」(注1)とあります。そして、ついに火星人は地球侵略を開始し、地球を徹底的に破壊し尽くしたのでした。

『宇宙戦争』はその後も世界中(地球中)で読み継がれたのですが、実は、火星人は地球移住を思いとどまったのです。その理由は次のようなものでした。火星人はウェルズが想像したような無慈悲で残虐な生き物ではありませんでした。極端に少ない資源とエネルギーを分かち合い、助け合い、究極のECO生活を営む、思いやりのある優しい生き物だったのです。だからこそ資源が極端に少なく、環境も厳しい火星で生き延びることができたのでした。

そのような火星人が見た地球は、国という単位に分割され、国境や国益をめぐって争いが絶えることがありません。火星には、国境もなければ、国益という概念もないので、火星人には理解しがたいことでした。火星人は、地球の至る所で勃発する戦争や残虐行為に恐れをなしていたのです。もし、地球に移住したとしても、地球人が歓迎してくれそうにありません。小さな無人島の帰属をめぐって国を挙げて争う地球人が、火星人のために生活の場を提供してくれるとはとても思えません。さらに、出自や肌の色が違うだけで差別されるような社会では、地球人とはだいぶ体型の異なる火星人はどんな扱いを受けるでしょうか。見世物にされる恐れもあります。


実は、ウェルズの空想に反して、火星人は「人間をはるかに凌駕する知能」を持っていたわけでもなく、また戦争も得意ではなかったのです。もし、戦争などをしていたら、資源の少ない過酷な環境の火星では、火星人はとうの昔に絶滅してしまったはずです。火星人にしてみれば、少ない知恵を絞って、なんとか生きる道を探し続けてきたのでした。その一つが「戦争をしないこと」でした。だから、もし地球に移住するために地球人と戦わなければならないのなら、移住を中止する他ないと考えたのです。そして、彼らが火星であと何年生存できるかを再検討しました。その結果、今のような生活を続ければ、少なくとも数百年は火星で生きていけることがわかりました。と言うことで、ウェルズの空想に反して、火星人は地球移住を延期し、地球の観察を続けるとことにしたのです。


(つづく)


(注1)H・G・ウェルズ『宇宙戦争』中村融 訳、創元SF文庫。


◆広報担当からおことわり

この「お話し」は台長の「空想」による創作です。火星人については、これまでに何回か探査機が火星に着陸して調査していますが、その存在も、かつて存在したことを示す痕跡も見つかっていません。

(台長からひと言。この「おことわり」は、「読者がこのお話を事実と誤解してはいけない」という広報担当者の老婆心...。老婆心ではなく、優しい乙女心、思いやりから記されたものです。)


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 遠藤さん、先日は仙台市天文台でのトワイライトサロンのトークショーにご出演いただきありがとうございました。楽しかったです。「お便り」の方、返信が遅れてすみません。

先日、遠藤さんご出演のNHK「てれまさむね」の「てれまさんぽ」で河岸段丘をたどる番組、再放送を拝見しました。仙台の街並みには河岸段丘が隠れていたのですね。大地の「段差」がデパートの階段になっているなんて、SFそこのけで面白かったです。  

 

今回、「オーロラの彼方に」を紹介して頂きましたが、私もDVDを借りて見直しました。時空の超え方が「大胆」過ぎて、科学的に見るとついていけませんが、物語としては面白いですね。現代のお伽話といったところでしょうか。オーロラが魔法使いで無線通信が魔法の杖のようです。遠藤さんご指摘の「ご都合主義」を棚上げにすると、人々のいろいろな思いがこめられていて、遠藤さんの大好きな理由がよくわかります。親子関係、特に父と息子の関係は、いつでもどこでも物語になりますね。遠藤さんの場合も、遠藤さんの「思い」がそのまま物語になりますね。映画にもなりますよ。マタタビ抜きで猫と共演なんていいかも。失礼!(実は、我が家にも猫がいるのですが、「一匹猫」で俳優の真似をしてます。)

僕の場合、父の記憶は髪の毛とともに薄くなりましたが、時々リアルに思いだすことがあります。しばらく前に思いがけない経験をしました。深夜、目が覚めて洗面所に行ったら、突然父が目の前に現れたのです。びっくりしました。うす暗い中に現れた顔はレンブラントの晩年の自画像のようで、「オヤジも老けたな」と思ったのですが、よく見たらその顔は洗面所の鏡に映った僕の顔でした。考えてみれば、僕もいつのまにか僕がイメージしている父親の歳を超えていたのです。そして、僕も父親に似た姿になっていたのです。

思い起こすと、僕は「お母さん子」で、母親の顔色をうかがいながら父と付き合っていたようです。あまり仲良くすると母のご機嫌を損ねるような気がして、父に打ち解けることが少なかったかもしれません。今思うと父には済まない気がします。しかし、父は、時々一家の主の権威を示そうとすることもあって、怖い存在でもありました。 当時は戦後の復興期、両親ともに生活の再建に追われて子どもと遊んだりふれあったりする時間は少なかったようです。その代り、子どもたちは自由に遊んだりして、僕にとってはそれが良かったと思います。

僕の思春期・青年期には、はやく親から独立して大人になりたいという思いがとても強かった気がします。その時代の特徴かもしれませんが、青年を扱った文学のメインテーマは、如何に親や家族との「絆」を断ち切って独立した大人になるかということでした。ですから、「オーロラの彼方に」の親子関係は、当時の感覚からすると、とても違った世界で眩しい感じがしますね。

僕が子育てをした時代は、親子関係が濃すぎることが子供の成長を阻害するということで社会問題になっていました。僕も、「濃く」なり過ぎないように心掛けた気がしますが、子どもから見てどんな親だったのでしょうか。まだ息子に聞いたことはありませんが、親とは違うことを感じていたかもしれませんね。とりあえず手が離れて、独立した人間としてつきあいたいと思っています。

遠藤さんがおっしゃる通り、映画で「父と年齢も違わなく成長した自分が対話している」のも面白いですね。「これまでの親子関係が、年齢が近い男性同士として、相談に乗ってもらえたりする」のはたしかにすごいこと、憧れますね。 

 

オーロラの話ですが、ニューヨークは八戸と同じ緯度、オーロラが見られるのは珍しいことでしょうね。映画では極地で見られるような鮮やかなオーロラが現れましたが、ニューヨークでオーロラが見られるとしても、そのような鮮やかなオーロラが現れることはないのではないかと思います。

実は、昔、1950年代末だったと思いますが、北海道や東北の日本海側でオーロラが見えたというニュースがありました。当時、太陽活動が非常に活発で、太陽表面に肉眼でも容易に見えるような大きな黒点が次々と現れ、極地ではオーロラ嵐が頻繁に起こったということです。

目撃者によると、北の地平線のあたりが山火事のように赤く見えたということですが、遠方のオーロラが見えたと思われます。地球は丸いので、遠方のオーロラの上部だけが地平線上に見えたのでしょう。オーロラの上部は赤い光を出すので、地平線上に赤い光が見えたと考えられます。

オーロラは宇宙からやってきた高エネルギー粒子が、地球磁気の磁力線にそって大気に飛び込み、大気と衝突して大気を光らせる現象です。地球の磁場は極地に集まっているので、オーロラ粒子も極地に集まり、極地にオーロラを出現させます。したがってオーロラを見るためには極地に行かなければなりません。さらに、昼間は空が明るくてオーロラが見えません。極地の夜となると、季節は冬となり、オーロラを見るには極地の冬、極寒を耐えねばなりませんね。でも、最近は防寒の行き届いたオーロラツアーが企画されているようで、年配の方から「オーロラを見てきた」という話をきくことがあります。ただ旅行の費用を聞くと、財布の中が寒くなる話でした。

 

さて、映画の話ですが、その後「ローマ法王の休日」と「25年目の弦楽四重奏」を見ました。「ローマ法王の休日」は有名な「ローマの休日」のパロディですが、主人公が新しく選ばれたローマ法王で、法王になるのが嫌でバチカンを逃げ出す話です。実は、コンクラーベということで、バチカンのシスティーナ礼拝堂の中の様子、特にミケランジェロによる天井画や最後の審判などが見られると期待したのですが、それなりに楽しめました(実物ではないかもしれませんが)。実は、その後、東京上野の西洋美術館で開催されていた「ミケランジェロ展」を見ました。台風18号が接近中のせいか、空いていて落ち着いて見ることができました。システィーナ礼拝堂の天井画や壁画の複製の展示や解説がありましたが、4Kの高精細の映像でシスティーナ礼拝堂の天井画を紹介していたのが、とても美しく見事でした。たぶん、現場でも見えない細部が美しく再現されていると思いました。

冥土の土産に一度は「実物」を見たいものだと思っていたのですが、とりあえずこれで満足ということにしました。 冥土の土産に見たいものがいくつかあったのですが、今年1月、イタリアのミラノでダビンチの「最後の晩餐」とミケランジェロの彫刻「ロンダニーニのピエタ」を見ることができまし。思い残すことは少なくなったのですが、体重が増えました。

「25年目の弦楽四重奏」は別の機会に。では、また。お元気で。

 

(完)

8月24日(土)、トワイライトサロンにて「真夏のSF映画対談」が開催されました。これは、現在web版「天文学でSF映画を斬る!」で交換日記?している、桜井薬局セントラルホールの支配人・遠藤瑞知さんと土佐誠台長が、たまには直接対談しましょう!ということで実現したものです。

実は初対面の二人が、大好きな映画、特にSF映画を題材に、あれやこれやと語り合いました。その模様をユーストリーム録画でぜひお楽しみください!


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台長、残暑見舞い申し上げます。 きっと天文台は、子どもたちの元気な声が連日響き、台長もスタッフのみなさんも大わらわな毎日をお過ごしのことと思います。 どうぞ、子どもたちの真剣な探求心に負けないようにと、熱心に教えるあまり"熱中しすぎ症"になりませんように。

 

前回は、大変失礼しました。「SF映画を斬る」というタイトルなのに、実話ベースの作品チョイスしちゃってましたね、すいません。  でも、"瓢箪から駒"とでも言いましょうか、台長のNASAに行った写真や管制室の話など、行った人だからこそ知る秘密話が聞けて、ワクワクでした。ありがとうございます。  子どもの頃は、「ねぇ、どうして?」「どうして?」って、お父さんやお母さん、近くにいる大人がみんな、僕らの先生でした。 でも、大人になると「そんなことも知らないの?」と言われそうだし、「別に知らなくても死ぬわけじゃないし!」と嘯(うそぶ)いてしまうから、子どもの頃いっぱいあった好奇心の芽が出なくなっちゃいますものね。  

 

僕は、仙台生まれの仙台育ちですが、学生時代、まじめに勉強してなかったので、たとえば「河岸段丘」ということばは知っていても、それがどんな風に生活にむすび着くかとか、仙台が城下町だった?ことや伊達政宗公ってどんな人?って聞かれても、ちゃんと説明出来ませんでした。そこで、その道の専門の人から教えてもらえるお散歩ができたら楽しくないですかと、NHKの方にお話したら、じゃあ番組にしましょうということになりました。NHK仙台放送局の情報番組「てれまさむね」内に"てれまさんぽ"というコーナーが誕生し、考古学、地学、植物学、昔から街に住む人など、専門家の方とお散歩しながらお話を伺っています。天文台もそうですけど、実際に見ながら教わることって、ググッと頭と心に沁みこんできますものね。 今頃は、ペルセルス流星群が話題ですが、前回ですっかり味をしめた僕は、映画から台長にいろいろ教えてもらおうと大好きな映画をまな板に載せようと思います。  

 

今回の映画は、「オーロラの彼方に」です。

 

「オーロラの彼方へ」  アメリカ、ニューヨークを舞台にした2000年に作られたSFファンタジー・サスペンスです。↑ね、今回は、SFです、大丈夫ですね。(^^ゞ  ニューヨークでオーロラが観測されて、その影響で地場が変化します。刑事のジョンは、父の愛用のアマチュア無線機を取り出し繋いでみると、30年前に殉職したはずの消防士の父と繫がります。しかも父によれば、明日が父の死んだ日でした。そこでジョンは、死なないようにあれこれアドバイスします。"自分が死ぬ?"半信半疑な父でしたが、絶体絶命な状況に遭遇し、言われるままに行動すると生還することができました。しかし、父の命を救えたことは、過去を変えたことになり、新たな事件が発生します。今度は、母が猟奇殺人犯に殺されたことになってしまいます。そこで、時空を超えた親子が力を合わせて、なんとか母の命を守り、変わった過去からのゆがみを治めていこうと奮闘する物語です。  

 

時空を超えたパラレル・ワールドの中で、子どもの頃の自分と無線で話たり、過去が変わったのに自分の家族のことばかりで、周りでは変化が全然起こってないなど、突っ込みどころ満載の危険なタイムパラドックスいっぱいなご都合主義的な映画と言われれば、その通りですが、大好きな作品です。  

 

子どもの頃、僕の父は毎日仕事に出掛けていました。日曜日や祝日、夏休みと言っても、遊んでもらった記憶がほとんどありませんでした。なんとも思っていないつもりでしたが「フィールド・オブ・ドリームス」や「ビック・フィッシュ」など、自分の成長の過程で無くなってしまった父との記憶や関わりを紡ぎ直して行く作品に出会うとボロ泣きで、父とキャッチボールしてない経験が、父とわかり合うテーマの作品には"猫にマタタビ"状態です。 さらに、この作品では、若く逞しい父と年齢も違わなく成長した自分が対話しています。親目線vs子ども目線で関わっていたこれまでの親子関係が、年齢が近い男性同士として、相談に乗ってもらえたりする、これってすごくないですか。親子なのに対等で、しかも親父が相談に乗ってくれる!(あ、親父だって、ちょっと興奮しすぎました。(汗) もう、涙、涙・な、カンジです。  

 

そして、パラレル・ワールドがあって、それがオーロラのお陰で会いたい人の会えるという設定にもウキウキなのです。ま、実際には太陽活動が活発だったから、オーロラも起こり、不思議な混線が生じたのでしょうから、オーロラのせいではありませんが。まるで生きている天空クラゲのような美しいオーロラ。不思議なうねりが織りなす交響詩のような巨大な表現力に圧倒されます。 映画公開当時、CG担当した人が、なにかのインタビューで「オーロラを不自然に見られないよう自然な演技をプログラムしました」と語っていて、自然な演技のプログラムをしたってこと自体が不自然じゃん!とかツッコミつつも、映画の中でこんな美しい映像見られるんだって、うっとりしてました。それが、ニューヨークで、しかも普通の格好でみんな見上げてました。 一か八かのカナダ旅行で、エスキモーみたいな格好してツンドラの中をスノーモービルかなにかに乗って行かなければ見えないと思っていたものが、ニューヨークで見られる。え、これって、ニューヨークでもと言うことは、例えば同じくらいの緯度の八戸辺りまで行ったら見られるかもって、思ったら!ドピューンとぶっ飛んじゃいますよね。どーしよう、っつうか、もう行くしかないよねぇと興奮しました。  

 

今や世界中が異常気象で大変なことになってますが、オーロラがニューヨークや八戸辺りで見ることって、あり得るのでしょうか? その時、パラレル・ワールドと混線してしまうほどの磁場がやってきた時、僕らの生活は問題ないのでしょうか? 宇宙人がやってきたと言うと、全世界一致して身構えますけど、オーロラだったらまぁいいか的に、寛容に受け入れちゃいそうですけど、どんなものなんですかね。そう言いつつも、オーロラの事を夢想したら、ちょっと涼しくなった気がしてきました。  このところ、寝苦しくて、ウニを数えて見たりしました(※1)が、わさび醤油の香りが口の中に広がって、失敗でした。やっぱ、閉めきった部屋からベランダに出て夜風と共に星空見つつ、ちょっとリフレッシュして、寝直すのがオツなようですね。猛暑ですので、ご自愛くださいませ。

※ 1 これ、朝ドラの「あまちゃん」ネタですので、見てない方はスルーしてください。

台長につづく・・・daocho.jpg

sf.jpg                                                                    ※このコーナーの説明はvol.1をご参照ください
                                                                     ※vol.2はこちら


daocho.jpgまえがき その2

 遠藤さん、お待たせしました。「その1」では、思い出話が長くなってすみません。遠藤さんのお話を聞いていると、ギターを弾いたり、星を見に行ったり、「アー、青春していたんだなあ」とほのぼのした気分になりました。そして、僕の青春時代を思い出しました。

高校・大学生のころは、科学者・天文学者になりたいと思いつつも、なかなか思うように力を集中できず、いろいろな本を読んだり、映画を見たり、ジグザグな生活でしたが、遠藤さんと同じように、アポロ宇宙飛行士は憧れの的でした。

ふりかえると、米ソ冷戦、スプートニク・ショック、安保条約改定、ベトナム戦争、大学紛争、オイルショック、バブルが膨らんだりはじけたり、様々な社会の変化がありましたが、時代の変わり目の不安な時期にSFが流行ったような気がします。

さて、本題の『アポロ13』ですが、遠藤さんに詳しく解説していただきありがとうございます(僕がしゃべることが無くなってしまった!)。僕も、改めてDVDを見ようと思い、大手レンタルショップに行ったのですが見つかりませんでした。もう忘れられた映画なのかなと思いながら、DVDショップを渡り歩いたところ、「3枚で3000円」の中に『アポロ13』を見つけました。残りの2枚は、目についた懐かしい映画『荒野の7人』(1961年日本公開)と『屋上のバイオリン弾き』(1971年日本公開)、ちょっと得をした気分で店を出ました。

僕に与えられたミッションは「天文学でSFを斬る」ということですが、それがちょっと難しいのです。「ミッション・インポッシブル!」、というのは、『アポロ13』はSFというよりはドキュメンタリー映画なのです。アポロ13号のクルーも「ほぼこの通りだった」ということで「天文学的に斬る」スキが見当たらないのです。

あえて、星を見る立場から指摘しようと思うと、一つありました!映画が始まって間もなく、宇宙飛行士たちのパーティがあり、ラベル船長が外の庭に出ると満月に近い月が見え、その月をラベル船長が指で隠すシーンがあります。そのとき、月の周りに小さな星がたくさん見えるのです。実際には、満月に近い月の周りに暗い星が見えることはありません。月を隠しても、大気に散乱された月の光が眩しくて暗い星が見えないのです。これは、スタジオで撮影された映画などに「よくある間違い」です。アラ探しでした。

ということで、「斬り方」に苦慮していたところ、「辛口の感想・批評でもいいのでは」という助言があったので、「塩・コショウ・唐辛子」の瓶をそばに置いて、思いつくままに感想をお話しすることにします。

何と言っても、一番印象に残っているのは、事故の後、やっと地球に戻った宇宙船が大気圏に突入し、一時通信が途絶えたときです。火の玉になった宇宙船が猛スピードで落下していく場面がありましたが、それぞれの家族やその中に愛する人が乗っている人たちには見せられない場面です。通信が途絶えるのは3分間ほど、「もし、3分後に通信が再開しなければ...」ということでしたが、3分経っても呼び掛けに応答がありません。映画なので、結末が分かっているのですが、胸が痛くなるようでした。もうダメかと思ったとき、応答があり、パラシュートを開いて海に着水する宇宙船の映像が映りました。思わず、張りつめた緊張が解け、目がうるんだ瞬間でした。映画とはいえ、この間の不安に耐える家族のことを思うと胸が痛みます。大切な人を失った経験のある人には、耐え難い時間だったでしょうね。

愛する人の生死にかかわる場面を誇張して不安を煽るのは、映画といえども良くないですよね!映画とわかっていながら、心が反応してしまう、僕の脳はなんと単純なことか!

このような場面を見ながら、いったい何のためにこんな危険をおかし、周りの人に苦しい思いをさせなければならないのか、疑問を感じるようになりました。

調べてみると、宇宙開発における事故や犠牲者は少なくないようです。よく知られているケースでは、アポロ計画の初期、アポロ1号で3人の宇宙飛行士が亡くなり、またアポロ13号の事故では3人の宇宙飛行士が犠牲になりかねない状況でした。さらに、スペースシャトル・チャレンジャーで7名、コロンビアで7名が犠牲になったことを思い出します。宇宙開発は、他の事業に比べて、非常に危険でコストのかかる事業のようですが、それがあえて実行された理由は何だったのでしょうか。

それから、僕にも興味深かったのは、マスコミの対応です。アポロ計画も13号になると、人々は興味を失い、マスコミも取り上げなくなりました。しかし、事故が起こったとたんに大ニュースになったのです。僕も、アポロ13号打上のニュースはたいして気に留めなかったのですが、事故のニュースが大きく報じられ驚きました。皮肉なことに、アポロ13号は失敗したのに「成功した失敗」と言われ、他の成功例よりも有名になりました。同僚とこのニュースについていろいろ話したことがあるのですが、ある人が冗談に、この事故は「マッチポンプだ!」と言ったのです。マッチポンプとは「マッチで自ら火事を起こし、それを自らポンプで消して注目や称賛を得ようとするような行為」です。映画を見ながら、その時の議論を思い出しましたが、これこそSF、あってはならないことですね。

ところで、この物語・映画が話題になるのは、もちろん、アポロ宇宙船に人間が乗船していたからですね。もし、無人探査機だったら、それほど話題にはならなかったかもしれません。そこで考えるのですが、科学的探査が目的なら、人間が行く必要があったでしょうか。アポロ計画の科学的成果は素晴らしいものですが、人間が行かなくても、むしろ人間が行かないほうが、より多くの成果を上げることができたのではないかと思います。

先日、7月20日は、1989年にアポロ11号が月面に着陸し、初めて人類が月に立った日でした。その日に因んで、天文台のトワイライトサロンでアポロ11号の話をしたのですが、実はその日は、1974年に無人火星探査機バイキング1号が火星に軟着陸した日でもありました。無人火星探査ロボットから送られてきた火星の映像を見たとき、アポロの月の写真以上に興味深いものがありました。今も、無人探査機が活躍していますが、将来の宇宙探査を考えるなら、無人探査機・ロボット・遠隔操作の技術を磨くことが重要だと思います。

人間を宇宙に送り出すためには、まず安全と生存を確保しなければなりません。そのために宇宙船の規模も技術開発のコストも、無人の場合に比べてはるかに大きなものとなります。アポロ計画では、科学的探査が目的なら、人が行かなければできないことはほとんどなかったでしょう。もし、あったとしてもロボットを開発すれば代わりにできることだったと思います。人間を宇宙に送る意味を考えてしまします。

アポロ計画は、様々な映像によって世界にアッピールしましたが、1枚の象徴的な写真があります。初めて月面に降り立ったアポロ11号の飛行士が、アメリカ国旗を立てた写真です。そこにアポロ計画の目的が凝集されていると思いました。

この写真を見たとき、「月に勝手に国旗を立てていいのだろうか?」、違和感がありました。そして、もし「人類にとっては偉大な飛躍」というなら、せめて国連旗でも並べて立てたらどうか、と思ったりもしました。でも、考えてみれば、ケネディ大統領が宣言したように、この星条旗を立てることこそがアポロ計画の一番の目的だったのですね。

アポロ計画の始まりをふりかえると、僕の青春時代と重なりますが、米ソが対立していた東西冷戦の時代です。当時、アメリカは、自他ともに世界の宇宙開発をリードしていると考えていたようです。そして、1957年から1958年にかけて世界各国が協力して行う国際地球観測年には、人工衛星を打ち上げて宇宙から地球を観測する計画を発表しました。しかし、アメリカが人工衛星を打ち上げる前、1957年にソ連が人工衛星スプートニク1号を打上、その後も矢継ぎ早に有人宇宙飛行、無人月探査などを成功させ、ソ連は宇宙開発においてアメリカをはるかにしのいでいることを示したのです。米国は大変なショックを受けたのですが、それがスプートニク・ショックです。僕もびっくりしました。当時、宇宙開発・ロケットの技術は、長距離ミサイルの技術そのものだったことも、ショックを大きくした理由でした。そして、ケネディ大統領は、国会で「10年以内に人間を月に送り込み」挽回をはかるという有名な演説をしてアポロ計画が始まったということです。そもそも科学・技術の発展のためではなく、最初から国威発揚・軍事ミサイル技術挽回の計画だったのです。

当時、ベトナム戦争でアメリカによる北爆が激しくなった頃で、ベトナムの悲惨な状況が告発され始めた頃でした。僕は、素朴にアメリカは民主主義・人道的な国と思っていたので、とても驚きました。一方、僕にとって、アメリカは世界の天文学をリードする憧れの国でもあったので、とても違和感を感じ、葛藤がありました。

また長くなってしまい、そろそろ終わりにします。遠藤さんが「アナログな計器だけで、月行ってたの?!」と驚いていましたが、僕も同感でした。先輩に聞いた話では、アメリカの宇宙開発では、信頼性が最も重要で、必ずしも最新の技術ではなく、実績のある信頼性の高い機器や技術が使われたということです。

技術的なことで感心したのは、実際に飛行中の宇宙船と同じもの(宇宙船のコピー)が地上基地にもあって、いろいろなシミュレーションができることです。事故の後、帰途についた宇宙船は地球にたどり着くまでに必要な電力を確保できるかどうか深刻な問題になりました。そこで、技術者が宇宙船のコピーを使ってどのように節電すればよいか、不要な機器・装置を止めてシミュレーションし、節電法を探すのです。どのように節電しても電力が不足するということでハラハラしましたが、ついに必要な電力を確保できる節電法を見つけ出したのでした。これも、アポロ計画のすごいところだと思いました。

3年ほど前に、アメリカのヒューストンにあるジョンソン宇宙センターを視察したことがあります。そこに、『アポロ13』でもたびたび登場した、アポロ宇宙船の司令室がありました。「こちらヒューストン」のコールサインでお馴染みの司令室です。フライト・ディレクターの席に座り、あたりを見回しましたが、回転ダイヤル式の電話や、古めかしいボタンスイッチや計器が並び、事務机のようなスチールデスクの引き出しを開けると当時の手書きの指令書・命令書が入っていました。なんとなくレトロな「昭和の電話交換機室」と言った風情でした。この古い指令室は、アポロ計画を記念して、当時のままの形で残してあるということでした。その近くに、今活躍中の国際宇宙ステーションの司令室がありました。そちらは、見慣れた現代的なディスプレイやデジタル機器が並んでいました。

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▲米国ヒューストン、アポロ計画司令室のフライト・ディレクター席の土佐台長。 アポロ計画を記念して、今もそのままの形で保存されています。

 

映画『アポロ13』というより、アポロ計画全体を相手にすることになってしまいました。もちろん、刃が立つ相手ではありませんが、ちょっと引っかいたり、つねったりしてみました。科学を愛する者としては「本当のことを知りたい」、「科学・技術は、人間を大切にし、平和のために、暴力や欲望を制御するために活用して欲しい」と思います。

とりあえず、ここで一息。これで「ミッション」を果たしたことにして、これからは、「斬る」ことにこだわらずにお話しできればいいなと思います。endo.jpg


 遠藤さんに続く・・・

 

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まえがき その1 

 遠藤さん、こんにちは。天文台の企画に参加いただきありがとうございます。遠藤さんにならって、僕も「まえがき その1」ということでご挨拶を。

まず、遠藤さんと映画・SFについてお話しできること、僕もとてもうれしいです。

桜井薬局セントラルホールはときどきお世話になっています。「まちなかの映画館」、存在そのものが映画のようです。映画館に入るときは、映画の登場人物になったような気持ちになります。

先日、遠藤さんの映画館で『ふたりのイームズ』を拝見しました。デザイナー・建築家のチャールズとレイ・イームズ夫妻のドキュメンタリー映画でした。実は、彼らが1968年に製作した教育映画『Powers of Ten(パワーズ・オブ・テン、10のべき乗)』は科学教育映画の傑作として知られていますが、私も大学の講義や講演でよく使いました。また、天文台の展示室にも『パワーズ・オブ・テン』を発展させた映像展示「大宇宙スケールスコープ」があります。ということで、『ふたりのイームズ』を観に行ったのですが、意外なこと、知らなかったことがたくさんあり、興味深く拝見しました。

実は、手元に昔購入した『チャールズ&レイ・イームズの世界』(1986年)というレーザー・ディスクがあるのですが、その中に、映画で紹介されていた「コマ」、「ハウス」、「おもちゃの汽車のためのトッカータ」、「パワーズ・オブ・テン」などが収められていました。残念ながら、レーザー・ディスクの再生装置は生産・メンテナンスが終了してしまい、手元のレーザー・ディスクがいつまで見られるか分からなくなりました。今のうちにということで、久々に見直してみました。

最初から脱線してしまいましたが、幼少の頃から映画が好きだったので、あいさつの代わりに、僕の映画体験を語らせていただきます(長くなりそう!)。

幼少の頃、映画は最大の娯楽でしたが、それだけでなく様々な未知の世界が経験できる、世界を広げてくれる魔法の場でした。さらに、機械・メカが好きだったので、映写機を見たり、「ジー」という映写音を聞くとわくわくしました。『ニューシネマパラダイス』の少年トトのように、映画館の映写室は憧れの場所でした。また、映画館の前では、カッコいい大型オートバイでフィルムを配送するお兄さんの姿もよく見ました。大型オートバイのメカにも魅かれてじっくり眺めたものです。

学校の教室や夏の夜の校庭でもよく映画会がありました。今では考えられませんが、小学校の校庭にラグビーのゴールのようなポールを立てて、そこに白布を張ってスクリーンにし、夜になり暗くなるのを待ってそこに映写したのです。校庭に敷いたシートの上に座ったり寝そべったりして(蚊を追い払いながら)映画を見ました。一般向けの映画会は有料でしたが、僕たちは学校の抜け穴を良く知っていたので、暗くなるのを待ってこっそり校庭に忍びこんで映画を楽しみました。風が吹くとスクリーンが揺れ、ヒロインの顔がゆがんだりして、それを見て笑ったものでした。当時、僕たちは皆貧しく、映画に出てくる生活がうらやましく見えることが多々ありました。若者のグループが、きれいな服を着て自転車で走り回るシーンが続く映画を見て「いい暮らしをしているな」と「上流社会」の生活を話し合ったりもしました。後に、この映画は今井正監督の『青い山脈』と知りました。この校庭の映画会は、雨が降ると中止になりました。天文台の天体観望会のようで、少しおかしくなりますが、確かに、当時の映画の世界は「天上の世界」のようでもありました。

映画館も繁盛し、街角では映画のポスターが一番目立ちました。天文台の企画展示で紹介した『地球最後の日』も、派手でセンセーショナルなポスターがひときわ目立っていました。

新しい映画は子供たちの間でもよく話題になりました。ガキ大将のお兄ちゃんが新しい映画を見てくると、大げさな語りやアクションを交えて、映画の場面を再現してくれるのです。僕たちはそれを一生懸命に見たり聞いたりして、その映画を見たいものだと思いました。西部劇のジョン・ウェイン、『シェーン』のアランラッド、『真昼の決闘』のゲイリー・クーパーなどが活躍した映画でした。今は昔、昭和30年代・1950年代のことでした。

少年時代を振り返ると、日常の生活が映画のように思い起こされますが、僕が西公園にあった(旧)仙台市天文台に出入りするようになったのも思いがけないことでした。当時、旧天文台には、「加藤・小坂ホール」に名前のある小坂由須人さん(2代天文台長)がいらして、子供たちの相手をしてくれました。科学や天文学を教えていただきながら、『ニューシネマパラダイス』の映写技師アルフレードと少年トトのような関係になりました。あるとき、僕が将来天文学の研究をしたいと言ったら、「天文学者になりたければ、大学に行って物理学を勉強しなさい」ということでした。それが天文学への道標となり、今の仕事につながっているようです。もし、天文台が映画館だったら、僕はトト少年のように映画の世界に進んだと思います。

何十年ぶりかで思い出したことがいろいろ出てきて、止まらなくなりました。


ということで、ここで一休み。
つづきをお楽しみに。 遠藤さん、もう少し待って下さいね。

 

sf.jpg6月まで展示室の企画展示コーナーにおいて展開されていた、今年のテーマ「うつす」にちなんだ映画特集、「天文学でSF映画を斬る!」。これは、天文台台長土佐誠と、杜の都仙台まちなか映画館 桜井薬局セントラルホールの支配人・遠藤瑞知さんが、2人が大好きなSF映画の作品を題材に、片や天文学者の観点から、片や"ミーハー映画批評家"として、好き勝手に語ってみよう、そして斬ってしまおう!というコンセプトの展示でした。

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この企画展示は終了してしまいましたが、その続きをこのweb上で公開し、最終回は毎週土曜日に開催している台長の「トワイライトサロン」で、8月に直接対決!?を試みる予定です。

企画展示では、スティーブン・スピルバーグの普及の名作「E.T.」と、1951年に製作されたアメリカ映画「地球最後の日」を取り上げました。

今回web版第1回で取り上げる作品は・・・

『アポロ13』に決定!

ではまず、遠藤さんからお願いします。

 

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まえがき その1

こんにちは、台長。"うつす"というテーマから、映画館で働いている僕が天文台の企画に参加出来る機会をいただきましたこと、本当にありがとうございます。実は、僕も高校生の頃、天文に関わる仕事をしたいと思っていたんです。

僕が高校生の頃、おぼえたてのギターで弾いていたのは、さだまさしさん。子どもたちがまん丸い目をして、話を聞いてくれて、そのあと顔をあげていろんなことを自由に創造する。そんなきっかけとなるお話ができるような、そんな大人に将来なりたいなと憧れていました。彼の歌の「童話作家」とか「天文学者になればよかった」に影響を受けてます。(ベタですね、そして古!って、ことばが聞こえてきそうですが、・・・。)よく夏の蔵王に行って、流星飛び交う星空を眺めたり、プラネタリウムの星座にまつわる神話の話にロマンを感じてました。

でも、理系というか、もう〜算数から得意じゃなくて、早々と天文学の道は断念しました。今回、こんなチャンスが巡ってくるなんて、人生はふしぎですね。夢は、諦めた瞬間に捨ててしまうものではなく、心の中に大切に留めておくとこういう偶然に出逢えるんだと思いました。

大好きな韓国映画「猟奇的な彼女」(ちょっとタイトル怖いですけど・・・)の中でも、「偶然とは、努力した人に運命が与えてくれる橋なのです」という素敵なことばがありました。僕がどんな努力をしたのかは、いささか疑問ではありますが、今回こうして天文台の企画に参加することで、夢が叶ったことに感謝いたします。

 

まえがき その2

さてさて、長い前置きでした。(^^ゞ  
まだ、前置きが続きます。

"うつす"というテーマから「映画における宇宙」で、というお題をいただきました。しかし、どうも映画の中で描かれる宇宙というと、宇宙人や隕石が襲来し、人類に危機が迫るというものが多くて・・・、困っちゃいますね。そこで、先日の企画展では優しい宇宙人が登場する「E.T」を選ばせていただきました。言葉の通じない違った文化を持つ者同士の心のふれあいと、大人に内緒で自分たちだけでミッションをやり遂げる子ども達のワクワクドキドキのファンタスティックなアドベンチャー作品でした。

今回は、憧れの宇宙飛行士やロケットが出てくる作品として「アポロ13」をとりあげてみました。当時の最新鋭の技術とそれを使う男たちの物語であり、危機をどう回避するか緊張感溢れる作品です。


『アポロ13』

1969年、僕が小学生の低学年の時、アメリカはアポロ11号で人類初の月面着陸に成功しました。何度も見せられる月面歩行の映像と「これは、一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である。」という言葉にワクワクとドキドキをしたことを覚えています。

僕らが鮮明に覚えているのはそれまでで、その後のアポロ13については記憶が抜けてました。

人類初の月面着陸から一年、1970年に打ち上げられたアポロ13号の実話に基づき製作された、1995年に作られたハリウッド映画です。1993年の「フィラディルフェア」、翌94年の「フォレスト・ガンプ/一期一会」で、2年連続アカデミー賞主演男優賞を受賞した名優トム・ハンクスが主演したことでも話題になりました。

「13」という西欧では忌み嫌われるナンバーのこの宇宙船は、急遽乗組員の変更などドタバタしながらも発射の日を迎えます。打ち上げは無事成功し、順調な飛行を続けていましたが、酸素タンクの爆発から始まった酸素の流出により事態は一変し、月面着陸はおろか、地球へ帰ることさえ危ぶまれていきます。クルー達は、船の損傷もわからないまま地球帰還の道を探りますが、狭い船内に二酸化炭素が充満したり、大気圏再突入角度の計算もコンピュータを使えず、手動制御を余儀なくされるなど次々トラブルに見舞われます。宇宙船内とヒューストンにある管制室が、知恵とチームワーク、沈着冷静な判断で乗り切り、みごと地球に生還する物語です。

この作品が公開された95年といえば、ウインドウズ95が全世界で発売され、新たな時代の到来を予感させる年でした。映画館でこの作品を見た時は、特に違和感なく鑑賞しましたが、つい数年前TVで放送されていたのを見た時には驚きました。「エエッ、こんなアナログな計器だけで、月行ってたの?!」って。(笑)

それだけ今の僕らの生活の中にパソコンやら電子機器らが入り込んでいるんですね。様々な大きさのディスプレイに囲まれて、計器もすべてデジタル表示が当たり前になっちゃっていますからね。僕らの生活も、僕らの視点も、大きく変わっていることを再確認しました。

2010年に、7年間にも及ぶ、60億キロメートルの長い宇宙の旅をして、サンプルリターンした惑星探査船「はやぶさ」の帰還がありました。

様々なトラブルに見舞われながらも諦めず地球から信号を送り、サポートし続けたスタッフの頑張りと、燃え尽きながらも貴重な資料を持ち帰った小さな探査船に日本中が沸きました。人々は、まるで"はやぶさ"を生きているものかのように賞賛し、"はやぶさ"から勇気をもらいました。あの時、そのニュースが、僕はアポロ13号と重なって見えていました。

きっと一人のヒーローが孤軍奮闘して苦難を乗り切るのではなくて、チームワークで苦難を乗り越えたという出来事と、未知なる宇宙が舞台だということがそう思わせたと思います。

太古の昔より、人は星空に夢やロマンを感じ、脅威さえ感じていました。そこに踏みいることは、"入っちゃいけない領域"への挑戦でもあるからです。

だから、失敗したはずのアポロ13号の飛行が「輝かしい失敗」として伝説として語られているのも頷けます。

空は青く美しく、その上に広がる宇宙空間は、神秘で神々しいもの。そこを目指すには、生半可な気持ちではいけません。神聖なるものに真摯に向き合い、持ち合える知恵と技術を結集して向かわなければならないのです。

しかし、映画の中では、視聴者(当時のアメリカ国民)がみんな馴れちゃって、視聴率が取れないからという理由で、各TV局が宇宙船と交信する番組をとりやめてしまいます。誰のせいだとか誰かが悪いとかいう話ではなくて、神聖なるものに対して、油断というか、過信がスキが生んでしまったということでしょう。数字の「13」が不吉な数字とかいう前に、そうした私たちの姿勢そのものに警鐘を鳴らしているようです。日々の生活においても、奢ることなく過ごしなさいとね

宇宙船の中では、生命線である少なくなった酸素と電力を維持するために、交信以外の電子機器(コンピュータ類も含め)を全てシャットダウンさせました。電力消費を抑え、帰還のチャンスを広げるための努力です。暖も取れず宇宙空間を飛ぶ船内の気温は、1~4℃しかなかったそうですから、過酷な寒さに耐えながらの帰還はまさに奇蹟です。

トラブルに見舞われた時、冷静に知恵を絞ること。我慢できるものは我慢し、耐えるという姿勢は、今を生き抜くために必要な術のように思えます。アポロ13号が飛んだ頃の日本は、まだまだ貧乏でした。それがバブルという不思議な時期を経験し、誰もが裕福になった幻想を見せられました。幻想だったと気づかされた後も、あの頃の飽食と幻想を引きずって、またそうなりたいとさえ思っている。トム・ハンクス演じるジム・ラヴェル船長がそうしたように、無いなら無いものとして、知恵を出そうという考え方は大切だと思うのです。たとえば、2011年を経験した日本人として、電力のあり方とかにも通じると思うのです。

そう思うと、劇場公開された時より、むしろ今こそ見るべき時のようなカンジさえします。あ、ちょっと違った方向に行っちゃいました?!(汗)

すぐ近い将来、お金さえ出せば、誰でも宇宙旅行に行ける時代がやってきます。こういう言葉は、似合わないのですが、宇宙旅行がカジュアルになります。でも、だからこそ私たちは、私たちを取り巻く自然や宇宙の未知なるものに畏敬の念を抱きつつ、興味を持ち、探求していかなければなりません。大人は、そのことを夢見る若者に伝えて行かなければなりません。映画化された漫画「宇宙兄弟」もあり、宇宙飛行士を目指す人が増えていると聞きます。ああ、やっぱり天文学者や天文に関わる仕事したかったなぁ。もう遅いですけどね。(笑)
台長、映画のお話はモチロンですが、天文のお話もぜひ聞いてみたいです。

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遠藤 瑞知
街なか映画館 桜井薬局セントラルホールの支配人。
NHK仙台放送局夕方の「てれまさむね」(18:10~)内
仙台の歴史ををゆる~く訪ねるお散歩コーナー「てれまさんぽ」に月イチ出演中。
次回は7月16日(火)予定。
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台長に続く・・・daocho.jpg

 

 

名刺の使命

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 先日、天文台スタッフの赤いつなぎのユニフォームをご紹介しました。初対面のお客さんがあった時に最初に話題になりますが、次に話題になるのが名刺です。
 いつもは、名刺が私をお客様に「紹介」してくれるのですが、今回は、私が私の名刺を紹介します。

 初対面の挨拶はいつもうやうやしく名刺の交換で始まります。名刺の交換には「作法」があるようで、特にお仕事で来られた方は実にスマートに名刺を差し出され、私の名刺を受け取ってくれます。新入社員は、社員教育の最初に名刺交換の作法を習うと聞きましたが、私は、職業柄(?)そのような「教育」を受ける機会が無かったので、名刺を無造作に差し出し、相手の名刺を無造作に受け取ってしまいます。
 実は、私は名刺の交換が少し苦手なのです。「作法」を知らないことに加えて、私の名刺が少し変わっているので、渡すのがちょっと恥ずかしく、ためらってしまうのです。

 私の名刺の表には、左上に名前と肩書き、下の端に小さな文字で1行メールアドレスが印刷されています。活字はそれだけですが、中央に仙台市天文台の矢印型ロゴ(VI=Visual Identityと言います)とその矢印の先にピンボケの赤いリンゴが印刷されています。名刺を見て怪訝な顔をされる方が多いのですが、「きれい、すてきな名刺ですね」とお世辞を言ってくれる方もあります。
daichomeishi1.jpg このリンゴの写真、上下にぶれてピンぼけなのですが、そこに注目した人は「落下するリンゴ、ニュートンのリンゴでしょう!万有引力の法則ですね」と言ってくれます。「正解!」ですが、それだけではありません。
 名刺を裏返すと、黒地に白抜きで住所と電話番号、ウェブサイトのURLが小さな文字で印刷されています。そして、たくさんの小さな白い点が見えます。印刷のムラかゴミのようですが,実は夜空の星々を表しています。しかも、実在の夏の星座が配置されているのです。中央上端の大きな白点はこと座のベガ・織姫、右下端にはわし座のアルタイル・彦星、そして左端にははくちょう座のデネブがあり、夏の大三角を作っています。仙台は七夕まつりの街・星の街ということで、七夕の星があしらわれているのです。daichomeishi2.jpg さらに、左下の隅に月らしきものが4分の1ほど顔を出しています。「これは何? この位置に月が見えることはあり得ない!」と思われた方は天文に詳しい方です。その通りですが、宇宙から見た仮想の月ということでご容赦ください。月のそばに2つの赤い点(小さな三角印)がありますが、この2点を結ぶ線を折目にして、隅の三角形を名刺の表に折り返すと、月とリンゴが重なります。つまり「月もリンゴも、地球の重力・万有引力に引かれて落ちている」ということ表した「おち」というわけです。
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 「名刺を折るのはちょっとためらわれる」という方も多いようですが、しばらく前にある県の知事選挙の後に起こった、いわゆる「名刺折り曲げ事件」が思い起こされるからのようです。県知事選挙が終わり、当選した新知事が庁内を挨拶回りしているとき、新知事の当選に反対の一人の県庁職員が、知事に渡された名刺を面前で折り曲げたのです。その後、この「不作法」に非難が殺到し「事件」になったのです。私もテレビの報道でその場面を見ましたが、その「作法」に驚きました。
 ところが、「名刺の隅を折る」習慣が西洋の上流社会にあったのです。プルーストの長編小説『失われた時を求めて』の中に出てきたのですが、当時のフランスの上流社界では、パーティなどで大勢の来客あるとき、主人に会うことができなかった訪問客が名刺の隅を折って名刺受けに置いて帰る、という習慣があったそうです。本人が来たという証拠、アリバイ(現場不在証明)ならぬ「現場存在証明・出席証明」というわけです。
 私も、自分の名刺でも折り曲げることに少し抵抗がありますが、こんな「蘊蓄」を言い訳に、名刺の隅を折り曲げながら説明します。
 こうして、月もリンゴも一緒に「落ち着いた」ところで、しばし本題を忘れて、話題が名刺から宇宙へ飛び出すこともあります。

 ここで、この名刺のデザインと天文台の使命・ミッションとの関係を説明しなければなりません。仙台市天文台では、施設の使命・ミッションをできるだけわかりやすい言葉で表そうと考え「宇宙を身近に」という言葉を選びました。天文台のモットーです。実は、この名刺も「宇宙を身近に」するためのツールになっているのです。

 名刺は本来「氏名」という情報を伝えることが使命ですが、私の名刺は本来の使命を「忘れて(?)」、「宇宙を身近に」という天文台の使命・ミッションを伝えようとします。そのためには、私が説明したように名刺を「紹介」しなければなりません。しかし、名刺の交換は短時間で終わり、「ヘンな名刺」という印象を与えただけで終わってしまうことが多いようです。
 ということで、今回は、私の名刺を詳しく紹介しました。これで、名刺はめでたく使命を果たすことができたと思います。

 ふだん名刺が話題になることはあまりないと思いますが、仙台メディアテークの館長・鷲田清一さんが「おしゃれな名刺」と題してすてきなエッセーを書いていらっしゃいます(『新編 普通をだれも教えてくれない』ちくま文芸文庫)。名刺から見えてくるその人の生き方や人と人のつながりを語っていらっしゃいます。名刺から広がる「人の宇宙」が見られます。一読をお勧めします。

仙台市天文台を訪問された方はご存知と思いますが、天文台のスタッフは赤いつなぎのユニフォームを着用しています。似合っているかどうか気になるところですが、新しいお客さんがあると、最初に話題になるのがこのユニフォームです。「良く似合う、宇宙飛行士みたいでかっこいい」とお世辞を言ってくれる人、「車の整備ですか」と揶揄する旧友、反応は様々です。

 若者やスタイルの良い人が着た姿は、たしかにかっこよく、あるいは「かわいく」見えます。しかし、私が「その気」になって鏡に向かうと、鏡に映った姿を適切に表現する言葉が見つかりません。やはり「油汚れがないのが少し不自然」でしょうか。

 実は、この赤いつなぎのユニフォームはARATAこと井浦新さんのデザインです。有名な俳優・ファッションモデル・ファッションデザイナーのデザインですが、しばらくの間、私はその「ありがたみ」を十分に理解せずに着ていたようです。

 先日、その井浦新さんがNHK・Eテレの「日曜美術館」に出演しているのを拝見しました。「日曜美術館」は昔からよく見ている好きな番組ですが、今年度からアラタさんがレギュラー出演するということ、うれしいニュースです。落ち着いた静かな話しぶりは、美術番組にふさわしく感じました。ということがあって、アラタめて(見て!)赤いつなぎのユニフォームを一層身近に感じています。

 ユニフォームは日本語では制服、制服といえば最も身近なものは学校の制服でしょう。学校の制服については、昔から生徒指導・管理の問題として、あるいはファッションの問題として様々な議論がありましたが、先日、今も制服が厳しくチェックされる学校の話を聞きました。

 そこで思い浮かんだのが、「毎年この季節になると、憂鬱になる。花粉症のせいもある。が、なによりもファッションがこの季節には、いつも管理の問題とからめて話題になるからだ。」という哲学者の鷲田清一さんの言葉です。これは『新編 普通をだれも教えてくれない』(ちくま学芸文庫)の言葉ですが、この本の中の「学校と制服1」(1996年)、「学校と制服2」(1997年)で学校と制服、服装に関する興味深い考察が述べられています。学校の制服を語るとき、ぜひお読みいただきたい本です。

 鷲田さんは、著作物を通じての「(片思いの)友だち」ですが、昔から敬愛している哲学者です。その鷲田さんが、今年度から仙台メディアテークの館長に就任されました。うれしいニュースです。

 ということで、井浦新さんと鷲田清一さんのニュースがうれしかったので、ユニフォームについて書いてみました。

 ユニフォームは任務や仕事を首尾よく遂行するための衣服ですが、私たちの場合、来館者に見てもらうものでもあります。まず、来館者が一目見てスタッフとわかり、近づきやすいこと。そして、天文台の施設や背景に調和し、来館者に好感を与えるものが望ましいと思います。来館者の声を聴くと、赤いつなぎのユニフォームはそのような要求に適合し、好評のようです。一安心して、ユニフォーム姿のスタッフを見ていると、次のようなことを感じました。

 ユニフォームは個性を薄めて画一化するものと思っていましたが、ユニフォームを着用することによって、むしろスタッフの人柄や個性が引き立ち、その違いがより明瞭に見えるような気がするのです。同じ包装の方が中身の違いがよく分かる、ということでしょうか。あるいはスタッフの意識が制服化されていないことの証明でしょうか。

 こう考えると、ユニフォームはスタッフの皮膚のようでもあります。そうだとすると、「われら赤色人種、赤いつなぎの新人類」ということになります。赤い顔はしていないのですが、酒好きの集まりと誤解されそうなのが心配です。(「誤解ではない」と影の声。)皮膚の色が問題ではなく大切なのは中身、皮膚を意識せずに各自の思いをのびのびと表現できればいいなと思います。

 天文台のユニフォームは、夏になると黒のTシャツと黒のパンツ(長ズボン)になります。黒一色、「ユニ黒」ですが、こちらは無名のブランドです。誤解のないように。以前、赤いつなぎのユニフォーム導入前に、黒のユニフォームについて「台長コラム」に書いたことがありました。「白と黒と天文台のユニフォーム」ですが、まだアーカイブで閲覧できるようです。参考まで。

 少し前のことですが、今年の年頭に「2013年のご挨拶」を展示室に展示しました(仙台市天文台のウェブページでも閲覧できます。「仙台市天文台について」>「台長からの2013年のご挨拶」)。仙台市天文台の今年のテーマは「うつす」で、天文学や宇宙に関係するいろいろな「うつす」を考えてみました。天文台では、今年は「うつす」をテーマにいろいろな活動を展開します。
 
 新年は新しい計画を立てたり手習いを始めたりするチャンスですが、新しい手習いを始め、すでに成果を上げている方も多いと思います。私の場合、新年を迎え「今年こそは」と考えているうちに「新年度」がやって来てしまいました。二度目のチャンス到来ですが、もう4月も半ばを過ぎてしまいました。パソコンに「しんねん」と入力したら「信念」と変換され、私の信念が問われているようで、パソコンの画面をナナメに見たりしています。

 実は、私にも毎年「今年こそ、今年度こそ」と思うことがいろいろあります。家族や友人に揶揄されることを恐れて秘密にしていますが、同時に浮かぶのが「今さら」と「六十の手習い」という言葉です。(後が続かなくなるので、「今さら」はちょっと棚上げにしておきます。)

 「六十の手習い」は、学問や習い事をするのに年齢制限はない、何歳になって始めても遅すぎることはないという意味が込められていて、「六十」は「七十」でも「八十」でもよいということです。心強い言葉ですが、そこで思い浮かぶのは白洲正子さんが、友人から聞いたという言葉です。「六十の手習いとは、六十歳に達して、新しくものをはじめることではない。若い時から手がけてきたことを、老年になって、最初からやり直すことをいうのだ」(『私の百人一首 愛蔵版』新潮社)。そこで、白洲さんも、若いころから親しんできた百人一首を改めて考えてみたい、ということでした。 

 話が長くなりそうですが、ここまでが「話の発端」です。

 「六十の手習い」の続きですが、私は1944年生まれ、いつの間にか60歳台後半、シニアと呼ばれる歳になりました。そこまで「長生き」すると、今となっては役に立たないモノがたくさんたまりました。そろそろ身の回りのモノを整理しておかなければと思うのですが、そんな中で処理に困るのが本です。

 古い本から整理しようと思うのですが、むかし苦労して勉強した本や、大きな出費に懐を痛めて買った本などは簡単には「整理」できずにいます。そんな本をパラパラ開くと、難しくて歯が立たずに途中でギブアップした本が、今読むと意外にスラスラ理解できたり、意味が分からずつまらないと思っていた本が、今読むと意外に面白かったりします。ということで、処分するつもりだった古い本を段ボール箱から掘り出して本棚に並べ、再チャレンジするつもりになっているのです。

 そこで改めて白洲さんの「六十の手習い」を考えるのですが、「若い時から手がけてきたこと」だけでなく「若い頃トライしてギブアップしたこと」を追加したくなります。

 天文学や宇宙に興味を持つ人は多いようですが、実生活からは少し距離があるようです。時々、自分も天文学が好きで天文学を勉強したいと思ったけれど、天文学では食べていけないのであきらめたとか、大学で物理学を学んで天文学を学びたいと思ったが、天文学のコースが無かったので学ぶことができなかった、というような話を聞きます。天文学に限らず、若い頃トライしたいと思ったけれど、あるいはトライしたけれど、「諸般の事情」であきらめたという話はよく聞きます。

 「六十の手習い」は、いずれ再チャレンジと思っている方、忘れていたそんな気持ちを思い出した方に再チャレンジを呼びかける言葉のようです。始めるのに年齢も時期も関係なし(年始も年度始めも関係なし)、思い立った時がチャンスというわけです。

 現代の天文学は、400年前にガリレオが望遠鏡を宇宙に向けたときに始まるといわれます。そのときのガリレオの発見は、小さな望遠鏡や自作の望遠鏡で追体験することができます。

 現代の天文学は、物理学を基礎とすることから天体物理学と呼ばれますが、その基礎は、19世紀から20世紀にかけて、物理学と技術の進歩によって築かれました。そのとき天体観測で活躍したのがひとみ望遠鏡と同じ程度の口径1-2 メートルの天体望遠鏡です。

 物理学を学びながら、ひとみ望遠鏡で観測し、観測データを物理的に分析すれば、現代天文学・天体物理学の発展を自ら追体験することができます。むかし物理学を学んで、天文学にも興味があった、天文台がそんな方の再チャレンジの場になったら面白いと思っています。

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第14回<前編> こうじ(詩人)→まこと(天文学者)へ

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まことさん、こんにちは!
 
残念ですが、今回でこの連載も最終回になります。。。
 
この時期ははじまりの季節でもあり、なにか区切りをつける季節でもあるんですよね。
 
実はまことさんとの日記のやりとりから、いろいろ書いていたものがあって、いつか発表したいと思っていたものがいくつかあります。

今回は最後ということで、少し載せようと思います。
 
なので、ちょっとまとまりがない文章になると思いますが、お許しください。
 
実は、月の詩もいくつか作ってあったのですが...。
今回はまことさんの日記を受けて「月を食べる」を載せます。
 
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月を食べる
 
ビルと教会の間にある
公園を歩きながら
月を食べてみた
いつかこの病気も治るかな
そんなことを想いながら
気がついたら
いろんなものを部屋に忘れてきた
とりあえずマフラーで
できるだけ顔を隠していこう
進まないと終りだと言われる
みんなつまらないのに
大人になれる
電話は切ったはずなのに
まだ話は終わっていない
カボチャの馬車に乗って
絵文字の月を空に置こう
ぼくのはじまりにいこう
そこでのぼくは
ちょっといい奴なんだ
 
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日記を読み返してみると、はじまったのが2010年。2年前といえば、まだそんな前じゃないのに、ずいぶん昔のようにも思えます。}

ぼくはプラネタリウムで詩を読むようになって、宇宙や星に対する興味がさらに湧いてきました。子どもの時から、感じていたことや、不思議に思っていたことを、改めて考えたというか...。

きっと、この日記を始めた時は、素朴な疑問をいろいろと訊いてみようと思っていたんだと思います。だけど、いざ書いてみるとなかなか難しい...。

いつも何度も読み返しては、直し、最終的にはなんか、物足りないものになってしまう感じがありながら、更新していました。
 
そうそう、この連載はいろいろなところで話題になりました。友人、知人はもちろん、仕事などで出会った方も、よく話題にしてくれました。

その際に言い訳がましく、上記したようなことを言うと、みんな「わかる、わかる」と言ってくれました(特に男性)。

きっと宇宙や星というのは、そんな風にみんな、興味があって、いろいろ知りたいんだけど、いざ言葉にしたり、話のテーマにすると、なんか不思議に思っていたことから、ズレていってしまうものなのかもしれません。

ぼくはこの連載のおかげで、いろんな方と星や宇宙、プラネタリウムのことなどを話すことができて、刺激的でした。まさに「宇宙を身近に」ですね。
 
それから、まことさんはすごい読書家ですよね。まことさんの中にある宇宙に触れることは、まことさんの言葉に触れることでした。
 
ぼくは、この連載の間に、文学館の作品をまとめた本、動物園の作品をまとめた本、そして、天文台で発表してきたものをまとめた本を作りました。

それは、ぼくにとって、とても充実した活動であり、仕事でした。うまく言えないのですが、なんか、いろんなことが見えてきたような気がしていたのです。

そんな中、2011年3月11日がありました。見えていたもの、触れていたもの、そして感じ、考えていたことが、今はわからなくなっています。
   
うーん、長くなってきたし、うまくまとめられなそうなので、この辺にします。すでに何度も読んで、書き直していて...。詩を載せるタイミングを見失ってしまいました。

なので、最後にもう一つだけ、詩を載せたいと思います。
 
まことさん、今まで、ありがとうございました!
 
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銀河の途中
 
携帯の待ち受けを変えるように
宇宙の模様を変えた
4つの季節がちょっと意地悪をして
ロケットを迷子にしてしまう
一日が横に広がる
今、何時かな?
雨に濡れたけど
いいよね
うん、いいよね
 
思いがけないプレゼントを
さりげなく渡すようなイメージ
今 はじめての宇宙
星屑のタトゥーを心に入れたら
バターみたいに想い出が溶けていった
もうすでにたくさん働いた
だからたくさん帰りたい
宇宙みたいにゆっくりいなくなれたら
いいな

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(3月2日) 

 

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第13回<前編> こうじ(詩人)→まこと(天文学者)

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まことさん、2012年になりました。
今年もよろしくお願いします。
 
本来なら、こうして年始の挨拶をすると気分が自然と新しくなり、気持ちを切り替ることができるのですが、どうにも今年はうまくいきません。

まことさんの日記にも書いてありましたが「2011年は終わらない」感じがあるのでしょう。
 
まことさんの日記に書いてあった「地球の時間」と「空っぽの言葉」というフレーズを、ずっと考えています。
 
震災でぼくたちが出会ってしまった時間、痛み、悲しみを想い続けること。
そして、あの時出会った時間の中で感じた、生きていること、本当の幸せ、を想い続けること。
 
いつか、ぼくたちの震災の向き合い方、ぼくたちにできることをお話したいです。
 
*
 
さて、前回に引き続き、月の話です。
 
12月のぼくの出番(ワンコイン・プラネタリウム)はまさに月食の日でした。
 
キラキラのみんなも含め、あの日はなんか、天文台全体のテンションが違っていたなぁー。
 
ぼくもとても興味があったので、天文台に残って見ていこうかなと、悩んだのですが、寒さに負けて帰りました。
 
家に帰って見ようと思ったのですが、ミルク(犬)とくっついていたら、いつの間にか寝てしまいました。
まことさんに謝ることではないのでしょうが(笑)なんか、、、すいません。
 
それにしても、月が欠けていくことを「食べる」という言葉で表すのは、面白いですよね。
これは日本ならではの表現なのでしょうか。
興味深いです...宇宙というレストラン。。。
(HPを見たら、今年のテーマはまさに「食」なんですね!)
 
今年は月と星をたくさん見たいと思っています。
 
最後に前回の続きの詩を載せます。
 

みちる月
 
落ちてくる雨と同じ数くらい
いろんな生き方があると知って
怖くなってきみに電話したのは
いつのことだったか
「これでも聴きなって」
レコードを貸してくれた
今でもよく思い出す
あのギターの音
空からこぼれるくらい
月が溢れて
きみは女性になっていった
一つあきらめるたびに
二つつながっていく言葉
歩くための灯りと靴下
ミルクと行こう
ラズもいる
サンちゃんも

(1月10日)

 

第13回<後編> まこと(天文学者)こうじ(詩人)


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こうじさん、月の詩をありがとう。

月の話題は尽きませんね。
昨年末の月食は残念でしたが、天文学の食は食物と違って、繰り返し見られますから次の機会をお楽しみに。

そういえば、1月27日(金)の夕方、日没後西の空に細い月と明るい金星とのランデブーが見られますよ。金星はマイナス4等、一等星を百個集めた明るさです。一見の価値ありです。

今年は、金環日食をはじめ、天体の食現象の多い年です。そこで、天文台の今年のテーマは「たべる」、「食」です。このウェブサイトの台長の挨拶「2012年、食を楽しむ」にいろいろな食現象を紹介しましたのでご覧下さい。

最も身近な食といえば、日食・月食ですが、古い本には日蝕・月蝕と書かれています。室町時代の古い文書にも見られるということで、日蝕・月蝕は古くからある言葉のようです。

蝕の訓読みは「むしばむ」、虫が食って形を損なう、虫くいになることを表す言葉ですが、文字の形からも想像しやすいですね。浸蝕や腐蝕という言葉がありあますが、だんだん朽ちていく感じがします。

月食のときに月が欠けていく様子は、欠け際がボヤーとしていてはっきりしないので、食べられるというよりは少しずつ浸蝕されていく感じがします。日食の方は欠け際がくっきりしていて、食べられちゃったという感じがしますね。葉を食べるとき、端からきれいに円弧状に食べる虫がいますが、その形は日食のときの欠け方を連想させますね。

英語では、月食はlunar eclipse(ルナー・エクリプス)、日食はsolar eclipse(ソーラー・エクリプス)で、食・蝕にあたる言葉はeclipseです。ギリシア語の「外へ去る」ことを意味する言葉が、ラテン語を経て覆い隠すという意味の英語になったと辞書にありました。

太陽の代わりに星が月に隠される現象は星食と言います。古い本には掩蔽(えんぺい)と記されていますが、覆い隠すこと、隠して見えなくする意味だそうです。難しい言葉で日常生活に使うことはほとんどないと思いますが、似た言葉に隠蔽がありますね。こちらは最近よく見聞きする言葉ですが、都合の悪いことを意図的に隠すようなネガティブなニュアンスが感じられます。

星食・掩蔽は英語でoccultation(オカルテーション)と言いますが、やはり蔽い隠すという意味です。オカルトに似ていますが、同じ語源のようです。

現在は「蝕」の代わりに「食」使うと辞書にありました。僕には、「食」からは食べ物や食事が思い浮かびますが、「蝕」となると、食べ物から離れて、朽ちていくような、崩れていくような、食とはずいぶん違う感じがします。

ずいぶん「食・蝕」にこだわってしまいましたが、ちょっと気になっていたので調べてみました。言葉や文字は、背後にいろいろな歴史や奥行きがあり、なるほどと思うことがありますね。時々、ふだんよく使っている言葉なのに、意味や語源が急に気になることがあります。こうじさんはいかがですか。なんとなく思いつくことを書いていたら取り止めが無くなりました。では、また。

(1月26日)

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ごあいさつ

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2012年、新年のご挨拶をしようと思っているうちに、もう1月も終りが近づいてしまいました。新年のご挨拶の時期を逸してしまいましたが、その後の近況を。

年末年始は、九州の桜島・霧島・阿蘇の火山を訪ねておりました。昨年、大震災に関連して「地球の営み」と言う言葉を何度か使ったのですが、すこし気になっていました。私が最も「地球の営み」を感じるのは火山活動です。最近桜島の火山活動が活発と聞き、「地球の営み」を確認したくなって、年末年始の休みを利用して九州に取材に行ってきました。滞在中、激しく噴煙が昇る姿が何度か見られました。

また、以前に石黒耀著『死都日本』(講談社、2002年)を読んでこの付近の火山に興味を持っていました。この小説は、九州南部に隠れている巨大火山群の噴火が、もし現代の日本で起きたらどうなるかというシミュレーション小説です。実際の地形を見ながら小説を思い起こすと、そのスケールに圧倒されます。いずれ、機会を見てその時感じたことをご報告したいと思います。

1月3日に九州から仙台に戻り、4日から仕事始め・新年の挨拶回りの後、1月9日から20日にかけて、全国科学博物館協議会(略称「全科協」)による海外科学系博物館視察研修に参加しました。今回はアメリカのシカゴ(フィールド自然史博物館、科学産業博物館)、ニューヨーク(リバティ・サイエンスセンター)、ワシントンDC(スミソニアン自然史博物館、ホロコースト博物館)を公式訪問しました。公式訪問の間の自由時間には、他の博物館や美術館なども訪ねましたが、これについては、近日中に「日記」でご報告したいと思います。
 
仙台市天文台では毎年テーマを選んでテーマに沿った活動を行っていますが、今年のテーマは「たべる」、「食」です。天文学では、天体が他の天体を隠す現象を食と言いますが、様々な食現象があります。実は、今年は金環日食や金星の太陽面通過など、いろいろな食現象が見られます。当ウェブサイトの「台長からの2012年のご挨拶」に天文学の「食」をご紹介しましたので、ご覧いただければ幸いです。
 

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武田こうじさんご出演のスペシャルプラネタリウムは1/14(土)19時~です!

第12回<前編> こうじ(詩人)→まこと(天文学者)

kouji.jpgまことさん、こんにちは。
月のお話、ありがとうございます。

この星の歴史に月は欠かせないものなんですね。
月がなかったら、1日の時間まで変わっていたなんて、すごすぎます。

実は先月、ぼくの誕生日があって、天文台のキラキラ(※)のみんなから望遠鏡をプレゼントしてもらいました!!!!!
もう、うれしくてうれしくて、いつも覗いています(笑)。

いつもぼくはプラネタリウムで星をみていたので、改めて空の星を観ると、いろいろな想いが浮かび、言葉を探し始めます。

さらにぼくのライブの時に、夜空の見つけかたが書いているある本をプレゼントしてもらいました。
(ほんと、キラキラのみんな、ありがとう☆)
これまた、うれしくて、いろいろな締め切りから逃避したい時に(笑)ついページをめくってしまいます。

空をみて、ページをめくり、月の詩を少しずつ書き始めています。

夕月

あれはぼくが夏の公園も
冬のドライブも知らなかった頃のこと
歌を歌う人も
野球選手も
天気予報を伝える人も
みんな年上だった
部屋にポスターが増えていく
生きている時間が遅くなっていく
夕暮れにちょこんと月が座っている
想い出になることも知らずに
誰かを好きになって
今はもう色褪せたタイトル
友だちに「ほんとうの」って言葉を使うようになった時
ぼくはもう戻れないことを知って
自分に遠慮してみたんだ

※キラキラ=天文台若手スタッフの愛称「キラキラ探検隊」のこと

(12月8日)

 

第12回<後編> まこと(天文学者)→こうじ(詩人)
makotokao.jpgこうじさん、望遠鏡を手に入れたそうですね。望遠鏡で月を見ましたか。クレーターは見えましたか。感想はいかがですか。12月10日に皆既月食がありましたね。天文台では、月食の前半はよく晴れて、とても大勢の人が集まりお祭りのようでした。こうじさんは見ましたか。

今年は月の話題で終わりそうですが、12月27日夕方の西の空で細い月が宵の明星金星に近づきます。今年最後の月と金星の出会いですが、けっこういい風景になるはずですよ。夕焼けが残る中、金星と細い月が並んだ風景はとても好きですが、ときには、なぜか少し寂しく感じるときもあります。風景が黒いシルエットになって遠のき、一日の終りを感じさせるからでしょうか。

細い月は日没後すぐに沈んでしまうのでつい見逃してしまいます。見たい時にはアラームをセットしておくといいですよ。このような月と金星の出会いは、来年5月頃まで毎月一回見られます。金星と出会う月はいつも細い月ですが、理由があります。考えてみてください。
 
「月」と言うと、天体の月だけでなく、時間の長さの「月」もありますね。月の満ち欠けの周期、ひと月は約4週間、日常生活の区切りとしては絶妙な時間の組み合わせですね。でも、一月の長さは状況によって感じ方が違います。楽しいことを待つときには「まだひと月もある」と感じ、受験生には「残りはもうひと月しかない」ということになりますね。12月に入って今年の残りがひと月を切ると、年の終わりを切実に感じます。

ひと月を12回繰り返すと1年ですが、今年はなぜか時間が止まったり、戻ったり、月が前後に入れ替わったような錯覚に陥ることがありました。物事の順番が時間の本質ですが、僕の時計は大地震と放射線の影響で狂ってしまったようです。そんなわけで、カレンダーと予定表を確認する機会が多い一年でした。

東北地方大震災は千年に一度の大地震、地球の時間の出来事でした。思いがけなくも私たちは地球の営みに立ち会ったことになります。いろいろな時間が出会った年でした。
 
この一年を振り返ると、もう一つ気になったことが言葉です。大震災に関連して、不意に何か言わなければならない場面が何度かあり、ふだんは使わない言葉を無理に使ってしまい、後で気になって辞書を引いたりしたことがありました。辞書を引く機会の多い年でした。

言葉はふだんそれほど意識せずに使いますが、口から出た後、納豆が糸を引くようにいつまでも意識から離れない言葉もあります。いつも自分が使っている言葉は気にならないけれど、借りた言葉やふだん使わない言葉は使った後いつまでも気になります。「自分の言葉」というのがあるのでしょうね。

本来、言葉は人や神様に心を伝えるものだと思うのですが、伝えるものが無い、心がこもっていない空っぽの言葉は、受け取る人がいなくて、発した人のところに戻ってくるような気がします。それを受け止め、使い方を覚え、自分の言葉にしていくのかもしれませんね。簡単な言葉でも自分の言葉になるまでには時間がかかるようです。辞書に並んでいる言葉と、人が発する言葉の違いがそこにあるのでしょうね。

「糸」と言えば「今年の漢字」の「絆」の偏になっていますね。私は使ったことがない言葉ですが、本来の意味・語源はどのようなものでしょうか。漢字の形から意味を想像するのは難しいですね。
 
この一年を振り返って何か気のきいたことを書こうと思ったのですが、収拾がつかなくなりました。すぐに思い出せないことがいろいろあります。代わりに「失われた時」という言葉が浮かんできました。「失われた時」と言えば、前にお話ししたプルーストの『失われた時を求めて』は全13冊のうちやっと第6冊を読み終える所です。読了まで時間がかかりそうです。

とりあえずここで筆を置こうと思ったのですが、まだ収まらない気がしてなりません。東北地方大地震と原発事故のことがどうしても受け止めきれずに年を越しそうです。僕にとって、2011年はいつまでも終わらないようです。

では、こうじさんお元気で。来年もよろしく。

(12月25日)


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第11回<前編> こうじ(詩人)→まこと(天文学者)

kouji.jpgまことさん、こんにちは。
ようやく秋になりましたね。
秋は好きな季節です。
毎日ミルク(犬)の散歩で公園に行くのが楽しいです。
 
詩集『チカチカ』へのお返事、ありがとうございます!
実は、詩集のタイトルを決めるのに、とても時間がかかりました。
いろんな候補があったんですよ。
シンプルに『12星座の詩』、または『プラネタリウム』。
それから『こんや』...で、散々迷った挙げ句、『チカチカ』に決めました。
 
ワンコイン・プラネタリウムで「12星座」の魅力に魅せられ、だけど、実際の星でなく、すべて「プラネタリウム」で見た星なんだよなぁー、と思い、そんな中「こんや」という詩ができて、それが自分でも気に入っていて...と、こんな感じで悩みながら、『チカチカ』にしたのは、子ども時に星を見ると「チカチカしているー」といつも言っていたからなんです。
 
街の灯りを見ても、星を見ても「どうして、チカチカしているんだろう」といつも思っていたんですよね。キラキラでもなく、ピカピカでもなく、チカチカ...。プラネタリウムに入る度に、そのことを思い出し、心に引っかかっていたので、そのタイトルにしました。
 
そして、月の歌詞の「まるいまるい」って、不思議な歌詞ですね。
ぼくもたまに歌詞を頼まれてつくったりしますが、とても「まるいまるい」みたいな感じは思いつかないですもんね。
そして、月を眺めても「まるいまるい」とは思いつかない...うーん、深いような、単純なような...これも、月のマジックなんですかね。
 
星座の詩をまとめることができたので、次は月をテーマに本を書いてみたいと思っています。
なんか、良い展開方法がないか、今度相談させてくださいね。
 
わんわん
くんくん
まるいまるいハートのかたち
ちかちかなみだやさしいな
 
(10月5日)
 

第11回<後編> まこと(天文学者)→こうじ(詩人)へ


makotokao.jpgこうじさんの次のテーマは「月」だそうですが、やはり月は秋ですね。この頃の月を見ると、月が秋の季語になっていることがよく理解できます。今年は晴天に恵まれ、中秋の名月、10月の十三夜、そしてその後の満月も楽しむことができました。10月の満月の時には、近くに木星が見え面白い風景でした。満月前後は月の光りがまぶしくて星が見えにくいのですが、明るい木星は満月の光に負けずに輝いていましたよ。この頃木星がとても明るく目立ちますが、地球に最も近い位置にあり、しばらくは木星の季節です。

お月見に限らず、四季を通じて月を見る楽しみがありますね。特に、日没後、西の空にまだ夕焼けが残る中に輝く細い月がいいですね。近くに金星が輝いていたりすると格別ですが、このような風景は月がすぐに沈んでしまうので、そのつもりで待っていないと見逃してしまいます。

ところで「月」は三日月をかたどった象形文字が起源と聞きました。月の一番の特徴は満ち欠けですが、三日月の形から「月」の文字を作ったということは、昔の人々にとっても三日月は印象深い月の姿だったんでしょうね。
 
こうじさんはまだ月を望遠鏡で見たことがないということでしたが、その後いかがですか。望遠鏡で見ると、欠け際に大小さまざまなクレーターや山脈、あるいは海と呼ばれる平地などが見えます。地球でも見られそうな風景にリアリティが感じられ、宇宙がとても身近に感じられます。私にとっては、地球と宇宙を橋渡ししてくれる存在です。ガリレオも、初めて月を望遠鏡でながめたとき「月の表面は、多くの哲学者たちが月や他の天体について主張しているような、なめらかで一様な、完全な球体なのではない。逆に起伏にとんでいて粗く、いたるところでくぼみや隆起がある。山脈や深い谷によって刻まれた地面となんの変りもない。」(ガリレオ・ガリレイ著『星界の報告』山田慶児、谷泰訳、岩波文庫)と述べていますが、私たちもガリレオを追体験することができますよ。
 
月は最も身近な天体で、古くから私たちの生活に深く浸透していますが、「もしも月がなかったら」と考えてみるとそのことがよく分かります。

たとえば、日本最古の和歌集と言われる『万葉集』。さまざまな身分の人が詠んだ歌を4500首以上も集めたものだそうですが、データベースがあったので、そこから「月」をキーワードにして抜き出してみました。すると、数えきれないほどの歌が出てきました。いかに月が古くから生活の中に浸透していたかがよく分かりました。もし、これらの歌がなかったら…。日本最古の物語とされる『竹取物語』も月なしには成り立ちませんね。『源氏物語』でも、重要な場面には月が登場し、時の流れや人の心を代弁しています。それが現代の私たちにも理解できるところが面白いですね。月は光源氏に次ぐ影の主役という感じさえします。もし月がなかったら物語はずいぶんさみしいものになったかもしれません。
 
街をあるいていても「月」の文字が目に入ります。居酒屋の看板、食べ物・飲み物の名前、商品の名前、いろいろなものがあります。「月」をさがして街を歩くと結構楽しめますよ。もし、これらが無くなったら街の風景もずいぶんさみしいものになりそうです。改めて月が登場するものを考えてみると、音楽、絵画、美術、ギリシャ神話・・・、きりがありませんね。

先日、大学の講義で「もしも月がなかったら」という話をしたら、「先生、月がなくてはこまります。私の名前がなくなります」という女子学生がいました。名前に月の文字が入っているということでした。
 
実は、私たちの日常生活だけでなく、地球の歴史や生命の進化も月の影響を大きく受けているようです。もしも月がなかったら、一日の長さは今とはずいぶん違ったものになり、もしかすると四季の変化もなかったかもしれないということです。長くなったので、詳しくは一休みした後に。

続く

(11月6日)


月が原因の自然現象といえば、まず潮の満ち干・潮汐がありますね。月の重力の効果で海水が盛り上がったりへこんだりすることによって起こります。潮汐の影響は様々ですが、地球の回転・自転運動にブレーキを掛ける効果があります。理屈は省略しますが、潮汐によって地球が変形すると、月の重力は地球の回転を止める方向に作用します。その結果、地球の自転が遅くなり、一日が長くなります。といってもその量は非常に小さく、10万年間に約1秒長くなる程度です。地球の回転が減速すると、その反作用で月の公転運動が加速され、月は少しずつ地球から遠ざかります。実際に年間数センチメートルずつ遠ざかっていることが確認されています。
 
とても微少な変化ですが、長い「地球の時間」では大きな変化になります。つまり、むかし地球の自転はもっと速く、1日はもっと短かったことになります。一説によると、地球誕生直後の1日は約6時間でしたが、月による減速で24時間になったということです。もし月がなかったら、実は太陽の影響があるので、現在の1日は約8時間ということです。一日のリズムは、生物にも自然にも様々な影響があります。もし月がなかったら生物も地球の進化もずいぶん違ったものになっていたはずです。
 
ところで、月はどのようにできたのでしょうか。天文学的には一番の関心事で、諸説ありますが、現在最も有力な説は巨大衝突説というものです。今から約50億年前、地球が誕生して間もない頃、地球の半分くらいの原始惑星が地球に衝突し、飛び散った破片が集まって月ができたとする説です。それまで説明のつかなかった様々な月の謎が、この説によって解けたのです。天文台の展示室には、コンピューターシミュレーションによる月誕生のCG動画があります。なかなか見ごたえがありますよ。
 
巨大衝突は地球の歴史にとって最大の事件で、様々な影響があったはずですが、地球の自転軸も影響を受けた可能性があります。現在、地球の自転軸は軌道面に垂直方向から約23.5°傾いていますが、一説によると巨大衝突によって傾いた可能性があります。四季の変化は自転軸が傾いていることによって起こりますが、この説によると、もし月がなかったら四季の変化もなかったことになります。
 
こんな話を聞くと、お月様がとてもありがたいものに見えてきます。そして、月が四季折々に見せる美しい姿は、誕生の時に自ら仕組んだ演出ではないかと考えたくなります。長くなってしまいましたが、月の話は尽きませんね。では、また。

(11月9日)



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第10回<前編> こうじ(詩人)→まこと(天文学者)へ

kouji.jpg

まことさん、こんにちは。
まだ日中は暑いですね。
お元気でしたか?
 
前回のまことさんの日記、何度も読みました。
「きぼう」という言葉、何度も呟いては、考えました。
 
伊勢湾台風、知りませんでした。まさに未曾有の災害だったんですね。
自分が知らなかったことが、胸にずっと引っかかっていて...。
そのことを思うと、今回の震災もいつか風化してしまうのではないかと、複雑な気持ちになります。
 
そんなことを思っていたら、台風がまた尊い命をたくさん奪っていきました。
ほんと、次々に信じられないことが起きていきます。
 
今、この日記は9月11日に書いています。
昨日は天文台のプラネタリウムライブでした。
そして、今日はいろんなメディアで10年前の同時多発テロのことと、半年前の東日本大震災のことが取り上げられています。
「世界が変わった日」と言われています。
ぼくたちは、そんな時代に生きて、なにを感じ、考え、伝えていくのか、何度も問いかけなくてはいけないと思います。
 
半年経って、震災のことを、いろんな方と話す機会が増えました。
仕事としても関わることが増えました。
先に「風化」という言葉を書きましたが、風化することと前に進むことの違い、難しさを考えます。
 
先日、小学生たちと話をする機会がありました。
「地震、大変だったね」と言うと、ちょっと考えて「うん。だけど、いいこともあった」と言っていました。
その時のみんなの表情に、ハッとしました。
 
涙を大切に。
そして、笑顔を大切に。
 
そうそう、天文台で発表してきた詩をまとめて、詩集にすることが決まりましたよ!
タイトルは『チカチカ』です☆

(9月13日)

第10回<後編> まこと(天文学者)→こうじ(詩人)へ


makotokao.jpgこうじさん、詩集『チカチカ』おめでとうございます。楽しみにしてます。

こうじさんが日記を書いた次の夜、9月12日は中秋の名月でしたね。お月見しましたか?ボクは、お団子を食べながら、雲間の月を楽しみました。「チカチカ」と「月」でちょっと思い出したことがあります。
月を見るとすぐに聞こえてくるのが文部省唱歌の「月」です。こうじさんは歌ったことがありますか?

出た出た月が まるいまるい まんまるい 盆のような月が
隠れた雲に 黒い黒い 真っ黒い 墨のような雲に

また出た月が まるいまるい まんまるい 盆のような月が

とてもシンプルな歌ですが、なんとなく懐かしく、まん丸い月が目に浮かぶようです。隠れた月がまた顔を出すところが「いないいないばあ!」みたいで楽しいですね。子供の頃、遅くまで遊んだ帰り道、東の空に昇った大きな月を見ながらみんなで一緒に大声で歌った覚えがあります。

「出た出た」とか「まるいまるい」、「黒い黒い」、言葉の繰り返しが面白いですね。「チカチカ」も何となくいい雰囲気が伝わってきますよ。

月の歌と言えば、「月が出た出た」で始まる民謡がありますが、同じ単語でも並び方でずいぶん印象が違いますね。

娘が幼い頃、一緒に月を見ながら「出た出た月が」とよく歌いました。言葉が話せるようになると、娘は月を見ると「でたでたつきが」と指差すようになりました。月を「でたでたつきが」とおぼえたのです。しばらくして、単語を並べて話せるようになると、月を見て「でたでたつきが出た」と教えてくれるようになりました。しかし、いつからか「でたでた月が」が出ることはなくなりました。月はただの「つき」ということを知ったようです。

同じようなことをもう一つ。ぼくの家の窓の下をバスが通っていて、娘と一緒に窓から顔を出してよくバスを眺めました。窓の下は坂道で、バスはエンジンをふかしながら大きな音を出して登ってきます。バスが登って来ると負けずに大きな声で「バス来たバス来た」と叫びました。やがて娘は、どこでもバスを見ると「ばすきたばすきた」と指差すようになりました。しばらくすると、バスが来ると「ばすきたばすきた来た」と教えてくれるようになりました。しかし、いつからか「ばすきたばすきた」が来ることはなくなりました。

「でたでた月が」や「バスきたバスきた」は今頃どこにいるかな?お月見をしながら、そんなことを考えました。月を見ていろいろな思いをめぐらしている人がいるのでしょうね。こうじさんがお話をされた方も、同じ月を見ていたかもしれませんね。

だいぶ涼しくなりました。虫の声もにぎやかです。日本の昔の風習では、十五夜(中秋の名月)に月見をしたら十三夜にも月見をするものとされていたようです。今年の十三夜は10月9日、その頃は晴れることが多いので「十三夜に曇り無し」という言葉があるそうです。十三夜は月見酒にしょうかな。では、「チカヂカ、チカチカ」を楽しみにしています。

(10月1日)

 

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先日、青森県立美術館を訪ねました。企画展「光を描く 印象派展-美術館が解いた謎-」が開催中で、常設展とあわせて楽しんできました。緑の中の白い建物が印象的でしたが、内部は面白い構造で外観よりずいぶん広く感じました。壁面のサインも独特の文字や記号で統一されています。そのような無機的な白い建物の中で、女性スタッフのユニフォームが対照的でした。ブルーのスモック風ワンピースで、スタッフの丁寧な対応とともに、暖かくソフトな人間味が感じられました。美術館と企画展については美術館のウェブサイトに詳しい案内や説明があります。
 
白い建物、白い壁の大きな部屋、白い回廊など、白が強く印象に残りました。さらに企画展では「光と色彩」を扱った展示があり、白についていろいろ考えました。

白は純粋無垢、あるいは冷たくよそよそしい、人を寄せつけないといったイメージがありますが、基本的には無色・無害・ニュートラルと考えていました。しかし、真っ白な壁に囲まれると、不思議な圧力を感じ、方向感覚が失われるような非日常的な感じがします。白は重力を弱める効果があるのでしょうか。白は必ずしも無色・無害・ニュートラルではなさそうです。
純白に囲まれると、モノも人も存在感を示すためには白に対抗しなければなりません。白は膨張色、ただ存在するだけでは、脱色されて押しつぶされてしまいそうです。

これは心理的な問題ですが、物理学的にも理屈がつきそうです。白い物体はあらゆる色の光を散乱・乱反射するので明るく見えます。一方、色のある物体は、その色の光だけを反射し、他の色の光は吸収して消してしまいます。ですから、同じ光で照らされた場合、色のあるモノは光の量が少なく、白に負けてしまいます。

このような強い白に対抗できる「色」があるとすれば、それは黒でしょう。黒は、周囲が白ければ白いほど一層引き立ち存在感を増します。白とは反対に、あらゆる光を吸収して光を消してしまいます。物理学・天文学では、あらゆる光を完全に吸収する理想的な物体を「黒体」と言います。黒体にはいろいろ面白い性質がありますが、長くなるので別な機会に。
 
実は、仙台市天文台も真っ白です。建物の外観も館内も白を基調にしたデザインで、来館者には明るく清潔感があっておしゃれできれいと好評です。しかし、最初、私は少し落ち着きませんでした。真っ白な世界は人工的で不自然な感じがしたのです。その中でスタッフが自然に振る舞い、自然な存在感を示すことはなかなか難しいような気がしました。

そこで気がついたのが、私も着用している天文台のユニフォームです。下は、黒の長ズボンで両脇に細い白線が入っています。上は、夏は半そでの黒いTシャツ、冬は長袖の白いワイシャツです。最初は慣れない服装で抵抗がありましたが、非常にすっきりしていて、意識しなくても天文台の雰囲気に自然に溶け込めるような気がします。デザイナーが考えてくれたかどうか分かりませんが、心理的には楽なユニフォームです。

そのユニフォームが、この秋にリニューアルするそうです。これまでとはかなり違った色とデザインになるようです。若いスタッフには似合いそうですが、私にはどうでしょうか。白い天文台の「異物」に見えないかどうか気になるところです。

こんなことを帰りの新幹線の中で考えたのですが、すこし観念的に過ぎたかもしれません。一度検証してみたいと思います。思いがけなくも、「白」について色々考えた旅でした。
先日、仙台市青葉区大町、西公園の近くにある「斉藤報恩会博物館・ポケットミュージアム」に行ってきました。ポケットミュージアムの名の通り、こじんまりしたワンルームの博物館ですが、それだけ身近に親しみのわくミュージアムです。

以前、仙台市青葉区本町に「齋藤報恩会自然史博物館」がありましたが、残念ながら平成21年3月に閉館し、平成21年7月に縮小してこちらに移転開館したものです。恐竜の骨格標本、宮城県産出の化石や鉱物、絶滅が危惧されている鳥類の剥製、さらに財団法人斎藤報恩会が助成した研究の成果などがコンパクトに展示されています。
このミュージアムの目玉はなんといっても、肉食恐竜アロザウルスの全身骨格標本です。レプリカですが、なかなかの迫力です。実は、仙台では大型肉食恐竜の全身骨格標本はここでしか見られないので貴重な存在です。

博物館の展示室に入るとアロザウルスの大きな顔・頭骨が迎えてくれます。恐竜の顔があまりに間近にあるので、今にも顔をなめられそう、否、一口にパクッとされそうです。下に「手を触れてはいけません」という「表示」がありますが、僕たちも「なめてはいけません」・「恐竜の食べ物ではありません」という表示を首に下げたくなります。

でもほんとうは心配いらないのです。実は、恐竜は6500万年前に突然絶滅し、人類はそれよりずっと後の数百万年前に出現したとされ、幸か不幸か全く時代が異なり両者が出会うことはなかったのです。

恐竜は宇宙人と並ぶSF(サイエンスフィクション)の定番ですが、自然史にはなかった人類との出会いをどのように仕立てるかが重要なポイントです。僕は幼少の頃からSFが好きで、シャーロック・ホームズの冒険でお馴染のコナン・ドイル著『失われた世界』や映画化され大ヒットしたマイケル・クライトン著『ジュラシックパーク』など「恐竜モノ」を大いに楽しんだのですが、いかに人間の時代に恐竜を出現させ、人間との出会いを演出するかが最も興味のあるところでした。

フィクションではなく、科学的・自然史的に興味深いことは恐竜絶滅の原因です。様々な説がありましたが、現在最も有力な説が巨大隕石の衝突です。様々な状況証拠が集められ、隕石が落下した場所も特定されています。巨大隕石の衝突による恐竜絶滅は、僕も講義や講演でよく取り上げるのですが、科学的に説明ができるようになりました。

巨大隕石の衝突は恐竜にとって大変不幸な出来事でした。しかし、恐竜には申し訳ないのですが、それが人類の祖先に幸運をもたらしたということです。人類の祖先に当たる哺乳類は恐竜の時代に出現したそうですが、小型で、恐竜におびえながらひっそりと暮らしていました。哺乳類は環境の適応能力が優れていたので、絶滅によって恐竜の脅威がなくなると、恐竜に代わって繁栄・進化し、やがて人類が出現したというのです。ということで、恐竜も隕石も我々の存在と深くつながっているということになりますが、自然史の面白いところです。
 
ところで、博物館に「齋藤報恩会」という歴史の教科書の中から出てきたような名前が付いていますが、事実、斎藤報恩会は歴史に名を残す事業を行ってきた財団なのです。宮城県の斎藤家第9代当主、斎藤善右衛門が大正12年(1923年)に私財を投じて設立し、学術研究教育振興を行ったものです。当時このような財団は前例がなく、その事業内容はユニークで先進的なものでした。財団の活動は今も続けられていますが、そのような財団の歴史も展示の中にうかがうことができます。
 
斎藤報恩会博物館・ポケットミュージアム
〒980-0804 仙台市青葉区大町2丁目10番14号 仙台パークサイドビル2F
TEL:022-262-5506
http://www.saitoho-on.com

六分儀のご縁

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 前回の日記で、仙台市天文台で開催されたシンポジウム「八分儀・六分儀―伝来とその役割」について触れましたが、そのシンポジウムに関心がありながら参加できなかった方から質問があったので少し補足します。

シンポジウムのパネラーは(五十音順・敬称略)黒須潔(仙台郷土研究会理事)、小林幹夫(タマヤ計測システム㈱参事)、西城恵一(国立科学博物館研究主幹)、塩瀬隆之(京都大学総合博物館准教授)、土佐誠(仙台市天文台台長)、中村士(帝京平成大学教授)、古荘雅生(神戸大学大学院海事科学研究科教)、そしてコーディネーターは葛西誓司(タマヤ計測システム㈱代表取締役)の皆様でした。

六分儀は1757年にイギリスで発明されてから間もなく日本に伝来したようですが、当時日本は鎖国をしていたので、六分儀が航海に活用される機会は殆どなかったようです。その代わり測量機器として独自の発展がありました。これが今回のシンポジウムの主要テーマです。そのあたりの事情は、今回パネラーとして出席された中村士さんの『江戸の天文学者 星空を翔ける』(技術評論社)に興味深く記されています。お勧めです。
 
実は、今回のシンポジウムは六分儀メーカーのタマヤ計測システム株式会社の葛西誓司社長から全国のその道の専門家に声をかけていただき実現したものです。六分儀のご縁、重ねて感謝です。このようなテーマのシンポジウムはたぶん我が国では初めてではないかと思います。私にとって貴重な経験でしたが、天文台としても画期的なイベントでした。
 
実は、今回お世話になったタマヤ計測システム株式会社の歴史も興味あるものです。資料によると、その創業は江戸時代初期(1675年)に遡るという老舗で、最初「玉屋」という屋号で眼鏡の輸入販売を始めたということです。やがて、眼鏡から計測器へと事業を拡大し、さらに海外からの輸入に頼っていた各種計測機器の国産化を成し遂げました。その中に六分儀がありましたが、資料によると、Tamayaブランドの六分儀はドイツ製と共に世界的に高く評価され世界の六分儀市場の大きなシェアーを占めたということです(B.Bauer,  The Sextant Handbook. 2nd ed. International Marine/McGraw-Hill Book 1992)。

私の手元にある「昭和7年版・玉屋商店・商品目録」には天文経緯儀が載っていました。天文経緯儀は天体の高度方位角を精密に測る機器ですが、口径8cmの望遠鏡を備え高度・方位角を1″まで読み取れる精密なものです。「我が国天文台の命を受け製作」ということで、当時の我が国の天文学の発展に貢献したものと思われます。

実は、仙台市天文台の展示倉庫にある古い測量機器の中にもいくつか「玉屋」の屋号が刻まれているものがありました。また、1950年代末から1960年代にかけて旧仙台市天文台で人工衛星の観測に活躍したセオドライト(気象経緯儀)も「玉屋」製でした。仙台市天文台も意外に古くから「玉屋・タマヤ」さんとお付き合いがあったことを発見しました。
 
 
 
先日、仙台市天文台で「八分儀・六分儀―伝来とその役割」というシンポジウムが開催されました。各方面の専門家に参加いただき、興味深い話を聞くことができました。

遠洋の航海は、目印となるものがなく、方位や自分の位置を知るのに星だけが頼りです。星を測って航海をする天文航法において最も重要な観測機器が六分儀でした。1757年にイギリスで発明され、20世紀になって電波灯台やGPSが普及するまでの二世紀余り大海の船を導いてきました。この間、原理も基本的な構造も全く変わっていません。驚くべき完成度、究極のアナログ機器です。

仙台市天文台に六分儀が展示されていますが、こんなに小さくシンプルな機器が遠洋を航行する船を導いたと聞くと驚きです。現在も、非常時のために装備している船舶も多いということです。今回は、仙台市天文台の「六分儀伝来の秘話」をご紹介します。

私はかねがね六分儀を天文台に展示したいと考えていました。そんなとき、我が国唯一の六分儀メーカーであるタマヤ計測システム株式会社の葛西誓司社長が天文台を訪問されました。

葛西社長とお会いして、当然話題は六分儀になりました。葛西社長は、我が国で最初に六分儀の国産化を果たしたメーカーの責任として、六分儀の伝来とその後の発展を調べておきたい、そして皆さんに六分儀をもっと知ってほしい、ということを話されました。私は六分儀に対する関心をお話しし、大いに意気投合したわけです。

このような出会いがあって、天文台に六分儀を展示したいという思いが一層強くなったのですが、ほどなく葛西社長から天文台に六分儀を寄贈したいという申し出を頂きました。感謝感激の極みでした。

※その時の写真はこちらにあります→宇宙のひろば「六分儀(ろくぶんぎ)をいただきました!」

天文台スタッフからは「台長がもの欲しそうな顔をするから(はしたない!?)…」などとたしなめられたのですが、実は葛西社長にはもう一つの出会いがあったのです。

葛西社長が来台されたとき、プラネタリウムをご覧いただきました。投映が始まると、ろくぶんぎ座(六分儀座)が南の空に現れたのです。ろくぶんぎ座の存在をご存じなかった葛西社長は、この星座を見て大変驚き感激したということでした。もちろん私が指図したり、プラネタリウム解説者が意図していたわけではありません。ご縁としか言いようがありませんが、思いがけない発見と出会いにたいへん心を動かされたようです。

天文台長には欲しいものがたくさんあって、事あるごとに「星に願い」をかけるので、お星さまからうっとうしがられているのですが、今回は、ろくぶんぎ座の星々が葛西社長に積極的にアッピールしたようです。「もっと六分儀を知って欲しい」という「星の願い」が葛西社長の思いと重なり、社長の心を動かしたのでしょうか。天文台長は、「星の願いがかなって仙台市天文台に六分儀が展示されることになった」、と今も信じているようです。
 
ろくぶんぎ座は春の星座で17世紀にポーランドの天文学者ヘヴェリウスが設定したものです。航海用の六分儀が発明される前から天体観測用の固定された六分儀が使われていましたが、星座になったということは、当時六分儀が大変重要な観測機器であったことを示しています。

ろくぶんぎ座は目立たない星座ですが、プラネタリウムの他に展示室の「星座を見つけよう(U12)」のパネルの方の「春の星座」に見つけることができます。それから、天文台の入口を入って左手にあるサポーターボードにも大きな星図がありますので、ろくぶんぎ座を探してみてください。何か面白い発見があるかもしれません。
第9回<前編> こうじ(詩人)→まこと(天文学者)へ


kouji.jpgまことさん、こんにちは。
交換日記の再開、うれしいです。
返信、ありがとうございます!

前回のぼくの書いた日記を読み返してみると、(昨年になるんですね)ぼくは病気になり、入院して、とても動揺したことを書いています。

それは、ぼくにとって、とても大きな出来事でした。

だけど、今となっては、なんか遠い、小さな出来事のように思えます。
3月11日から、いろんなことが変わってしまいました。

ぼくも天文台に行った時に、まことさんを見かけ、安心していました。
ほんとはきちんと挨拶をして、その時にいろんなことを話したかったのですが、どこか、まことさんとはこの日記の中で、言葉を交わした方がいいかな、とも思っていました。
どうしてかはわからないのですが、きっと、心が落ち着いてからお話できたら、と思っていたのでしょう。

あの日から、5ヶ月が経ちました。
だけど、心が落ち着くことはなく、日々いろんな感情がいったりきたりしています。

さっき<いろんなことが変わってしまった>と書きましたが、ふと日常を見渡すと、なにも変わっていないような気もします。
これは、なんなのでしょう。。。

街(国)にはいろんな情報が溢れ、いろんな言葉が飛び交い、いろんなイベントが企画されています。
復興はもちろん大事ですが、どこか「元気」になれない自分がいます。
まことさんの日記にあった、「元気って、なにか根源的なもの」という言葉が心に残ります。
あの日以来、もっと根源的ななにかを考え、感じている自分がいるような気がするのです。

また、先日ある仕事で避難所に行き、そこで暮らしている方と話をする機会がありました。
その方は家が流され、今まで積み上げてきたものがすべてなくなってしまったような気がする、と言っていました。
手元にある数枚の写真を大切にしている姿を見て、過去の大切さを考えました。
過去についても、前回の日記で触れているんでよね。
その仕事では、過去の大切さをテーマに詩を書きました。

思いつくまま書いてきたら、まとまりがなく、長い日記になってきたので、これくらいにしようと思います。

日々揺らぎ、わからなくなり、すごーい元気にはなれないけど、今、とても大切な時間を生きている、と感じています。

次にお見かけした時は、声をかけますね☆

(8月11日)

 

第9回<後編>まこと(天文学者)→こうじ(詩人)へ


makotokao.jpgこうじさんへ

こうじさん、大震災の後いろいろなことがありましたね。僕の気持もこうじさんと重なる部分が多々あると思います。

大震災からまもなく半年ですが、今もなかなか希望が見いだせない困難な状況にある人も多いでしょうね。希望というといろいろ思いだすことがあったので書いてみます。

こうじさんは伊勢湾台風って聞いたことがありますか。1959年9月に紀伊半島から東海地方にかけて大きな被害を及ぼした台風です。調べてみると、犠牲者はおよそ5000人、全国で被災者数150万人を超す未曾有の大被害だったそうです。僕の住んでいた東京でも強風が吹き怖い思いをしました。当時僕は中学生で、台風の直後に京都・奈良の修学旅行がありました。東京から京都に向かう修学旅行列車(当時修学旅行専用の団体列車がありました)が名古屋に近づくと、まだ浸水している家屋や屋根が飛ばされた家など、生々しい台風の傷跡が残っていました。このような様子を見て、誰ともなく義援金を送ろうという声が上がり、急きょ車内で募金を行ないました。まだお小遣いを使う前だったので良いタイミングでした。その修学旅行列車の名前が「きぼう」でした。「修学旅行生の希望が被災者の希望につながりますように」というようなことを車内で話しあった記憶があります。

希望をひらがなで「きぼう」と書くとずいぶん印象が違うように感じますね。僕には、文脈にもよりますが「希望」の方は暗闇の中の灯のような切実な感じがしますが、「きぼう」の方は明るい中でより輝きを求めるような感じがします。こうじさんはいかがですか。

そういえば、国際宇宙ステーションの日本の実験棟の名前も「きぼう」でした。昨年、日本科学博物館協会の海外視察研修旅行で、アメリカ・ヒューストンのジョンソン宇宙センターを見学しました。その時、宇宙飛行士の若田光一さんが「きぼう」の地上模擬訓練施設を案内してくださいました。本物の「きぼう」と全く同じスケールに作られたもので、「きぼう」で働く宇宙飛行士の訓練が行われるということでした。若田さんから「きぼう」についてていねいな説明を受けましたが、若田さん自身が「きぼう」を体現しているような明るいさわやかな方でした。そのとき若田さんからいただいたワッペンには「Kibo」と書いてありました。今度天文台でお見せしますね。

もうひとつの「希望」についてもいろいろ思い浮かぶことがあるのですが、長くなってしまったので次の日記に書きますね。とりあえずひと休み!

(8月16日)


もうひとつの「希望」については、すぐに思い浮かぶのはヴィクトール・フランクルの『夜と霧』(霜山徳爾訳/新版・池田香代子訳2002年、みすず書房)やジャン・ポール・サルトルの言葉です。


フランスの哲学者・作家サルトルは、学生時代に彼の本を何冊も買いこんでその思想や哲学に近づこうとしたのですが、ぜんぜん近づけなかった片思いの「先輩」です。ノーベル文学賞の受賞を拒否したこと、女性作家・哲学者シモーヌ・ド・ボーヴォワールとの関係、1966年に彼女と共に来日したときの行動などとてもカッコいいと思ったのですが、それ以上に、なぜか彼の行動や言葉にこころ惹かれるようになりました。今になってその理由がわかるような気がするのですが、彼は失明し病に倒れ1980年に74歳で亡くなりました。彼の最後のインタビュー『いま、希望とは』で希望について次のように語っています。

「世界は醜く、不正で、希望がないように見える。といったことが、こうした世界の中で死のうとしている老人の静かな絶望さ。だがまさしく、私はこれに抵抗し、自分ではわかっているのだが、希望の中で死んでいく。ただ、この希望、これをつくり出さなければね。」(海老坂武著『サルトル―「人間」の思想の可能性―』岩波新書、174頁)

これはサルトル最晩年、彼の人生で最も困難な状況の中で発せられた言葉だと思います。僕も老人の仲間入りをして、今サルトルのこの言葉に深く共感を覚えるのですが、この言葉からすぐに思い浮かぶのは、釈迦入滅の時に絶望する弟子に残したという最後の教え「自灯明・法灯明」です。『岩波仏教辞典』によると「自らを灯明とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、真理を法灯とし、真理をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ」という教えです。サルトルは無神論者でしたが、まさに自灯明・法灯明の人だったと思います。

僕は、このようなサルトルや釈迦の言葉を、いかなる困難な状況にあっても希望を見出そうとする力が人間にはあり、希望はその人の中にある、と解釈しました。そして、それはいのちの根っこにある生命力と呼ぶべきものではないかと思ったのです。

前回の日記で、被災者へのメッセージを求められてもなかなか言葉が出なかったことをお話ししましたが、今思うことはこのような希望と生命力です。

こうじさんが過去について書かれたので、今度は未来のこと、希望について書きたくなりました。と言ったもののまた昔の話になってしまいましたね。でも、僕には現在、そして未来につながっています。「希望」、たった二文字の中にこんなにたくさんの思いを込めることができるなんて、言葉って本当に不思議ですね。ではまた、こうじさんお元気で。

(8月19日)

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 仙台七夕がやってきましたが、先月七夕の頃、東京に出張したときに時間があったので、東京竹橋にある東京国立近代美術館を訪ねました。

 仙台市天文台は博物館登録施設、国に博物館として登録されています。天文台に勤めるようになって、博物館・科学館・美術館などを訪ねるのも仕事になりました。

 東京国立近代美術館ではクレー展が開催中でしたが、常設展示では近代日本絵画の代表的作品を見ることができました。

 常設展示ではガイドツアーの案内がありました。天文台でもスタッフが展示ガイドや解説などをしているので、参考になることがあればと思い参加することにしました。

 ホスピタリティあふれる女性のガイドさんで、楽しくわくわくしながらツアーに出発しました。七夕の季節ということで、空や星をテーマにした作品をいくつか選んで案内してくださいました。

 ガイドさんは、作品の解説をするというより、まず参加者の感想を上手に引き出して、そこに解説や鑑賞のヒントを少し加え、また問いかけをして参加者の反応を見ているようでした。ツアーが進むにつれ、参加者からさまざまな感想や意見が出され、見る目も変わってくるようです。30分ほどの短い時間でしたが、楽しいひと時を過ごしました。

 このガイドツアーで、一枚の絵に思いがけない再会がありました。それは、太田聴雨(1896−1958)の「星をみる女性」(1936年)です。

 五人の和服を着た若い女性が大きな屈折望遠鏡を囲んでいる絵です。切手(1990年)にもなった絵ですが、切手では右側の女性1人と望遠鏡の架台・ピラーがトリミングされていました。実物は273×206cmの大きなもので、細部まで良く見ることができます。

 日本画で和服の女性と天体望遠鏡、想像しにくい取合わせですが、静かな調和があります。太田聴雨は「描かれた女性は『悠久的なるもの』への思慕を表現する為に私が仮に託した映像に過ぎない」と述べているそうですが、私は日本版ムーサ、ミューズの女神と解釈しました。ミューズの女神たちが集うところがミュージアムです。

 特に私の目を引いたのは、望遠鏡を覗いている女性の目と、その望遠鏡です。望遠鏡は見慣れたドイツ式屈折赤道儀で細部まで実に正確に描かれています。解説によると、予想通り上野の国立科学博物館の口径20cm屈折望遠鏡でした。1931年、国立科学博物館1号館が完成した時屋上に設置されたもので、当時から観望会が開かれていたそうです。画家も観望会を見て着想を得、望遠鏡を忠実に写生したのでしょうか。

 実は、私も昔(1950年代)、中学生の頃何度か上野の科学博物館の天体観望会に参加し、この望遠鏡を覗いたことがあったのです。憧れの大望遠鏡でした。今はもう使われていないようですが、思わぬ再会でした。
 
この絵は独立行政法人国立美術館のウェブサイトで見ることができます。
太田聴雨「星をみる女性」 http://search.artmuseums.go.jp/records.php?sakuhin=2102

第8回<前編> こうじ(詩人)→まこと(天文学者)へ

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まことさん、こんにちは。
 
この連載はなんとなく締め切りがあって、それはぼくのワンコインプラネタリウムの開催日(毎月第2土曜日)までに書くというものなんですが、今回はぼくが体調を崩してしまい、入院するということになり、連載も書けなくなり、ワンコインプラネタリウムも休んでしまいました。ワンコインプラネタリウムは12星座のリーディングなので、ぼくにとって毎月プラネタリウムに行くというのは、とても大切なことだったのですが、それに穴をあけてしまうなんて、とても残念です。なにより、突然のことだったので、アナウンスが間に合わず、当日来ていただいたお客さんもいたとのことで、本当に申し訳なく思っています。
 
今は退院して、自宅で休んでいます。今年の年末は静かに過ごしています。
 

 
前回のまことさんの日記を読み返してみると、LPの話からはじまり(ぼくも結構持っています。やはり同じタイトルのCDも)、過去についての話がありますね。確かに、過去にこだわっていると、とても後ろ向きに思われてしまいます。でも、まことさんの日記を読んで、やはり過去に対してのアプローチは大切なことだと思いました。宇宙や星のことは、未来の話のように思うけれど、やはり過去につながっていて、しかもまだ解き明かされていないことがたくさんある...未来は過去を解き明かしていくことによって、作られていくと思うと、今見えている星たちがとても大切なことを伝えているように思えてきて、なんだか感動してしまいます。
 

 
プルーストの『失われた時を求めて』の話。「プルースト友」っていいですね!ぼくも学生時代とても苦戦しながら、読みました。正直、理解できなくて、何度も挫折しかけました。でも、文学を語り合える友達と張り合って読んでいたので、なんとか読みました。あの時、ぼくはその友達に「この本はわからない、難しい」といえる勇気がありませんでした。そして、この本を完成させることのできたプルーストに圧倒されました。『失われた時を求めて』なんと素晴らしいタイトルなんでしょう。今、読み返してみたら、どう感じるか、ぼくもこの冬は時間があるので、挑戦してみようかな...。あっ、サルトルの自伝のことは知りませんでした。これも早速手に入れたいと思います。
 

 
年が明けたら、「望遠鏡で月をみる会」をお願いします。この日記と12星座はぼくの大切な連載ですが、やはり月も忘れるわけにはいきません。月の連載も考えたいです。
 
最後にクリスマスの詩を載せたいと思います。
 
まことさん、今年はいろいろとありがとうございました!
 
そして、みんなのクリスマスが良いクリスマスになりますように☆
 
暖かい夜だけど
雪が落ちてきて
 
星は消えたけど
街は明るくて
 
大切なもの 一つ 二つと
数えれば ツリーみたいに
心 チカチカ
 
言葉にできないけど
話さなきゃ
 
マフラーをまいて
明日 ほんとの気持ち
そっといなくなる
 
***

(12月24日)
 
第8回<後編> まこと(天文学者)→こうじ(詩人)へ
 
makotokao.jpg こうじさんへ。
 
ご無沙汰しておりました。言い訳をしていると長くなるので、長旅から帰ったと思ってください。震災後もこうじさんの元気なお顔を何回か拝見したので、まずは安心してそのままになってしまいました。

震災からもう5カ月になろうとしていますが、今でも人に会うとまず震災の話になってしまいますね。

震災後、気になることがいろいろあるのですが、そのひとつが言葉です。停電が回復してテレビが見られるようになると、どのチャンネルでも「ニッポンは強い国」、「がんばれニッポン」、「ニッポンを元気に」といった言葉が何度も繰り返されていました。以前は特に気になる言葉ではなかったのですが、何度も勢いよく繰り返されると、食べきれない大盛りのご飯を勧められたような、飲み込めない、消化しきれないものが残りました。

少し落ち着いてきた頃、「被災者へのメッセージ」を求められることが何度かありました。でも何といっていいか言葉が出てきません。無理に求められると、あいまいな言葉や、「元気・・・」と型にはまったことを言ってしまいます。口先だけの空しいことを言ってしまったようで落ち着きません。遠くの山を眺めたり、雲を見上げながら後味を噛みしめることがありました。

惻隠(そくいん)の情を自分の心に近い言葉で表したいと思うのですが、なかなか思うようにできません。言葉って難しい、そんな思いが続いています。こうじさんは、震災後もいろいろな活動をされていましたが、いかがですか。
 
震災で市内の本屋さんが何軒か閉じられてしまい悲しい思いをしました。先日再開した本屋さんをのぞいたら、森毅著『元気がなくてもええやんか』(青土社)が目にとまりました。著者の森先生は数学者ですが、エッセイやテレビでもおなじみです。表紙の文字から「・・・ええやんか」という森先生の声が聞こえるようで、なんとなく心が軽くなって少し元気が出る思いがしました。昨年亡くなられましたが、独特の語り口と風貌が目に浮かびます。

今日はここまで。では、こうじさんお元気で。アッ、「元気」って言っちゃった。気にしないで下さい、と言ったものの気になったので「元気」を辞書で引いてみました。「天地間に広がり、万物生成の根本となる精気」(『広辞苑』)とありました。「元気」って何か根源的なモノなんですね。 
 
(8月4日)

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 皆様、大変ご無沙汰しております。こうじさんにも「交換日記」の返事を棚上げにしたままですみません。

 トワイライトサロンがいつの間にか150回になっておりました。いろいろな方からお祝いの言葉を頂きありがとうございました。

 もう7月も終わり、いつの間にか1年の後半に入っていました。このところ「いつのまにか」という感覚がついてまわります。時は過ぎていくのに、私の頭の中の時計は止まったままのようです。カレンダーをめくるのも忘れがちです。大震災は3月11日でした。いつのまにか年度が変わり、人事異動でもきちんと挨拶をする間もなく人が入れ変わり、遅れて新学期が始まり、暑いと思ったらいつのまにか夏が来て、もう8月です。

 今年に入っていろいろな経験をしたのですが、特に大震災では大地震・大津波・福島第一原発事故、その被害の惨状、これまでに経験したことのないことでした。私の身のまわりでも、友人が津波の犠牲になったり、天文台が長期間の休館になったり・・・。

 天文台は大震災後一月あまり、4月16日から、ひとみ望遠鏡関係を除いて部分的に開館しました。トワイライトサロンも毎週定期的に開催し、私自身も正常に戻ったように見えます。でも、いろいろな思いが絡み合って頭の中で散乱し被災地の瓦礫の山と重なります。なかなか解きほぐせない噛みきれない思いが積み重なっていくようです。

 これまで、いろいろな機会に「この忙しい世の中、ストレスで精神が歪みがちです。ときには天文台に来て正気を取り戻してください」などと言っていたのですが、今その自分の言葉を思い出しながら私も「正気」を取り戻そうと努めております。

 たくさんの方からお見舞いや励ましの言葉を頂きました。大震災の混乱の中、まだ十分にお礼を申し上げていないような気がしてなりません。本当にありがとうございました。

 今日はここまでにします。