台長コラム ときどき土佐日記

第9回<前編> こうじ(詩人)→まこと(天文学者)へ


kouji.jpgまことさん、こんにちは。
交換日記の再開、うれしいです。
返信、ありがとうございます!

前回のぼくの書いた日記を読み返してみると、(昨年になるんですね)ぼくは病気になり、入院して、とても動揺したことを書いています。

それは、ぼくにとって、とても大きな出来事でした。

だけど、今となっては、なんか遠い、小さな出来事のように思えます。
3月11日から、いろんなことが変わってしまいました。

ぼくも天文台に行った時に、まことさんを見かけ、安心していました。
ほんとはきちんと挨拶をして、その時にいろんなことを話したかったのですが、どこか、まことさんとはこの日記の中で、言葉を交わした方がいいかな、とも思っていました。
どうしてかはわからないのですが、きっと、心が落ち着いてからお話できたら、と思っていたのでしょう。

あの日から、5ヶ月が経ちました。
だけど、心が落ち着くことはなく、日々いろんな感情がいったりきたりしています。

さっき<いろんなことが変わってしまった>と書きましたが、ふと日常を見渡すと、なにも変わっていないような気もします。
これは、なんなのでしょう。。。

街(国)にはいろんな情報が溢れ、いろんな言葉が飛び交い、いろんなイベントが企画されています。
復興はもちろん大事ですが、どこか「元気」になれない自分がいます。
まことさんの日記にあった、「元気って、なにか根源的なもの」という言葉が心に残ります。
あの日以来、もっと根源的ななにかを考え、感じている自分がいるような気がするのです。

また、先日ある仕事で避難所に行き、そこで暮らしている方と話をする機会がありました。
その方は家が流され、今まで積み上げてきたものがすべてなくなってしまったような気がする、と言っていました。
手元にある数枚の写真を大切にしている姿を見て、過去の大切さを考えました。
過去についても、前回の日記で触れているんでよね。
その仕事では、過去の大切さをテーマに詩を書きました。

思いつくまま書いてきたら、まとまりがなく、長い日記になってきたので、これくらいにしようと思います。

日々揺らぎ、わからなくなり、すごーい元気にはなれないけど、今、とても大切な時間を生きている、と感じています。

次にお見かけした時は、声をかけますね☆

(8月11日)

 

第9回<後編>まこと(天文学者)→こうじ(詩人)へ


makotokao.jpgこうじさんへ

こうじさん、大震災の後いろいろなことがありましたね。僕の気持もこうじさんと重なる部分が多々あると思います。

大震災からまもなく半年ですが、今もなかなか希望が見いだせない困難な状況にある人も多いでしょうね。希望というといろいろ思いだすことがあったので書いてみます。

こうじさんは伊勢湾台風って聞いたことがありますか。1959年9月に紀伊半島から東海地方にかけて大きな被害を及ぼした台風です。調べてみると、犠牲者はおよそ5000人、全国で被災者数150万人を超す未曾有の大被害だったそうです。僕の住んでいた東京でも強風が吹き怖い思いをしました。当時僕は中学生で、台風の直後に京都・奈良の修学旅行がありました。東京から京都に向かう修学旅行列車(当時修学旅行専用の団体列車がありました)が名古屋に近づくと、まだ浸水している家屋や屋根が飛ばされた家など、生々しい台風の傷跡が残っていました。このような様子を見て、誰ともなく義援金を送ろうという声が上がり、急きょ車内で募金を行ないました。まだお小遣いを使う前だったので良いタイミングでした。その修学旅行列車の名前が「きぼう」でした。「修学旅行生の希望が被災者の希望につながりますように」というようなことを車内で話しあった記憶があります。

希望をひらがなで「きぼう」と書くとずいぶん印象が違うように感じますね。僕には、文脈にもよりますが「希望」の方は暗闇の中の灯のような切実な感じがしますが、「きぼう」の方は明るい中でより輝きを求めるような感じがします。こうじさんはいかがですか。

そういえば、国際宇宙ステーションの日本の実験棟の名前も「きぼう」でした。昨年、日本科学博物館協会の海外視察研修旅行で、アメリカ・ヒューストンのジョンソン宇宙センターを見学しました。その時、宇宙飛行士の若田光一さんが「きぼう」の地上模擬訓練施設を案内してくださいました。本物の「きぼう」と全く同じスケールに作られたもので、「きぼう」で働く宇宙飛行士の訓練が行われるということでした。若田さんから「きぼう」についてていねいな説明を受けましたが、若田さん自身が「きぼう」を体現しているような明るいさわやかな方でした。そのとき若田さんからいただいたワッペンには「Kibo」と書いてありました。今度天文台でお見せしますね。

もうひとつの「希望」についてもいろいろ思い浮かぶことがあるのですが、長くなってしまったので次の日記に書きますね。とりあえずひと休み!

(8月16日)


もうひとつの「希望」については、すぐに思い浮かぶのはヴィクトール・フランクルの『夜と霧』(霜山徳爾訳/新版・池田香代子訳2002年、みすず書房)やジャン・ポール・サルトルの言葉です。


フランスの哲学者・作家サルトルは、学生時代に彼の本を何冊も買いこんでその思想や哲学に近づこうとしたのですが、ぜんぜん近づけなかった片思いの「先輩」です。ノーベル文学賞の受賞を拒否したこと、女性作家・哲学者シモーヌ・ド・ボーヴォワールとの関係、1966年に彼女と共に来日したときの行動などとてもカッコいいと思ったのですが、それ以上に、なぜか彼の行動や言葉にこころ惹かれるようになりました。今になってその理由がわかるような気がするのですが、彼は失明し病に倒れ1980年に74歳で亡くなりました。彼の最後のインタビュー『いま、希望とは』で希望について次のように語っています。

「世界は醜く、不正で、希望がないように見える。といったことが、こうした世界の中で死のうとしている老人の静かな絶望さ。だがまさしく、私はこれに抵抗し、自分ではわかっているのだが、希望の中で死んでいく。ただ、この希望、これをつくり出さなければね。」(海老坂武著『サルトル―「人間」の思想の可能性―』岩波新書、174頁)

これはサルトル最晩年、彼の人生で最も困難な状況の中で発せられた言葉だと思います。僕も老人の仲間入りをして、今サルトルのこの言葉に深く共感を覚えるのですが、この言葉からすぐに思い浮かぶのは、釈迦入滅の時に絶望する弟子に残したという最後の教え「自灯明・法灯明」です。『岩波仏教辞典』によると「自らを灯明とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、真理を法灯とし、真理をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ」という教えです。サルトルは無神論者でしたが、まさに自灯明・法灯明の人だったと思います。

僕は、このようなサルトルや釈迦の言葉を、いかなる困難な状況にあっても希望を見出そうとする力が人間にはあり、希望はその人の中にある、と解釈しました。そして、それはいのちの根っこにある生命力と呼ぶべきものではないかと思ったのです。

前回の日記で、被災者へのメッセージを求められてもなかなか言葉が出なかったことをお話ししましたが、今思うことはこのような希望と生命力です。

こうじさんが過去について書かれたので、今度は未来のこと、希望について書きたくなりました。と言ったもののまた昔の話になってしまいましたね。でも、僕には現在、そして未来につながっています。「希望」、たった二文字の中にこんなにたくさんの思いを込めることができるなんて、言葉って本当に不思議ですね。ではまた、こうじさんお元気で。

(8月19日)

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