台長コラム ときどき土佐日記

web版「天文学でSF映画を斬る!」アーカイブ

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 遠藤さん、先日は仙台市天文台でのトワイライトサロンのトークショーにご出演いただきありがとうございました。楽しかったです。「お便り」の方、返信が遅れてすみません。

先日、遠藤さんご出演のNHK「てれまさむね」の「てれまさんぽ」で河岸段丘をたどる番組、再放送を拝見しました。仙台の街並みには河岸段丘が隠れていたのですね。大地の「段差」がデパートの階段になっているなんて、SFそこのけで面白かったです。  

 

今回、「オーロラの彼方に」を紹介して頂きましたが、私もDVDを借りて見直しました。時空の超え方が「大胆」過ぎて、科学的に見るとついていけませんが、物語としては面白いですね。現代のお伽話といったところでしょうか。オーロラが魔法使いで無線通信が魔法の杖のようです。遠藤さんご指摘の「ご都合主義」を棚上げにすると、人々のいろいろな思いがこめられていて、遠藤さんの大好きな理由がよくわかります。親子関係、特に父と息子の関係は、いつでもどこでも物語になりますね。遠藤さんの場合も、遠藤さんの「思い」がそのまま物語になりますね。映画にもなりますよ。マタタビ抜きで猫と共演なんていいかも。失礼!(実は、我が家にも猫がいるのですが、「一匹猫」で俳優の真似をしてます。)

僕の場合、父の記憶は髪の毛とともに薄くなりましたが、時々リアルに思いだすことがあります。しばらく前に思いがけない経験をしました。深夜、目が覚めて洗面所に行ったら、突然父が目の前に現れたのです。びっくりしました。うす暗い中に現れた顔はレンブラントの晩年の自画像のようで、「オヤジも老けたな」と思ったのですが、よく見たらその顔は洗面所の鏡に映った僕の顔でした。考えてみれば、僕もいつのまにか僕がイメージしている父親の歳を超えていたのです。そして、僕も父親に似た姿になっていたのです。

思い起こすと、僕は「お母さん子」で、母親の顔色をうかがいながら父と付き合っていたようです。あまり仲良くすると母のご機嫌を損ねるような気がして、父に打ち解けることが少なかったかもしれません。今思うと父には済まない気がします。しかし、父は、時々一家の主の権威を示そうとすることもあって、怖い存在でもありました。 当時は戦後の復興期、両親ともに生活の再建に追われて子どもと遊んだりふれあったりする時間は少なかったようです。その代り、子どもたちは自由に遊んだりして、僕にとってはそれが良かったと思います。

僕の思春期・青年期には、はやく親から独立して大人になりたいという思いがとても強かった気がします。その時代の特徴かもしれませんが、青年を扱った文学のメインテーマは、如何に親や家族との「絆」を断ち切って独立した大人になるかということでした。ですから、「オーロラの彼方に」の親子関係は、当時の感覚からすると、とても違った世界で眩しい感じがしますね。

僕が子育てをした時代は、親子関係が濃すぎることが子供の成長を阻害するということで社会問題になっていました。僕も、「濃く」なり過ぎないように心掛けた気がしますが、子どもから見てどんな親だったのでしょうか。まだ息子に聞いたことはありませんが、親とは違うことを感じていたかもしれませんね。とりあえず手が離れて、独立した人間としてつきあいたいと思っています。

遠藤さんがおっしゃる通り、映画で「父と年齢も違わなく成長した自分が対話している」のも面白いですね。「これまでの親子関係が、年齢が近い男性同士として、相談に乗ってもらえたりする」のはたしかにすごいこと、憧れますね。 

 

オーロラの話ですが、ニューヨークは八戸と同じ緯度、オーロラが見られるのは珍しいことでしょうね。映画では極地で見られるような鮮やかなオーロラが現れましたが、ニューヨークでオーロラが見られるとしても、そのような鮮やかなオーロラが現れることはないのではないかと思います。

実は、昔、1950年代末だったと思いますが、北海道や東北の日本海側でオーロラが見えたというニュースがありました。当時、太陽活動が非常に活発で、太陽表面に肉眼でも容易に見えるような大きな黒点が次々と現れ、極地ではオーロラ嵐が頻繁に起こったということです。

目撃者によると、北の地平線のあたりが山火事のように赤く見えたということですが、遠方のオーロラが見えたと思われます。地球は丸いので、遠方のオーロラの上部だけが地平線上に見えたのでしょう。オーロラの上部は赤い光を出すので、地平線上に赤い光が見えたと考えられます。

オーロラは宇宙からやってきた高エネルギー粒子が、地球磁気の磁力線にそって大気に飛び込み、大気と衝突して大気を光らせる現象です。地球の磁場は極地に集まっているので、オーロラ粒子も極地に集まり、極地にオーロラを出現させます。したがってオーロラを見るためには極地に行かなければなりません。さらに、昼間は空が明るくてオーロラが見えません。極地の夜となると、季節は冬となり、オーロラを見るには極地の冬、極寒を耐えねばなりませんね。でも、最近は防寒の行き届いたオーロラツアーが企画されているようで、年配の方から「オーロラを見てきた」という話をきくことがあります。ただ旅行の費用を聞くと、財布の中が寒くなる話でした。

 

さて、映画の話ですが、その後「ローマ法王の休日」と「25年目の弦楽四重奏」を見ました。「ローマ法王の休日」は有名な「ローマの休日」のパロディですが、主人公が新しく選ばれたローマ法王で、法王になるのが嫌でバチカンを逃げ出す話です。実は、コンクラーベということで、バチカンのシスティーナ礼拝堂の中の様子、特にミケランジェロによる天井画や最後の審判などが見られると期待したのですが、それなりに楽しめました(実物ではないかもしれませんが)。実は、その後、東京上野の西洋美術館で開催されていた「ミケランジェロ展」を見ました。台風18号が接近中のせいか、空いていて落ち着いて見ることができました。システィーナ礼拝堂の天井画や壁画の複製の展示や解説がありましたが、4Kの高精細の映像でシスティーナ礼拝堂の天井画を紹介していたのが、とても美しく見事でした。たぶん、現場でも見えない細部が美しく再現されていると思いました。

冥土の土産に一度は「実物」を見たいものだと思っていたのですが、とりあえずこれで満足ということにしました。 冥土の土産に見たいものがいくつかあったのですが、今年1月、イタリアのミラノでダビンチの「最後の晩餐」とミケランジェロの彫刻「ロンダニーニのピエタ」を見ることができまし。思い残すことは少なくなったのですが、体重が増えました。

「25年目の弦楽四重奏」は別の機会に。では、また。お元気で。

 

(完)

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daocho.jpgまえがき その2

 遠藤さん、お待たせしました。「その1」では、思い出話が長くなってすみません。遠藤さんのお話を聞いていると、ギターを弾いたり、星を見に行ったり、「アー、青春していたんだなあ」とほのぼのした気分になりました。そして、僕の青春時代を思い出しました。

高校・大学生のころは、科学者・天文学者になりたいと思いつつも、なかなか思うように力を集中できず、いろいろな本を読んだり、映画を見たり、ジグザグな生活でしたが、遠藤さんと同じように、アポロ宇宙飛行士は憧れの的でした。

ふりかえると、米ソ冷戦、スプートニク・ショック、安保条約改定、ベトナム戦争、大学紛争、オイルショック、バブルが膨らんだりはじけたり、様々な社会の変化がありましたが、時代の変わり目の不安な時期にSFが流行ったような気がします。

さて、本題の『アポロ13』ですが、遠藤さんに詳しく解説していただきありがとうございます(僕がしゃべることが無くなってしまった!)。僕も、改めてDVDを見ようと思い、大手レンタルショップに行ったのですが見つかりませんでした。もう忘れられた映画なのかなと思いながら、DVDショップを渡り歩いたところ、「3枚で3000円」の中に『アポロ13』を見つけました。残りの2枚は、目についた懐かしい映画『荒野の7人』(1961年日本公開)と『屋上のバイオリン弾き』(1971年日本公開)、ちょっと得をした気分で店を出ました。

僕に与えられたミッションは「天文学でSFを斬る」ということですが、それがちょっと難しいのです。「ミッション・インポッシブル!」、というのは、『アポロ13』はSFというよりはドキュメンタリー映画なのです。アポロ13号のクルーも「ほぼこの通りだった」ということで「天文学的に斬る」スキが見当たらないのです。

あえて、星を見る立場から指摘しようと思うと、一つありました!映画が始まって間もなく、宇宙飛行士たちのパーティがあり、ラベル船長が外の庭に出ると満月に近い月が見え、その月をラベル船長が指で隠すシーンがあります。そのとき、月の周りに小さな星がたくさん見えるのです。実際には、満月に近い月の周りに暗い星が見えることはありません。月を隠しても、大気に散乱された月の光が眩しくて暗い星が見えないのです。これは、スタジオで撮影された映画などに「よくある間違い」です。アラ探しでした。

ということで、「斬り方」に苦慮していたところ、「辛口の感想・批評でもいいのでは」という助言があったので、「塩・コショウ・唐辛子」の瓶をそばに置いて、思いつくままに感想をお話しすることにします。

何と言っても、一番印象に残っているのは、事故の後、やっと地球に戻った宇宙船が大気圏に突入し、一時通信が途絶えたときです。火の玉になった宇宙船が猛スピードで落下していく場面がありましたが、それぞれの家族やその中に愛する人が乗っている人たちには見せられない場面です。通信が途絶えるのは3分間ほど、「もし、3分後に通信が再開しなければ...」ということでしたが、3分経っても呼び掛けに応答がありません。映画なので、結末が分かっているのですが、胸が痛くなるようでした。もうダメかと思ったとき、応答があり、パラシュートを開いて海に着水する宇宙船の映像が映りました。思わず、張りつめた緊張が解け、目がうるんだ瞬間でした。映画とはいえ、この間の不安に耐える家族のことを思うと胸が痛みます。大切な人を失った経験のある人には、耐え難い時間だったでしょうね。

愛する人の生死にかかわる場面を誇張して不安を煽るのは、映画といえども良くないですよね!映画とわかっていながら、心が反応してしまう、僕の脳はなんと単純なことか!

このような場面を見ながら、いったい何のためにこんな危険をおかし、周りの人に苦しい思いをさせなければならないのか、疑問を感じるようになりました。

調べてみると、宇宙開発における事故や犠牲者は少なくないようです。よく知られているケースでは、アポロ計画の初期、アポロ1号で3人の宇宙飛行士が亡くなり、またアポロ13号の事故では3人の宇宙飛行士が犠牲になりかねない状況でした。さらに、スペースシャトル・チャレンジャーで7名、コロンビアで7名が犠牲になったことを思い出します。宇宙開発は、他の事業に比べて、非常に危険でコストのかかる事業のようですが、それがあえて実行された理由は何だったのでしょうか。

それから、僕にも興味深かったのは、マスコミの対応です。アポロ計画も13号になると、人々は興味を失い、マスコミも取り上げなくなりました。しかし、事故が起こったとたんに大ニュースになったのです。僕も、アポロ13号打上のニュースはたいして気に留めなかったのですが、事故のニュースが大きく報じられ驚きました。皮肉なことに、アポロ13号は失敗したのに「成功した失敗」と言われ、他の成功例よりも有名になりました。同僚とこのニュースについていろいろ話したことがあるのですが、ある人が冗談に、この事故は「マッチポンプだ!」と言ったのです。マッチポンプとは「マッチで自ら火事を起こし、それを自らポンプで消して注目や称賛を得ようとするような行為」です。映画を見ながら、その時の議論を思い出しましたが、これこそSF、あってはならないことですね。

ところで、この物語・映画が話題になるのは、もちろん、アポロ宇宙船に人間が乗船していたからですね。もし、無人探査機だったら、それほど話題にはならなかったかもしれません。そこで考えるのですが、科学的探査が目的なら、人間が行く必要があったでしょうか。アポロ計画の科学的成果は素晴らしいものですが、人間が行かなくても、むしろ人間が行かないほうが、より多くの成果を上げることができたのではないかと思います。

先日、7月20日は、1989年にアポロ11号が月面に着陸し、初めて人類が月に立った日でした。その日に因んで、天文台のトワイライトサロンでアポロ11号の話をしたのですが、実はその日は、1974年に無人火星探査機バイキング1号が火星に軟着陸した日でもありました。無人火星探査ロボットから送られてきた火星の映像を見たとき、アポロの月の写真以上に興味深いものがありました。今も、無人探査機が活躍していますが、将来の宇宙探査を考えるなら、無人探査機・ロボット・遠隔操作の技術を磨くことが重要だと思います。

人間を宇宙に送り出すためには、まず安全と生存を確保しなければなりません。そのために宇宙船の規模も技術開発のコストも、無人の場合に比べてはるかに大きなものとなります。アポロ計画では、科学的探査が目的なら、人が行かなければできないことはほとんどなかったでしょう。もし、あったとしてもロボットを開発すれば代わりにできることだったと思います。人間を宇宙に送る意味を考えてしまします。

アポロ計画は、様々な映像によって世界にアッピールしましたが、1枚の象徴的な写真があります。初めて月面に降り立ったアポロ11号の飛行士が、アメリカ国旗を立てた写真です。そこにアポロ計画の目的が凝集されていると思いました。

この写真を見たとき、「月に勝手に国旗を立てていいのだろうか?」、違和感がありました。そして、もし「人類にとっては偉大な飛躍」というなら、せめて国連旗でも並べて立てたらどうか、と思ったりもしました。でも、考えてみれば、ケネディ大統領が宣言したように、この星条旗を立てることこそがアポロ計画の一番の目的だったのですね。

アポロ計画の始まりをふりかえると、僕の青春時代と重なりますが、米ソが対立していた東西冷戦の時代です。当時、アメリカは、自他ともに世界の宇宙開発をリードしていると考えていたようです。そして、1957年から1958年にかけて世界各国が協力して行う国際地球観測年には、人工衛星を打ち上げて宇宙から地球を観測する計画を発表しました。しかし、アメリカが人工衛星を打ち上げる前、1957年にソ連が人工衛星スプートニク1号を打上、その後も矢継ぎ早に有人宇宙飛行、無人月探査などを成功させ、ソ連は宇宙開発においてアメリカをはるかにしのいでいることを示したのです。米国は大変なショックを受けたのですが、それがスプートニク・ショックです。僕もびっくりしました。当時、宇宙開発・ロケットの技術は、長距離ミサイルの技術そのものだったことも、ショックを大きくした理由でした。そして、ケネディ大統領は、国会で「10年以内に人間を月に送り込み」挽回をはかるという有名な演説をしてアポロ計画が始まったということです。そもそも科学・技術の発展のためではなく、最初から国威発揚・軍事ミサイル技術挽回の計画だったのです。

当時、ベトナム戦争でアメリカによる北爆が激しくなった頃で、ベトナムの悲惨な状況が告発され始めた頃でした。僕は、素朴にアメリカは民主主義・人道的な国と思っていたので、とても驚きました。一方、僕にとって、アメリカは世界の天文学をリードする憧れの国でもあったので、とても違和感を感じ、葛藤がありました。

また長くなってしまい、そろそろ終わりにします。遠藤さんが「アナログな計器だけで、月行ってたの?!」と驚いていましたが、僕も同感でした。先輩に聞いた話では、アメリカの宇宙開発では、信頼性が最も重要で、必ずしも最新の技術ではなく、実績のある信頼性の高い機器や技術が使われたということです。

技術的なことで感心したのは、実際に飛行中の宇宙船と同じもの(宇宙船のコピー)が地上基地にもあって、いろいろなシミュレーションができることです。事故の後、帰途についた宇宙船は地球にたどり着くまでに必要な電力を確保できるかどうか深刻な問題になりました。そこで、技術者が宇宙船のコピーを使ってどのように節電すればよいか、不要な機器・装置を止めてシミュレーションし、節電法を探すのです。どのように節電しても電力が不足するということでハラハラしましたが、ついに必要な電力を確保できる節電法を見つけ出したのでした。これも、アポロ計画のすごいところだと思いました。

3年ほど前に、アメリカのヒューストンにあるジョンソン宇宙センターを視察したことがあります。そこに、『アポロ13』でもたびたび登場した、アポロ宇宙船の司令室がありました。「こちらヒューストン」のコールサインでお馴染みの司令室です。フライト・ディレクターの席に座り、あたりを見回しましたが、回転ダイヤル式の電話や、古めかしいボタンスイッチや計器が並び、事務机のようなスチールデスクの引き出しを開けると当時の手書きの指令書・命令書が入っていました。なんとなくレトロな「昭和の電話交換機室」と言った風情でした。この古い指令室は、アポロ計画を記念して、当時のままの形で残してあるということでした。その近くに、今活躍中の国際宇宙ステーションの司令室がありました。そちらは、見慣れた現代的なディスプレイやデジタル機器が並んでいました。

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▲米国ヒューストン、アポロ計画司令室のフライト・ディレクター席の土佐台長。 アポロ計画を記念して、今もそのままの形で保存されています。

 

映画『アポロ13』というより、アポロ計画全体を相手にすることになってしまいました。もちろん、刃が立つ相手ではありませんが、ちょっと引っかいたり、つねったりしてみました。科学を愛する者としては「本当のことを知りたい」、「科学・技術は、人間を大切にし、平和のために、暴力や欲望を制御するために活用して欲しい」と思います。

とりあえず、ここで一息。これで「ミッション」を果たしたことにして、これからは、「斬る」ことにこだわらずにお話しできればいいなと思います。endo.jpg


 遠藤さんに続く・・・

 

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まえがき その1 

 遠藤さん、こんにちは。天文台の企画に参加いただきありがとうございます。遠藤さんにならって、僕も「まえがき その1」ということでご挨拶を。

まず、遠藤さんと映画・SFについてお話しできること、僕もとてもうれしいです。

桜井薬局セントラルホールはときどきお世話になっています。「まちなかの映画館」、存在そのものが映画のようです。映画館に入るときは、映画の登場人物になったような気持ちになります。

先日、遠藤さんの映画館で『ふたりのイームズ』を拝見しました。デザイナー・建築家のチャールズとレイ・イームズ夫妻のドキュメンタリー映画でした。実は、彼らが1968年に製作した教育映画『Powers of Ten(パワーズ・オブ・テン、10のべき乗)』は科学教育映画の傑作として知られていますが、私も大学の講義や講演でよく使いました。また、天文台の展示室にも『パワーズ・オブ・テン』を発展させた映像展示「大宇宙スケールスコープ」があります。ということで、『ふたりのイームズ』を観に行ったのですが、意外なこと、知らなかったことがたくさんあり、興味深く拝見しました。

実は、手元に昔購入した『チャールズ&レイ・イームズの世界』(1986年)というレーザー・ディスクがあるのですが、その中に、映画で紹介されていた「コマ」、「ハウス」、「おもちゃの汽車のためのトッカータ」、「パワーズ・オブ・テン」などが収められていました。残念ながら、レーザー・ディスクの再生装置は生産・メンテナンスが終了してしまい、手元のレーザー・ディスクがいつまで見られるか分からなくなりました。今のうちにということで、久々に見直してみました。

最初から脱線してしまいましたが、幼少の頃から映画が好きだったので、あいさつの代わりに、僕の映画体験を語らせていただきます(長くなりそう!)。

幼少の頃、映画は最大の娯楽でしたが、それだけでなく様々な未知の世界が経験できる、世界を広げてくれる魔法の場でした。さらに、機械・メカが好きだったので、映写機を見たり、「ジー」という映写音を聞くとわくわくしました。『ニューシネマパラダイス』の少年トトのように、映画館の映写室は憧れの場所でした。また、映画館の前では、カッコいい大型オートバイでフィルムを配送するお兄さんの姿もよく見ました。大型オートバイのメカにも魅かれてじっくり眺めたものです。

学校の教室や夏の夜の校庭でもよく映画会がありました。今では考えられませんが、小学校の校庭にラグビーのゴールのようなポールを立てて、そこに白布を張ってスクリーンにし、夜になり暗くなるのを待ってそこに映写したのです。校庭に敷いたシートの上に座ったり寝そべったりして(蚊を追い払いながら)映画を見ました。一般向けの映画会は有料でしたが、僕たちは学校の抜け穴を良く知っていたので、暗くなるのを待ってこっそり校庭に忍びこんで映画を楽しみました。風が吹くとスクリーンが揺れ、ヒロインの顔がゆがんだりして、それを見て笑ったものでした。当時、僕たちは皆貧しく、映画に出てくる生活がうらやましく見えることが多々ありました。若者のグループが、きれいな服を着て自転車で走り回るシーンが続く映画を見て「いい暮らしをしているな」と「上流社会」の生活を話し合ったりもしました。後に、この映画は今井正監督の『青い山脈』と知りました。この校庭の映画会は、雨が降ると中止になりました。天文台の天体観望会のようで、少しおかしくなりますが、確かに、当時の映画の世界は「天上の世界」のようでもありました。

映画館も繁盛し、街角では映画のポスターが一番目立ちました。天文台の企画展示で紹介した『地球最後の日』も、派手でセンセーショナルなポスターがひときわ目立っていました。

新しい映画は子供たちの間でもよく話題になりました。ガキ大将のお兄ちゃんが新しい映画を見てくると、大げさな語りやアクションを交えて、映画の場面を再現してくれるのです。僕たちはそれを一生懸命に見たり聞いたりして、その映画を見たいものだと思いました。西部劇のジョン・ウェイン、『シェーン』のアランラッド、『真昼の決闘』のゲイリー・クーパーなどが活躍した映画でした。今は昔、昭和30年代・1950年代のことでした。

少年時代を振り返ると、日常の生活が映画のように思い起こされますが、僕が西公園にあった(旧)仙台市天文台に出入りするようになったのも思いがけないことでした。当時、旧天文台には、「加藤・小坂ホール」に名前のある小坂由須人さん(2代天文台長)がいらして、子供たちの相手をしてくれました。科学や天文学を教えていただきながら、『ニューシネマパラダイス』の映写技師アルフレードと少年トトのような関係になりました。あるとき、僕が将来天文学の研究をしたいと言ったら、「天文学者になりたければ、大学に行って物理学を勉強しなさい」ということでした。それが天文学への道標となり、今の仕事につながっているようです。もし、天文台が映画館だったら、僕はトト少年のように映画の世界に進んだと思います。

何十年ぶりかで思い出したことがいろいろ出てきて、止まらなくなりました。


ということで、ここで一休み。
つづきをお楽しみに。 遠藤さん、もう少し待って下さいね。

 

sf.jpg6月まで展示室の企画展示コーナーにおいて展開されていた、今年のテーマ「うつす」にちなんだ映画特集、「天文学でSF映画を斬る!」。これは、天文台台長土佐誠と、杜の都仙台まちなか映画館 桜井薬局セントラルホールの支配人・遠藤瑞知さんが、2人が大好きなSF映画の作品を題材に、片や天文学者の観点から、片や"ミーハー映画批評家"として、好き勝手に語ってみよう、そして斬ってしまおう!というコンセプトの展示でした。

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この企画展示は終了してしまいましたが、その続きをこのweb上で公開し、最終回は毎週土曜日に開催している台長の「トワイライトサロン」で、8月に直接対決!?を試みる予定です。

企画展示では、スティーブン・スピルバーグの普及の名作「E.T.」と、1951年に製作されたアメリカ映画「地球最後の日」を取り上げました。

今回web版第1回で取り上げる作品は・・・

『アポロ13』に決定!

ではまず、遠藤さんからお願いします。

 

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まえがき その1

こんにちは、台長。"うつす"というテーマから、映画館で働いている僕が天文台の企画に参加出来る機会をいただきましたこと、本当にありがとうございます。実は、僕も高校生の頃、天文に関わる仕事をしたいと思っていたんです。

僕が高校生の頃、おぼえたてのギターで弾いていたのは、さだまさしさん。子どもたちがまん丸い目をして、話を聞いてくれて、そのあと顔をあげていろんなことを自由に創造する。そんなきっかけとなるお話ができるような、そんな大人に将来なりたいなと憧れていました。彼の歌の「童話作家」とか「天文学者になればよかった」に影響を受けてます。(ベタですね、そして古!って、ことばが聞こえてきそうですが、・・・。)よく夏の蔵王に行って、流星飛び交う星空を眺めたり、プラネタリウムの星座にまつわる神話の話にロマンを感じてました。

でも、理系というか、もう〜算数から得意じゃなくて、早々と天文学の道は断念しました。今回、こんなチャンスが巡ってくるなんて、人生はふしぎですね。夢は、諦めた瞬間に捨ててしまうものではなく、心の中に大切に留めておくとこういう偶然に出逢えるんだと思いました。

大好きな韓国映画「猟奇的な彼女」(ちょっとタイトル怖いですけど・・・)の中でも、「偶然とは、努力した人に運命が与えてくれる橋なのです」という素敵なことばがありました。僕がどんな努力をしたのかは、いささか疑問ではありますが、今回こうして天文台の企画に参加することで、夢が叶ったことに感謝いたします。

 

まえがき その2

さてさて、長い前置きでした。(^^ゞ  
まだ、前置きが続きます。

"うつす"というテーマから「映画における宇宙」で、というお題をいただきました。しかし、どうも映画の中で描かれる宇宙というと、宇宙人や隕石が襲来し、人類に危機が迫るというものが多くて・・・、困っちゃいますね。そこで、先日の企画展では優しい宇宙人が登場する「E.T」を選ばせていただきました。言葉の通じない違った文化を持つ者同士の心のふれあいと、大人に内緒で自分たちだけでミッションをやり遂げる子ども達のワクワクドキドキのファンタスティックなアドベンチャー作品でした。

今回は、憧れの宇宙飛行士やロケットが出てくる作品として「アポロ13」をとりあげてみました。当時の最新鋭の技術とそれを使う男たちの物語であり、危機をどう回避するか緊張感溢れる作品です。


『アポロ13』

1969年、僕が小学生の低学年の時、アメリカはアポロ11号で人類初の月面着陸に成功しました。何度も見せられる月面歩行の映像と「これは、一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である。」という言葉にワクワクとドキドキをしたことを覚えています。

僕らが鮮明に覚えているのはそれまでで、その後のアポロ13については記憶が抜けてました。

人類初の月面着陸から一年、1970年に打ち上げられたアポロ13号の実話に基づき製作された、1995年に作られたハリウッド映画です。1993年の「フィラディルフェア」、翌94年の「フォレスト・ガンプ/一期一会」で、2年連続アカデミー賞主演男優賞を受賞した名優トム・ハンクスが主演したことでも話題になりました。

「13」という西欧では忌み嫌われるナンバーのこの宇宙船は、急遽乗組員の変更などドタバタしながらも発射の日を迎えます。打ち上げは無事成功し、順調な飛行を続けていましたが、酸素タンクの爆発から始まった酸素の流出により事態は一変し、月面着陸はおろか、地球へ帰ることさえ危ぶまれていきます。クルー達は、船の損傷もわからないまま地球帰還の道を探りますが、狭い船内に二酸化炭素が充満したり、大気圏再突入角度の計算もコンピュータを使えず、手動制御を余儀なくされるなど次々トラブルに見舞われます。宇宙船内とヒューストンにある管制室が、知恵とチームワーク、沈着冷静な判断で乗り切り、みごと地球に生還する物語です。

この作品が公開された95年といえば、ウインドウズ95が全世界で発売され、新たな時代の到来を予感させる年でした。映画館でこの作品を見た時は、特に違和感なく鑑賞しましたが、つい数年前TVで放送されていたのを見た時には驚きました。「エエッ、こんなアナログな計器だけで、月行ってたの?!」って。(笑)

それだけ今の僕らの生活の中にパソコンやら電子機器らが入り込んでいるんですね。様々な大きさのディスプレイに囲まれて、計器もすべてデジタル表示が当たり前になっちゃっていますからね。僕らの生活も、僕らの視点も、大きく変わっていることを再確認しました。

2010年に、7年間にも及ぶ、60億キロメートルの長い宇宙の旅をして、サンプルリターンした惑星探査船「はやぶさ」の帰還がありました。

様々なトラブルに見舞われながらも諦めず地球から信号を送り、サポートし続けたスタッフの頑張りと、燃え尽きながらも貴重な資料を持ち帰った小さな探査船に日本中が沸きました。人々は、まるで"はやぶさ"を生きているものかのように賞賛し、"はやぶさ"から勇気をもらいました。あの時、そのニュースが、僕はアポロ13号と重なって見えていました。

きっと一人のヒーローが孤軍奮闘して苦難を乗り切るのではなくて、チームワークで苦難を乗り越えたという出来事と、未知なる宇宙が舞台だということがそう思わせたと思います。

太古の昔より、人は星空に夢やロマンを感じ、脅威さえ感じていました。そこに踏みいることは、"入っちゃいけない領域"への挑戦でもあるからです。

だから、失敗したはずのアポロ13号の飛行が「輝かしい失敗」として伝説として語られているのも頷けます。

空は青く美しく、その上に広がる宇宙空間は、神秘で神々しいもの。そこを目指すには、生半可な気持ちではいけません。神聖なるものに真摯に向き合い、持ち合える知恵と技術を結集して向かわなければならないのです。

しかし、映画の中では、視聴者(当時のアメリカ国民)がみんな馴れちゃって、視聴率が取れないからという理由で、各TV局が宇宙船と交信する番組をとりやめてしまいます。誰のせいだとか誰かが悪いとかいう話ではなくて、神聖なるものに対して、油断というか、過信がスキが生んでしまったということでしょう。数字の「13」が不吉な数字とかいう前に、そうした私たちの姿勢そのものに警鐘を鳴らしているようです。日々の生活においても、奢ることなく過ごしなさいとね

宇宙船の中では、生命線である少なくなった酸素と電力を維持するために、交信以外の電子機器(コンピュータ類も含め)を全てシャットダウンさせました。電力消費を抑え、帰還のチャンスを広げるための努力です。暖も取れず宇宙空間を飛ぶ船内の気温は、1~4℃しかなかったそうですから、過酷な寒さに耐えながらの帰還はまさに奇蹟です。

トラブルに見舞われた時、冷静に知恵を絞ること。我慢できるものは我慢し、耐えるという姿勢は、今を生き抜くために必要な術のように思えます。アポロ13号が飛んだ頃の日本は、まだまだ貧乏でした。それがバブルという不思議な時期を経験し、誰もが裕福になった幻想を見せられました。幻想だったと気づかされた後も、あの頃の飽食と幻想を引きずって、またそうなりたいとさえ思っている。トム・ハンクス演じるジム・ラヴェル船長がそうしたように、無いなら無いものとして、知恵を出そうという考え方は大切だと思うのです。たとえば、2011年を経験した日本人として、電力のあり方とかにも通じると思うのです。

そう思うと、劇場公開された時より、むしろ今こそ見るべき時のようなカンジさえします。あ、ちょっと違った方向に行っちゃいました?!(汗)

すぐ近い将来、お金さえ出せば、誰でも宇宙旅行に行ける時代がやってきます。こういう言葉は、似合わないのですが、宇宙旅行がカジュアルになります。でも、だからこそ私たちは、私たちを取り巻く自然や宇宙の未知なるものに畏敬の念を抱きつつ、興味を持ち、探求していかなければなりません。大人は、そのことを夢見る若者に伝えて行かなければなりません。映画化された漫画「宇宙兄弟」もあり、宇宙飛行士を目指す人が増えていると聞きます。ああ、やっぱり天文学者や天文に関わる仕事したかったなぁ。もう遅いですけどね。(笑)
台長、映画のお話はモチロンですが、天文のお話もぜひ聞いてみたいです。

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遠藤 瑞知
街なか映画館 桜井薬局セントラルホールの支配人。
NHK仙台放送局夕方の「てれまさむね」(18:10~)内
仙台の歴史ををゆる~く訪ねるお散歩コーナー「てれまさんぽ」に月イチ出演中。
次回は7月16日(火)予定。
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