台長コラム ときどき土佐日記

こうじとまことの交換日記アーカイブ

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第14回<前編> こうじ(詩人)→まこと(天文学者)へ

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まことさん、こんにちは!
 
残念ですが、今回でこの連載も最終回になります。。。
 
この時期ははじまりの季節でもあり、なにか区切りをつける季節でもあるんですよね。
 
実はまことさんとの日記のやりとりから、いろいろ書いていたものがあって、いつか発表したいと思っていたものがいくつかあります。

今回は最後ということで、少し載せようと思います。
 
なので、ちょっとまとまりがない文章になると思いますが、お許しください。
 
実は、月の詩もいくつか作ってあったのですが...。
今回はまことさんの日記を受けて「月を食べる」を載せます。
 
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月を食べる
 
ビルと教会の間にある
公園を歩きながら
月を食べてみた
いつかこの病気も治るかな
そんなことを想いながら
気がついたら
いろんなものを部屋に忘れてきた
とりあえずマフラーで
できるだけ顔を隠していこう
進まないと終りだと言われる
みんなつまらないのに
大人になれる
電話は切ったはずなのに
まだ話は終わっていない
カボチャの馬車に乗って
絵文字の月を空に置こう
ぼくのはじまりにいこう
そこでのぼくは
ちょっといい奴なんだ
 
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日記を読み返してみると、はじまったのが2010年。2年前といえば、まだそんな前じゃないのに、ずいぶん昔のようにも思えます。}

ぼくはプラネタリウムで詩を読むようになって、宇宙や星に対する興味がさらに湧いてきました。子どもの時から、感じていたことや、不思議に思っていたことを、改めて考えたというか...。

きっと、この日記を始めた時は、素朴な疑問をいろいろと訊いてみようと思っていたんだと思います。だけど、いざ書いてみるとなかなか難しい...。

いつも何度も読み返しては、直し、最終的にはなんか、物足りないものになってしまう感じがありながら、更新していました。
 
そうそう、この連載はいろいろなところで話題になりました。友人、知人はもちろん、仕事などで出会った方も、よく話題にしてくれました。

その際に言い訳がましく、上記したようなことを言うと、みんな「わかる、わかる」と言ってくれました(特に男性)。

きっと宇宙や星というのは、そんな風にみんな、興味があって、いろいろ知りたいんだけど、いざ言葉にしたり、話のテーマにすると、なんか不思議に思っていたことから、ズレていってしまうものなのかもしれません。

ぼくはこの連載のおかげで、いろんな方と星や宇宙、プラネタリウムのことなどを話すことができて、刺激的でした。まさに「宇宙を身近に」ですね。
 
それから、まことさんはすごい読書家ですよね。まことさんの中にある宇宙に触れることは、まことさんの言葉に触れることでした。
 
ぼくは、この連載の間に、文学館の作品をまとめた本、動物園の作品をまとめた本、そして、天文台で発表してきたものをまとめた本を作りました。

それは、ぼくにとって、とても充実した活動であり、仕事でした。うまく言えないのですが、なんか、いろんなことが見えてきたような気がしていたのです。

そんな中、2011年3月11日がありました。見えていたもの、触れていたもの、そして感じ、考えていたことが、今はわからなくなっています。
   
うーん、長くなってきたし、うまくまとめられなそうなので、この辺にします。すでに何度も読んで、書き直していて...。詩を載せるタイミングを見失ってしまいました。

なので、最後にもう一つだけ、詩を載せたいと思います。
 
まことさん、今まで、ありがとうございました!
 
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銀河の途中
 
携帯の待ち受けを変えるように
宇宙の模様を変えた
4つの季節がちょっと意地悪をして
ロケットを迷子にしてしまう
一日が横に広がる
今、何時かな?
雨に濡れたけど
いいよね
うん、いいよね
 
思いがけないプレゼントを
さりげなく渡すようなイメージ
今 はじめての宇宙
星屑のタトゥーを心に入れたら
バターみたいに想い出が溶けていった
もうすでにたくさん働いた
だからたくさん帰りたい
宇宙みたいにゆっくりいなくなれたら
いいな

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(3月2日) 

 

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第13回<前編> こうじ(詩人)→まこと(天文学者)

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まことさん、2012年になりました。
今年もよろしくお願いします。
 
本来なら、こうして年始の挨拶をすると気分が自然と新しくなり、気持ちを切り替ることができるのですが、どうにも今年はうまくいきません。

まことさんの日記にも書いてありましたが「2011年は終わらない」感じがあるのでしょう。
 
まことさんの日記に書いてあった「地球の時間」と「空っぽの言葉」というフレーズを、ずっと考えています。
 
震災でぼくたちが出会ってしまった時間、痛み、悲しみを想い続けること。
そして、あの時出会った時間の中で感じた、生きていること、本当の幸せ、を想い続けること。
 
いつか、ぼくたちの震災の向き合い方、ぼくたちにできることをお話したいです。
 
*
 
さて、前回に引き続き、月の話です。
 
12月のぼくの出番(ワンコイン・プラネタリウム)はまさに月食の日でした。
 
キラキラのみんなも含め、あの日はなんか、天文台全体のテンションが違っていたなぁー。
 
ぼくもとても興味があったので、天文台に残って見ていこうかなと、悩んだのですが、寒さに負けて帰りました。
 
家に帰って見ようと思ったのですが、ミルク(犬)とくっついていたら、いつの間にか寝てしまいました。
まことさんに謝ることではないのでしょうが(笑)なんか、、、すいません。
 
それにしても、月が欠けていくことを「食べる」という言葉で表すのは、面白いですよね。
これは日本ならではの表現なのでしょうか。
興味深いです...宇宙というレストラン。。。
(HPを見たら、今年のテーマはまさに「食」なんですね!)
 
今年は月と星をたくさん見たいと思っています。
 
最後に前回の続きの詩を載せます。
 

みちる月
 
落ちてくる雨と同じ数くらい
いろんな生き方があると知って
怖くなってきみに電話したのは
いつのことだったか
「これでも聴きなって」
レコードを貸してくれた
今でもよく思い出す
あのギターの音
空からこぼれるくらい
月が溢れて
きみは女性になっていった
一つあきらめるたびに
二つつながっていく言葉
歩くための灯りと靴下
ミルクと行こう
ラズもいる
サンちゃんも

(1月10日)

 

第13回<後編> まこと(天文学者)こうじ(詩人)


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こうじさん、月の詩をありがとう。

月の話題は尽きませんね。
昨年末の月食は残念でしたが、天文学の食は食物と違って、繰り返し見られますから次の機会をお楽しみに。

そういえば、1月27日(金)の夕方、日没後西の空に細い月と明るい金星とのランデブーが見られますよ。金星はマイナス4等、一等星を百個集めた明るさです。一見の価値ありです。

今年は、金環日食をはじめ、天体の食現象の多い年です。そこで、天文台の今年のテーマは「たべる」、「食」です。このウェブサイトの台長の挨拶「2012年、食を楽しむ」にいろいろな食現象を紹介しましたのでご覧下さい。

最も身近な食といえば、日食・月食ですが、古い本には日蝕・月蝕と書かれています。室町時代の古い文書にも見られるということで、日蝕・月蝕は古くからある言葉のようです。

蝕の訓読みは「むしばむ」、虫が食って形を損なう、虫くいになることを表す言葉ですが、文字の形からも想像しやすいですね。浸蝕や腐蝕という言葉がありあますが、だんだん朽ちていく感じがします。

月食のときに月が欠けていく様子は、欠け際がボヤーとしていてはっきりしないので、食べられるというよりは少しずつ浸蝕されていく感じがします。日食の方は欠け際がくっきりしていて、食べられちゃったという感じがしますね。葉を食べるとき、端からきれいに円弧状に食べる虫がいますが、その形は日食のときの欠け方を連想させますね。

英語では、月食はlunar eclipse(ルナー・エクリプス)、日食はsolar eclipse(ソーラー・エクリプス)で、食・蝕にあたる言葉はeclipseです。ギリシア語の「外へ去る」ことを意味する言葉が、ラテン語を経て覆い隠すという意味の英語になったと辞書にありました。

太陽の代わりに星が月に隠される現象は星食と言います。古い本には掩蔽(えんぺい)と記されていますが、覆い隠すこと、隠して見えなくする意味だそうです。難しい言葉で日常生活に使うことはほとんどないと思いますが、似た言葉に隠蔽がありますね。こちらは最近よく見聞きする言葉ですが、都合の悪いことを意図的に隠すようなネガティブなニュアンスが感じられます。

星食・掩蔽は英語でoccultation(オカルテーション)と言いますが、やはり蔽い隠すという意味です。オカルトに似ていますが、同じ語源のようです。

現在は「蝕」の代わりに「食」使うと辞書にありました。僕には、「食」からは食べ物や食事が思い浮かびますが、「蝕」となると、食べ物から離れて、朽ちていくような、崩れていくような、食とはずいぶん違う感じがします。

ずいぶん「食・蝕」にこだわってしまいましたが、ちょっと気になっていたので調べてみました。言葉や文字は、背後にいろいろな歴史や奥行きがあり、なるほどと思うことがありますね。時々、ふだんよく使っている言葉なのに、意味や語源が急に気になることがあります。こうじさんはいかがですか。なんとなく思いつくことを書いていたら取り止めが無くなりました。では、また。

(1月26日)

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武田こうじさんご出演のスペシャルプラネタリウムは1/14(土)19時~です!

第12回<前編> こうじ(詩人)→まこと(天文学者)

kouji.jpgまことさん、こんにちは。
月のお話、ありがとうございます。

この星の歴史に月は欠かせないものなんですね。
月がなかったら、1日の時間まで変わっていたなんて、すごすぎます。

実は先月、ぼくの誕生日があって、天文台のキラキラ(※)のみんなから望遠鏡をプレゼントしてもらいました!!!!!
もう、うれしくてうれしくて、いつも覗いています(笑)。

いつもぼくはプラネタリウムで星をみていたので、改めて空の星を観ると、いろいろな想いが浮かび、言葉を探し始めます。

さらにぼくのライブの時に、夜空の見つけかたが書いているある本をプレゼントしてもらいました。
(ほんと、キラキラのみんな、ありがとう☆)
これまた、うれしくて、いろいろな締め切りから逃避したい時に(笑)ついページをめくってしまいます。

空をみて、ページをめくり、月の詩を少しずつ書き始めています。

夕月

あれはぼくが夏の公園も
冬のドライブも知らなかった頃のこと
歌を歌う人も
野球選手も
天気予報を伝える人も
みんな年上だった
部屋にポスターが増えていく
生きている時間が遅くなっていく
夕暮れにちょこんと月が座っている
想い出になることも知らずに
誰かを好きになって
今はもう色褪せたタイトル
友だちに「ほんとうの」って言葉を使うようになった時
ぼくはもう戻れないことを知って
自分に遠慮してみたんだ

※キラキラ=天文台若手スタッフの愛称「キラキラ探検隊」のこと

(12月8日)

 

第12回<後編> まこと(天文学者)→こうじ(詩人)
makotokao.jpgこうじさん、望遠鏡を手に入れたそうですね。望遠鏡で月を見ましたか。クレーターは見えましたか。感想はいかがですか。12月10日に皆既月食がありましたね。天文台では、月食の前半はよく晴れて、とても大勢の人が集まりお祭りのようでした。こうじさんは見ましたか。

今年は月の話題で終わりそうですが、12月27日夕方の西の空で細い月が宵の明星金星に近づきます。今年最後の月と金星の出会いですが、けっこういい風景になるはずですよ。夕焼けが残る中、金星と細い月が並んだ風景はとても好きですが、ときには、なぜか少し寂しく感じるときもあります。風景が黒いシルエットになって遠のき、一日の終りを感じさせるからでしょうか。

細い月は日没後すぐに沈んでしまうのでつい見逃してしまいます。見たい時にはアラームをセットしておくといいですよ。このような月と金星の出会いは、来年5月頃まで毎月一回見られます。金星と出会う月はいつも細い月ですが、理由があります。考えてみてください。
 
「月」と言うと、天体の月だけでなく、時間の長さの「月」もありますね。月の満ち欠けの周期、ひと月は約4週間、日常生活の区切りとしては絶妙な時間の組み合わせですね。でも、一月の長さは状況によって感じ方が違います。楽しいことを待つときには「まだひと月もある」と感じ、受験生には「残りはもうひと月しかない」ということになりますね。12月に入って今年の残りがひと月を切ると、年の終わりを切実に感じます。

ひと月を12回繰り返すと1年ですが、今年はなぜか時間が止まったり、戻ったり、月が前後に入れ替わったような錯覚に陥ることがありました。物事の順番が時間の本質ですが、僕の時計は大地震と放射線の影響で狂ってしまったようです。そんなわけで、カレンダーと予定表を確認する機会が多い一年でした。

東北地方大震災は千年に一度の大地震、地球の時間の出来事でした。思いがけなくも私たちは地球の営みに立ち会ったことになります。いろいろな時間が出会った年でした。
 
この一年を振り返ると、もう一つ気になったことが言葉です。大震災に関連して、不意に何か言わなければならない場面が何度かあり、ふだんは使わない言葉を無理に使ってしまい、後で気になって辞書を引いたりしたことがありました。辞書を引く機会の多い年でした。

言葉はふだんそれほど意識せずに使いますが、口から出た後、納豆が糸を引くようにいつまでも意識から離れない言葉もあります。いつも自分が使っている言葉は気にならないけれど、借りた言葉やふだん使わない言葉は使った後いつまでも気になります。「自分の言葉」というのがあるのでしょうね。

本来、言葉は人や神様に心を伝えるものだと思うのですが、伝えるものが無い、心がこもっていない空っぽの言葉は、受け取る人がいなくて、発した人のところに戻ってくるような気がします。それを受け止め、使い方を覚え、自分の言葉にしていくのかもしれませんね。簡単な言葉でも自分の言葉になるまでには時間がかかるようです。辞書に並んでいる言葉と、人が発する言葉の違いがそこにあるのでしょうね。

「糸」と言えば「今年の漢字」の「絆」の偏になっていますね。私は使ったことがない言葉ですが、本来の意味・語源はどのようなものでしょうか。漢字の形から意味を想像するのは難しいですね。
 
この一年を振り返って何か気のきいたことを書こうと思ったのですが、収拾がつかなくなりました。すぐに思い出せないことがいろいろあります。代わりに「失われた時」という言葉が浮かんできました。「失われた時」と言えば、前にお話ししたプルーストの『失われた時を求めて』は全13冊のうちやっと第6冊を読み終える所です。読了まで時間がかかりそうです。

とりあえずここで筆を置こうと思ったのですが、まだ収まらない気がしてなりません。東北地方大地震と原発事故のことがどうしても受け止めきれずに年を越しそうです。僕にとって、2011年はいつまでも終わらないようです。

では、こうじさんお元気で。来年もよろしく。

(12月25日)


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第11回<前編> こうじ(詩人)→まこと(天文学者)

kouji.jpgまことさん、こんにちは。
ようやく秋になりましたね。
秋は好きな季節です。
毎日ミルク(犬)の散歩で公園に行くのが楽しいです。
 
詩集『チカチカ』へのお返事、ありがとうございます!
実は、詩集のタイトルを決めるのに、とても時間がかかりました。
いろんな候補があったんですよ。
シンプルに『12星座の詩』、または『プラネタリウム』。
それから『こんや』...で、散々迷った挙げ句、『チカチカ』に決めました。
 
ワンコイン・プラネタリウムで「12星座」の魅力に魅せられ、だけど、実際の星でなく、すべて「プラネタリウム」で見た星なんだよなぁー、と思い、そんな中「こんや」という詩ができて、それが自分でも気に入っていて...と、こんな感じで悩みながら、『チカチカ』にしたのは、子ども時に星を見ると「チカチカしているー」といつも言っていたからなんです。
 
街の灯りを見ても、星を見ても「どうして、チカチカしているんだろう」といつも思っていたんですよね。キラキラでもなく、ピカピカでもなく、チカチカ...。プラネタリウムに入る度に、そのことを思い出し、心に引っかかっていたので、そのタイトルにしました。
 
そして、月の歌詞の「まるいまるい」って、不思議な歌詞ですね。
ぼくもたまに歌詞を頼まれてつくったりしますが、とても「まるいまるい」みたいな感じは思いつかないですもんね。
そして、月を眺めても「まるいまるい」とは思いつかない...うーん、深いような、単純なような...これも、月のマジックなんですかね。
 
星座の詩をまとめることができたので、次は月をテーマに本を書いてみたいと思っています。
なんか、良い展開方法がないか、今度相談させてくださいね。
 
わんわん
くんくん
まるいまるいハートのかたち
ちかちかなみだやさしいな
 
(10月5日)
 

第11回<後編> まこと(天文学者)→こうじ(詩人)へ


makotokao.jpgこうじさんの次のテーマは「月」だそうですが、やはり月は秋ですね。この頃の月を見ると、月が秋の季語になっていることがよく理解できます。今年は晴天に恵まれ、中秋の名月、10月の十三夜、そしてその後の満月も楽しむことができました。10月の満月の時には、近くに木星が見え面白い風景でした。満月前後は月の光りがまぶしくて星が見えにくいのですが、明るい木星は満月の光に負けずに輝いていましたよ。この頃木星がとても明るく目立ちますが、地球に最も近い位置にあり、しばらくは木星の季節です。

お月見に限らず、四季を通じて月を見る楽しみがありますね。特に、日没後、西の空にまだ夕焼けが残る中に輝く細い月がいいですね。近くに金星が輝いていたりすると格別ですが、このような風景は月がすぐに沈んでしまうので、そのつもりで待っていないと見逃してしまいます。

ところで「月」は三日月をかたどった象形文字が起源と聞きました。月の一番の特徴は満ち欠けですが、三日月の形から「月」の文字を作ったということは、昔の人々にとっても三日月は印象深い月の姿だったんでしょうね。
 
こうじさんはまだ月を望遠鏡で見たことがないということでしたが、その後いかがですか。望遠鏡で見ると、欠け際に大小さまざまなクレーターや山脈、あるいは海と呼ばれる平地などが見えます。地球でも見られそうな風景にリアリティが感じられ、宇宙がとても身近に感じられます。私にとっては、地球と宇宙を橋渡ししてくれる存在です。ガリレオも、初めて月を望遠鏡でながめたとき「月の表面は、多くの哲学者たちが月や他の天体について主張しているような、なめらかで一様な、完全な球体なのではない。逆に起伏にとんでいて粗く、いたるところでくぼみや隆起がある。山脈や深い谷によって刻まれた地面となんの変りもない。」(ガリレオ・ガリレイ著『星界の報告』山田慶児、谷泰訳、岩波文庫)と述べていますが、私たちもガリレオを追体験することができますよ。
 
月は最も身近な天体で、古くから私たちの生活に深く浸透していますが、「もしも月がなかったら」と考えてみるとそのことがよく分かります。

たとえば、日本最古の和歌集と言われる『万葉集』。さまざまな身分の人が詠んだ歌を4500首以上も集めたものだそうですが、データベースがあったので、そこから「月」をキーワードにして抜き出してみました。すると、数えきれないほどの歌が出てきました。いかに月が古くから生活の中に浸透していたかがよく分かりました。もし、これらの歌がなかったら…。日本最古の物語とされる『竹取物語』も月なしには成り立ちませんね。『源氏物語』でも、重要な場面には月が登場し、時の流れや人の心を代弁しています。それが現代の私たちにも理解できるところが面白いですね。月は光源氏に次ぐ影の主役という感じさえします。もし月がなかったら物語はずいぶんさみしいものになったかもしれません。
 
街をあるいていても「月」の文字が目に入ります。居酒屋の看板、食べ物・飲み物の名前、商品の名前、いろいろなものがあります。「月」をさがして街を歩くと結構楽しめますよ。もし、これらが無くなったら街の風景もずいぶんさみしいものになりそうです。改めて月が登場するものを考えてみると、音楽、絵画、美術、ギリシャ神話・・・、きりがありませんね。

先日、大学の講義で「もしも月がなかったら」という話をしたら、「先生、月がなくてはこまります。私の名前がなくなります」という女子学生がいました。名前に月の文字が入っているということでした。
 
実は、私たちの日常生活だけでなく、地球の歴史や生命の進化も月の影響を大きく受けているようです。もしも月がなかったら、一日の長さは今とはずいぶん違ったものになり、もしかすると四季の変化もなかったかもしれないということです。長くなったので、詳しくは一休みした後に。

続く

(11月6日)


月が原因の自然現象といえば、まず潮の満ち干・潮汐がありますね。月の重力の効果で海水が盛り上がったりへこんだりすることによって起こります。潮汐の影響は様々ですが、地球の回転・自転運動にブレーキを掛ける効果があります。理屈は省略しますが、潮汐によって地球が変形すると、月の重力は地球の回転を止める方向に作用します。その結果、地球の自転が遅くなり、一日が長くなります。といってもその量は非常に小さく、10万年間に約1秒長くなる程度です。地球の回転が減速すると、その反作用で月の公転運動が加速され、月は少しずつ地球から遠ざかります。実際に年間数センチメートルずつ遠ざかっていることが確認されています。
 
とても微少な変化ですが、長い「地球の時間」では大きな変化になります。つまり、むかし地球の自転はもっと速く、1日はもっと短かったことになります。一説によると、地球誕生直後の1日は約6時間でしたが、月による減速で24時間になったということです。もし月がなかったら、実は太陽の影響があるので、現在の1日は約8時間ということです。一日のリズムは、生物にも自然にも様々な影響があります。もし月がなかったら生物も地球の進化もずいぶん違ったものになっていたはずです。
 
ところで、月はどのようにできたのでしょうか。天文学的には一番の関心事で、諸説ありますが、現在最も有力な説は巨大衝突説というものです。今から約50億年前、地球が誕生して間もない頃、地球の半分くらいの原始惑星が地球に衝突し、飛び散った破片が集まって月ができたとする説です。それまで説明のつかなかった様々な月の謎が、この説によって解けたのです。天文台の展示室には、コンピューターシミュレーションによる月誕生のCG動画があります。なかなか見ごたえがありますよ。
 
巨大衝突は地球の歴史にとって最大の事件で、様々な影響があったはずですが、地球の自転軸も影響を受けた可能性があります。現在、地球の自転軸は軌道面に垂直方向から約23.5°傾いていますが、一説によると巨大衝突によって傾いた可能性があります。四季の変化は自転軸が傾いていることによって起こりますが、この説によると、もし月がなかったら四季の変化もなかったことになります。
 
こんな話を聞くと、お月様がとてもありがたいものに見えてきます。そして、月が四季折々に見せる美しい姿は、誕生の時に自ら仕組んだ演出ではないかと考えたくなります。長くなってしまいましたが、月の話は尽きませんね。では、また。

(11月9日)



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第10回<前編> こうじ(詩人)→まこと(天文学者)へ

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まことさん、こんにちは。
まだ日中は暑いですね。
お元気でしたか?
 
前回のまことさんの日記、何度も読みました。
「きぼう」という言葉、何度も呟いては、考えました。
 
伊勢湾台風、知りませんでした。まさに未曾有の災害だったんですね。
自分が知らなかったことが、胸にずっと引っかかっていて...。
そのことを思うと、今回の震災もいつか風化してしまうのではないかと、複雑な気持ちになります。
 
そんなことを思っていたら、台風がまた尊い命をたくさん奪っていきました。
ほんと、次々に信じられないことが起きていきます。
 
今、この日記は9月11日に書いています。
昨日は天文台のプラネタリウムライブでした。
そして、今日はいろんなメディアで10年前の同時多発テロのことと、半年前の東日本大震災のことが取り上げられています。
「世界が変わった日」と言われています。
ぼくたちは、そんな時代に生きて、なにを感じ、考え、伝えていくのか、何度も問いかけなくてはいけないと思います。
 
半年経って、震災のことを、いろんな方と話す機会が増えました。
仕事としても関わることが増えました。
先に「風化」という言葉を書きましたが、風化することと前に進むことの違い、難しさを考えます。
 
先日、小学生たちと話をする機会がありました。
「地震、大変だったね」と言うと、ちょっと考えて「うん。だけど、いいこともあった」と言っていました。
その時のみんなの表情に、ハッとしました。
 
涙を大切に。
そして、笑顔を大切に。
 
そうそう、天文台で発表してきた詩をまとめて、詩集にすることが決まりましたよ!
タイトルは『チカチカ』です☆

(9月13日)

第10回<後編> まこと(天文学者)→こうじ(詩人)へ


makotokao.jpgこうじさん、詩集『チカチカ』おめでとうございます。楽しみにしてます。

こうじさんが日記を書いた次の夜、9月12日は中秋の名月でしたね。お月見しましたか?ボクは、お団子を食べながら、雲間の月を楽しみました。「チカチカ」と「月」でちょっと思い出したことがあります。
月を見るとすぐに聞こえてくるのが文部省唱歌の「月」です。こうじさんは歌ったことがありますか?

出た出た月が まるいまるい まんまるい 盆のような月が
隠れた雲に 黒い黒い 真っ黒い 墨のような雲に

また出た月が まるいまるい まんまるい 盆のような月が

とてもシンプルな歌ですが、なんとなく懐かしく、まん丸い月が目に浮かぶようです。隠れた月がまた顔を出すところが「いないいないばあ!」みたいで楽しいですね。子供の頃、遅くまで遊んだ帰り道、東の空に昇った大きな月を見ながらみんなで一緒に大声で歌った覚えがあります。

「出た出た」とか「まるいまるい」、「黒い黒い」、言葉の繰り返しが面白いですね。「チカチカ」も何となくいい雰囲気が伝わってきますよ。

月の歌と言えば、「月が出た出た」で始まる民謡がありますが、同じ単語でも並び方でずいぶん印象が違いますね。

娘が幼い頃、一緒に月を見ながら「出た出た月が」とよく歌いました。言葉が話せるようになると、娘は月を見ると「でたでたつきが」と指差すようになりました。月を「でたでたつきが」とおぼえたのです。しばらくして、単語を並べて話せるようになると、月を見て「でたでたつきが出た」と教えてくれるようになりました。しかし、いつからか「でたでた月が」が出ることはなくなりました。月はただの「つき」ということを知ったようです。

同じようなことをもう一つ。ぼくの家の窓の下をバスが通っていて、娘と一緒に窓から顔を出してよくバスを眺めました。窓の下は坂道で、バスはエンジンをふかしながら大きな音を出して登ってきます。バスが登って来ると負けずに大きな声で「バス来たバス来た」と叫びました。やがて娘は、どこでもバスを見ると「ばすきたばすきた」と指差すようになりました。しばらくすると、バスが来ると「ばすきたばすきた来た」と教えてくれるようになりました。しかし、いつからか「ばすきたばすきた」が来ることはなくなりました。

「でたでた月が」や「バスきたバスきた」は今頃どこにいるかな?お月見をしながら、そんなことを考えました。月を見ていろいろな思いをめぐらしている人がいるのでしょうね。こうじさんがお話をされた方も、同じ月を見ていたかもしれませんね。

だいぶ涼しくなりました。虫の声もにぎやかです。日本の昔の風習では、十五夜(中秋の名月)に月見をしたら十三夜にも月見をするものとされていたようです。今年の十三夜は10月9日、その頃は晴れることが多いので「十三夜に曇り無し」という言葉があるそうです。十三夜は月見酒にしょうかな。では、「チカヂカ、チカチカ」を楽しみにしています。

(10月1日)

 

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第9回<前編> こうじ(詩人)→まこと(天文学者)へ


kouji.jpgまことさん、こんにちは。
交換日記の再開、うれしいです。
返信、ありがとうございます!

前回のぼくの書いた日記を読み返してみると、(昨年になるんですね)ぼくは病気になり、入院して、とても動揺したことを書いています。

それは、ぼくにとって、とても大きな出来事でした。

だけど、今となっては、なんか遠い、小さな出来事のように思えます。
3月11日から、いろんなことが変わってしまいました。

ぼくも天文台に行った時に、まことさんを見かけ、安心していました。
ほんとはきちんと挨拶をして、その時にいろんなことを話したかったのですが、どこか、まことさんとはこの日記の中で、言葉を交わした方がいいかな、とも思っていました。
どうしてかはわからないのですが、きっと、心が落ち着いてからお話できたら、と思っていたのでしょう。

あの日から、5ヶ月が経ちました。
だけど、心が落ち着くことはなく、日々いろんな感情がいったりきたりしています。

さっき<いろんなことが変わってしまった>と書きましたが、ふと日常を見渡すと、なにも変わっていないような気もします。
これは、なんなのでしょう。。。

街(国)にはいろんな情報が溢れ、いろんな言葉が飛び交い、いろんなイベントが企画されています。
復興はもちろん大事ですが、どこか「元気」になれない自分がいます。
まことさんの日記にあった、「元気って、なにか根源的なもの」という言葉が心に残ります。
あの日以来、もっと根源的ななにかを考え、感じている自分がいるような気がするのです。

また、先日ある仕事で避難所に行き、そこで暮らしている方と話をする機会がありました。
その方は家が流され、今まで積み上げてきたものがすべてなくなってしまったような気がする、と言っていました。
手元にある数枚の写真を大切にしている姿を見て、過去の大切さを考えました。
過去についても、前回の日記で触れているんでよね。
その仕事では、過去の大切さをテーマに詩を書きました。

思いつくまま書いてきたら、まとまりがなく、長い日記になってきたので、これくらいにしようと思います。

日々揺らぎ、わからなくなり、すごーい元気にはなれないけど、今、とても大切な時間を生きている、と感じています。

次にお見かけした時は、声をかけますね☆

(8月11日)

 

第9回<後編>まこと(天文学者)→こうじ(詩人)へ


makotokao.jpgこうじさんへ

こうじさん、大震災の後いろいろなことがありましたね。僕の気持もこうじさんと重なる部分が多々あると思います。

大震災からまもなく半年ですが、今もなかなか希望が見いだせない困難な状況にある人も多いでしょうね。希望というといろいろ思いだすことがあったので書いてみます。

こうじさんは伊勢湾台風って聞いたことがありますか。1959年9月に紀伊半島から東海地方にかけて大きな被害を及ぼした台風です。調べてみると、犠牲者はおよそ5000人、全国で被災者数150万人を超す未曾有の大被害だったそうです。僕の住んでいた東京でも強風が吹き怖い思いをしました。当時僕は中学生で、台風の直後に京都・奈良の修学旅行がありました。東京から京都に向かう修学旅行列車(当時修学旅行専用の団体列車がありました)が名古屋に近づくと、まだ浸水している家屋や屋根が飛ばされた家など、生々しい台風の傷跡が残っていました。このような様子を見て、誰ともなく義援金を送ろうという声が上がり、急きょ車内で募金を行ないました。まだお小遣いを使う前だったので良いタイミングでした。その修学旅行列車の名前が「きぼう」でした。「修学旅行生の希望が被災者の希望につながりますように」というようなことを車内で話しあった記憶があります。

希望をひらがなで「きぼう」と書くとずいぶん印象が違うように感じますね。僕には、文脈にもよりますが「希望」の方は暗闇の中の灯のような切実な感じがしますが、「きぼう」の方は明るい中でより輝きを求めるような感じがします。こうじさんはいかがですか。

そういえば、国際宇宙ステーションの日本の実験棟の名前も「きぼう」でした。昨年、日本科学博物館協会の海外視察研修旅行で、アメリカ・ヒューストンのジョンソン宇宙センターを見学しました。その時、宇宙飛行士の若田光一さんが「きぼう」の地上模擬訓練施設を案内してくださいました。本物の「きぼう」と全く同じスケールに作られたもので、「きぼう」で働く宇宙飛行士の訓練が行われるということでした。若田さんから「きぼう」についてていねいな説明を受けましたが、若田さん自身が「きぼう」を体現しているような明るいさわやかな方でした。そのとき若田さんからいただいたワッペンには「Kibo」と書いてありました。今度天文台でお見せしますね。

もうひとつの「希望」についてもいろいろ思い浮かぶことがあるのですが、長くなってしまったので次の日記に書きますね。とりあえずひと休み!

(8月16日)


もうひとつの「希望」については、すぐに思い浮かぶのはヴィクトール・フランクルの『夜と霧』(霜山徳爾訳/新版・池田香代子訳2002年、みすず書房)やジャン・ポール・サルトルの言葉です。


フランスの哲学者・作家サルトルは、学生時代に彼の本を何冊も買いこんでその思想や哲学に近づこうとしたのですが、ぜんぜん近づけなかった片思いの「先輩」です。ノーベル文学賞の受賞を拒否したこと、女性作家・哲学者シモーヌ・ド・ボーヴォワールとの関係、1966年に彼女と共に来日したときの行動などとてもカッコいいと思ったのですが、それ以上に、なぜか彼の行動や言葉にこころ惹かれるようになりました。今になってその理由がわかるような気がするのですが、彼は失明し病に倒れ1980年に74歳で亡くなりました。彼の最後のインタビュー『いま、希望とは』で希望について次のように語っています。

「世界は醜く、不正で、希望がないように見える。といったことが、こうした世界の中で死のうとしている老人の静かな絶望さ。だがまさしく、私はこれに抵抗し、自分ではわかっているのだが、希望の中で死んでいく。ただ、この希望、これをつくり出さなければね。」(海老坂武著『サルトル―「人間」の思想の可能性―』岩波新書、174頁)

これはサルトル最晩年、彼の人生で最も困難な状況の中で発せられた言葉だと思います。僕も老人の仲間入りをして、今サルトルのこの言葉に深く共感を覚えるのですが、この言葉からすぐに思い浮かぶのは、釈迦入滅の時に絶望する弟子に残したという最後の教え「自灯明・法灯明」です。『岩波仏教辞典』によると「自らを灯明とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、真理を法灯とし、真理をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ」という教えです。サルトルは無神論者でしたが、まさに自灯明・法灯明の人だったと思います。

僕は、このようなサルトルや釈迦の言葉を、いかなる困難な状況にあっても希望を見出そうとする力が人間にはあり、希望はその人の中にある、と解釈しました。そして、それはいのちの根っこにある生命力と呼ぶべきものではないかと思ったのです。

前回の日記で、被災者へのメッセージを求められてもなかなか言葉が出なかったことをお話ししましたが、今思うことはこのような希望と生命力です。

こうじさんが過去について書かれたので、今度は未来のこと、希望について書きたくなりました。と言ったもののまた昔の話になってしまいましたね。でも、僕には現在、そして未来につながっています。「希望」、たった二文字の中にこんなにたくさんの思いを込めることができるなんて、言葉って本当に不思議ですね。ではまた、こうじさんお元気で。

(8月19日)

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第8回<前編> こうじ(詩人)→まこと(天文学者)へ

kouji.jpg
まことさん、こんにちは。
 
この連載はなんとなく締め切りがあって、それはぼくのワンコインプラネタリウムの開催日(毎月第2土曜日)までに書くというものなんですが、今回はぼくが体調を崩してしまい、入院するということになり、連載も書けなくなり、ワンコインプラネタリウムも休んでしまいました。ワンコインプラネタリウムは12星座のリーディングなので、ぼくにとって毎月プラネタリウムに行くというのは、とても大切なことだったのですが、それに穴をあけてしまうなんて、とても残念です。なにより、突然のことだったので、アナウンスが間に合わず、当日来ていただいたお客さんもいたとのことで、本当に申し訳なく思っています。
 
今は退院して、自宅で休んでいます。今年の年末は静かに過ごしています。
 

 
前回のまことさんの日記を読み返してみると、LPの話からはじまり(ぼくも結構持っています。やはり同じタイトルのCDも)、過去についての話がありますね。確かに、過去にこだわっていると、とても後ろ向きに思われてしまいます。でも、まことさんの日記を読んで、やはり過去に対してのアプローチは大切なことだと思いました。宇宙や星のことは、未来の話のように思うけれど、やはり過去につながっていて、しかもまだ解き明かされていないことがたくさんある...未来は過去を解き明かしていくことによって、作られていくと思うと、今見えている星たちがとても大切なことを伝えているように思えてきて、なんだか感動してしまいます。
 

 
プルーストの『失われた時を求めて』の話。「プルースト友」っていいですね!ぼくも学生時代とても苦戦しながら、読みました。正直、理解できなくて、何度も挫折しかけました。でも、文学を語り合える友達と張り合って読んでいたので、なんとか読みました。あの時、ぼくはその友達に「この本はわからない、難しい」といえる勇気がありませんでした。そして、この本を完成させることのできたプルーストに圧倒されました。『失われた時を求めて』なんと素晴らしいタイトルなんでしょう。今、読み返してみたら、どう感じるか、ぼくもこの冬は時間があるので、挑戦してみようかな...。あっ、サルトルの自伝のことは知りませんでした。これも早速手に入れたいと思います。
 

 
年が明けたら、「望遠鏡で月をみる会」をお願いします。この日記と12星座はぼくの大切な連載ですが、やはり月も忘れるわけにはいきません。月の連載も考えたいです。
 
最後にクリスマスの詩を載せたいと思います。
 
まことさん、今年はいろいろとありがとうございました!
 
そして、みんなのクリスマスが良いクリスマスになりますように☆
 
暖かい夜だけど
雪が落ちてきて
 
星は消えたけど
街は明るくて
 
大切なもの 一つ 二つと
数えれば ツリーみたいに
心 チカチカ
 
言葉にできないけど
話さなきゃ
 
マフラーをまいて
明日 ほんとの気持ち
そっといなくなる
 
***

(12月24日)
 
第8回<後編> まこと(天文学者)→こうじ(詩人)へ
 
makotokao.jpg こうじさんへ。
 
ご無沙汰しておりました。言い訳をしていると長くなるので、長旅から帰ったと思ってください。震災後もこうじさんの元気なお顔を何回か拝見したので、まずは安心してそのままになってしまいました。

震災からもう5カ月になろうとしていますが、今でも人に会うとまず震災の話になってしまいますね。

震災後、気になることがいろいろあるのですが、そのひとつが言葉です。停電が回復してテレビが見られるようになると、どのチャンネルでも「ニッポンは強い国」、「がんばれニッポン」、「ニッポンを元気に」といった言葉が何度も繰り返されていました。以前は特に気になる言葉ではなかったのですが、何度も勢いよく繰り返されると、食べきれない大盛りのご飯を勧められたような、飲み込めない、消化しきれないものが残りました。

少し落ち着いてきた頃、「被災者へのメッセージ」を求められることが何度かありました。でも何といっていいか言葉が出てきません。無理に求められると、あいまいな言葉や、「元気・・・」と型にはまったことを言ってしまいます。口先だけの空しいことを言ってしまったようで落ち着きません。遠くの山を眺めたり、雲を見上げながら後味を噛みしめることがありました。

惻隠(そくいん)の情を自分の心に近い言葉で表したいと思うのですが、なかなか思うようにできません。言葉って難しい、そんな思いが続いています。こうじさんは、震災後もいろいろな活動をされていましたが、いかがですか。
 
震災で市内の本屋さんが何軒か閉じられてしまい悲しい思いをしました。先日再開した本屋さんをのぞいたら、森毅著『元気がなくてもええやんか』(青土社)が目にとまりました。著者の森先生は数学者ですが、エッセイやテレビでもおなじみです。表紙の文字から「・・・ええやんか」という森先生の声が聞こえるようで、なんとなく心が軽くなって少し元気が出る思いがしました。昨年亡くなられましたが、独特の語り口と風貌が目に浮かびます。

今日はここまで。では、こうじさんお元気で。アッ、「元気」って言っちゃった。気にしないで下さい、と言ったものの気になったので「元気」を辞書で引いてみました。「天地間に広がり、万物生成の根本となる精気」(『広辞苑』)とありました。「元気」って何か根源的なモノなんですね。 
 
(8月4日)

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第7回<前編> こうじ(詩人)→まこと(天文学者)へ

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まことさん、こんにちは。

「秋は、忘れていたものを思い出す季節」ほんと、そうですね。

実は今年になって、引っ越しを計画して、ちょこちょこと進めてきたのですが、あの猛暑のせいで、なかなか捗らず、ようやくこの2ヶ月くらいで片づけを再開しました。そうなるとどうしても自分の過去のものと向き合わなきゃいけなくて、それはそれで、立ち止まってしまいます。

過去を振り返るのは、僕の得意技でもあるのですが(過去にはなにかあるのではないかと、つい思ってしまうのです)、さすがにこれではいけないと思い、いろいろなものを片っ端から、捨てています。

中でも、大量のカセットテープが出てきた時は、ほんと途方にくれました。もちろん、音楽を録音したものもたくさんあるのですが、自分のラジオ番組を録音したものがたくさん出てきたのです。それは記録としてはちょっとは貴重かもしれませんが、再生する機械を持っていないので、聴くことはないと思うと、なんとも言えない気持ちになりました。

今は、ラジオの収録はもちろん、作品などもすべてデータです。わずか数年とはいえ、自分の仕事の中にもいろいろ変化していることはあるんだなぁと思いました。

カセットテープ、やっぱり捨てようかなと思っています。

今、ぼくの部屋は宇宙をひっくり返したみたいになっています。

無事に片付いたら、ぜひ、遊びにきてください。
 

 
「秋の月」と「春の月」の歌の話、おもしろいですね。歌自体の味わい方も違いますが、そもそも同じ月なのに、季節によって、違うものだと感じるのが、とても不思議です。もちろん、それは月だけじゃないけど、やはり月の存在感は別格だなとこれを書きながら、夜空を見上げ、実感しています。
 
ぼくも以前の作品の中で『月は表情を変えたりするけど もうずっとそこにいる』と書いたことがあります。その時は、表情を変えるのは月ではなく、自分、もしくは自分の心(感情)の方ではないかと、とても悩んだのを覚えています。そして、さんざん悩んだ末に、そのフレーズにしました。それは、今の自分ではなく、子供の時に月をみて思ったことをそのまま書こうと思ったからでした。

...望遠鏡で月を見たことないです。というか、こんなに連載したり、ライブに行っているのに、天文台で望遠鏡から空を見たことがありません。なので、今度ぜひ見てみたいです。いろいろ教えてください。
 
ぼくは子供の頃、自分が大人になる頃には、月に行けるようになっていると勝手に決めつけていました。それだけじゃなく、わからないことのほとんどがわかるようになっていると思い込んでいました。で、実際、大人になってみると、月に行けるどころか、すぐそばのことすらもわかっていません。これは一体どういうことなのでしょう。。。
 

 
話はちょっと変わりますが、最近ひょんなことから、JAXAの笠原さんという方と知り合いました。そして、何回かメールのやりとりをして、東京に行く用事があったので、神奈川県の相模原にある宇宙科学研究所に行って、お会いしてきました。

メールのやりとりはあったものの、初対面でしたし、宇宙科学研究所ですし、予定があったので時間はあまりないしで、かなり緊張しましたが、とても刺激的で楽しい時間でした。

最近は天文台に行ったり、この連載があったりと、ぼくの中で星や宇宙はちょっと身近なものになった気がしていたのですが、またしても、果てしない物語の入り口を見た気がして、心がフワフワしました。

でも、まことさんや笠原さんと話していると、自分が詩人という生き方を選んだことが当たり前のように思えてくるのです。どうしてか、わからないのですが...。

特別に「あかつき」から見た地球と月の映像を見せてもらいました。ぼくはこの星に住んでいて、この月のことを詩に書いているんだな、と思うと、とても、とても神秘的な気持ちになりました。
 

 
「だいちょう過敏症」の話、おもしろいですね!ぼくは「こうじ過敏症」ではないけど、飼っている犬の名前が「ミルク」なので「ミルク過敏症」かもしれません。テレビを観てて「ミルク」と聴こえたりすると、つい反応してしまいます。ミルクも時々反応します。聴こえているのかな...。

確かに、自分のことを名前で呼ぶことはないですね。(女性はそういう方いますね)でも、ぼくは「これは武田こうじかな」とか「武田こうじじゃないかな」とか考えたりはします。で、そんなことを気にしている時の仕事や活動は、ロクなことにならないことが多いです。つねにオリジナルでいることは、難しくもあるし、簡単でもあります。

あー、長くなってきてしまいました。『薔薇の名前』の話も興味深く読みました。映画は観たことがあったのですが、本は読んだことないので、読んでみたいと思います。

(11月13日)

第7回<後編> まこと(天文学者)こうじ(詩人)

makotokao.jpgこうじさん、お元気ですが。引越し計画は進みましたか。

カセットテープの話、ぼくもこうじさんと同じような経験をしています。数年前、定年を前に「古い物」を整理したら、若かりし頃の「化石・遺物」がたくさん出てきて処置に困りました。カセットテープが詰まった段ボール箱もいくつか出てきたのですが、もう一生聴くことはないだろうと思いつつ、処分保留のままです。実は、処分に困っている「大物」がもう一つあるのですが、LPレコードです。若い頃に生活費を削って買ったもので、300枚ほど残っていました。おもにクラシックとジャズですが、「名盤」となったものも多く、捨てるに捨てられず化石化しています。その後、オーディオはLPからCDに変わり、ぼくもCDを聞くようになりました。そして、少しくやしい思いをしながら、同じレコードのCDを買うことになりました。



昔の話は長くなりますが、歳をとると物だけでなく過去の記憶も蓄積し、過去と現在を行き来するのに時間がかかります。このごろ、未来志向とか、「前向きに」ということが強く言われ、過去にこだわることは嫌われますね。でも、もし現実に即して考えたり、知恵や教訓を得ようとすれば、材料は過去にしかありませんよね。

未来について考えたことを振り返ってみると、都合の良い願望であったり、根拠のない予想であったり、得体の知れない不安であったり、内容が薄かったような気がします。過去につながらない思考は虚しいようです。

こう話していると、ボクは相当「後ろ向き」のようですね。昔、手漕ぎボートで遊んだことを思い出しますが、後ろを見ながらオールを漕ぎ、時々前を振り向いて目的地を確認して進む、ぼくの人生もそんな感じがします。

☆☆

天文学も、実は過去にこだわっています。天文学の大きなテーマは「宇宙の構造と進化」の解明、宇宙はどのようにして現在のような姿になったか、言い換えれば宇宙の「自分史」を書き上げることです。様々な理論やシナリオが提案され、宇宙の過去のデータによって検証されます。歴史学や考古学のようですね。

宇宙は広いので、遠方の天体の光が到達するまでに時間がかかります。つまり、遠方に過去を見ることになります。しかし、遠方の天体は暗くなって見えにくくなるので、大きな望遠鏡が必要になります。現在、口径10mもあるような巨大な望遠鏡が宇宙を観測していますが、最初の星や銀河がどのように誕生したか、およそ100億年前の宇宙の姿をとらえつつあります。天体望遠鏡は宇宙の過去を見るタイムマシンと言えるかもしれませんね。

☆☆☆

過去の記憶から自分を再発見する、これは文学の大きなテーマですね。マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』なんかが代表的な例ですね。20世紀を代表する小説ということで、その昔、ぼくも読んでみたいと思ったのですが、最初の数ページで挫折しました。

それからずいぶん時間が経ちましたが、実は、目下『失われた時を求めて』(鈴木道彦訳、集英社、全13巻)に再度挑戦している最中です。やっと第5巻にたどり着いたところですが、ともかく5巻まで読み続けることができたのはいくつか理由があります。

一つは同行者「プルースト友」です。ちょっとしたきっかけで、読んでみようと言うことになりました。そして、時々、今どこを読んでいるかを連絡し合うことにし、もし先に進んでいたら、読む速度を遅くして相棒が追い付くのを待つことにしました。二人で旅をするようなものです。時々、一杯飲みながら話題にすることはあるのですが、普段は感想を交換したり、催促することなく、今どこにいるかだけを確認して粛々と読み進みます。忙しくてなんとなく中断しても、連絡があると、再開するという具合です。こうして、一人では読み続けられないような超長編ですが、細々ながら読み続けることができそうな気がします。
もうひとつの理由は、読みやすい新しい翻訳です。最近、新しい翻訳によって読みやすくなった古典がたくさん出版されるようになり、昔挫折した本を新訳で再挑戦しています。先日、ジャン・ポール・サルトルの自伝といわれる『言葉』(澤田 直訳、人文書院)を新訳で読んだのですが、幼少の体験が詳しく記され『失われた時を求めて』と通じるものがありました。解説によると、サルトルもプルーストを熱心に研究したということで、なるほどと思いました。

サルトルはボクが学生時代、実存主義哲学者・小説家としてたいへん人気があり、来日して講演やテレビに出演したりしました。ノーベル文学賞を辞退・拒否したり、知識人としての社会参加やパートナーのシモーヌ・ド・ボーヴォワールとの関係など、大いに関心のある人でしたが、その著作には歯が立たず、しゃぶるだけでした。今、改めてしゃぶってみると、するめのように味がしみ出てきて…、とても新鮮に感じました。

☆☆☆☆

こうじさんは、まだ望遠鏡で月を見たことないそうですね。残念…、と思ったのですが、案外そうではないかもしれません。というのは…。

もし、こうじさんが初めて望遠鏡で月を見たらどんな印象・感想を持つか、興味あるところです。もし、そのときに得たインスピレーションや感想を新鮮なうちに言葉で表したら、いい詩ができるのではないでしょうか。どんな詩ができるか勝手に楽しみにしています。天文台にいらしたとき、もし月が出ていれば小望遠鏡ですぐにお見せできます。声をかけてみてください。

街はクリスマス飾りで賑やかですね。天文台でもささやかな飾りつけをしました。寒くなりますが、お体を大切に。

(12月3日)


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第6回<前編> こうじ(詩人)→まこと(天文学者)へ

 

kouji.jpgまことさん、こんにちは。
ようやく季節が変わりましたね。
まことさんの秋はどんな感じですか?
 
先日、仕事で出会った人に、この連載を楽しみにしていると言われました!
とても嬉しかったです!
 
それにしても「とさまこと」を「うそからでたまこと」と言ってからかうとは、子どもの発想はすごいですね。まことさんの日記を読んで、子どもの頃の友だちのあだ名を思い出しました。ほんと、ぶっ飛んでいるのばかりで、どうしてそんなあだ名になったのか、今となっては謎のものもあります。中には、あだ名は思い出せても、本名が思い出せない友だちもいます(笑)。今の子どもたちって、あだ名とかつけたりするのかなぁ。。。
 
ちなみに、ぼくは「武田漢方胃腸薬」とかそんなのでした。(子どもっぽいですよねー。笑)たしかに「こうじえん」とかだったら、今の自分につながる感じで良かったんだけどなぁ。
あっ、ふと思ったのですが、ぼくは基本的に「武田」や「武田さん」と呼ばれることが多かったんですよね。最近になって「こうじさん」と呼ばれることが多くなったのですが、年齢とかに関係しているのかなぁ...。まことさんはどうでしょうか。
 
改めて考えると名前って、不思議です。ぼくは、詩の名前(タイトル)をつけることで、いつも、すごーく悩みます。そして、そんなのいらないんじゃないかって、いつも思ってしまうんです。でも、名前のない作品は、いつのまにかどこかに消えてしまいます。やはり、名前をつけて、はじめて自分と一緒にいてくれるものになるんでしょうね。でも、ほんといつもすごく、悩みます。きっと、この悩みにはなにか、詩に対する深いものがあるんだと思います。
 
星の話を聞いてても、名前のことがとても不思議に、神秘的に思えます。
 
いつも当たり前に呼んでいますが、「月」なんて、ほんとすごいと思います。
もし「月」が違う名前だったら、と思うと、きっと世界のいろんなことが変わってしまうんだろうな、と妄想してしまいます。
 
この季節、やはり月をよく見上げるので、こんな感じで、まことさんにつなぎたいと思います。
 
 
そして
ほんとのことって
どこに どれくらいあるのかな?
 
ほんのささいなうそ
ほんとのことより 好きなんだ

(10月8日)


第6回<後編> まこと(天文学者)→こうじ(詩人)へ

makotokao.jpg  こうじさん、急に秋めいてきましたね。秋というと、まずは食欲の秋、そして紅葉、芸術・音楽・読書の秋・・・。途中まで読んで放置していた本を開いたり、「枯葉」のCDを探したり・・・、秋は忘れていたものを思い出す季節ですね。

 秋は、空が高く澄みきって日没も早くなり、星が良く見えるようになるのも楽しみです。月の光も冴えてきますね。今年は10月20日が十三夜、23日が満月です。「月」は秋の季語だそうですが、秋の月と言えば、大江千里の歌が思い浮かびます。

「月見ればちぢにものこそ悲しけれ わが身ひとつの秋にはあらねど」

 幼少の頃、百人一首にあったので、意味も分からずに覚えた歌ですが、いつからか秋の月というとこの歌が浮かんでくるようになりました。

 大江千里には春の月の歌もありますね。秋の月と比べると、その対比がとても面白いのですが、次の歌です。

「照りもせずくもりもはてぬ春の夜の おぼろ月夜にしくものぞなき」

 おぼろ月夜というと、『源氏物語』に朧月夜の君が登場しますが、その名前の由来がこの歌だったのですね。

 『源氏物語』を読みながら感じたのですが、月がとても重要な役割を果たしていますね。ここぞという場面に月が登場し、そのときの情景や時の経過を表現したり、人の心情を代弁したり引き立てたり、月が活躍する場面がいくつもありますね。『源氏物語』はボクにはチョット刺激が強すぎるのですが、月の光を頼りに読むと少し穏やかに読めるような気がしました。

 ところで、こうじさんは望遠鏡で月を見たことがありますか。今から400年前、ガイレオが初めて望遠鏡を月に向けてクレーターを発見したということですが、小望遠鏡でよく見ることができますよ。

 月のクレーターはかけ際に良く見えます。かけ際は、影ができて月面の起伏がよく見えるからです。ですから、月面に影ができない満月のときはクレーターが良く見えませんが、失望しないで下さい。

 子供の頃、月のクレーターを初めて見た時、宇宙をとてもリアルに感じ、世界が広がる思いがしました。大人になって今考えることは、「この世とあの世の間には宇宙がある。手は届かないけれど、現実の世界。あの世に行く前に十分に楽しみたい!」

――――
ちょっと一休み
――――
 
 こうじさんは「こうじさん」と呼ばれることが多くなったそうですが、ボクの方は天文台で「台長」と呼ばれています。いまだになじめないのですが、来館者からも「台長って何ですか」と聞かれることがあります。

 「台長~!」と遠から高い声で呼ばれたり、「台長、ちょっとご相談が」と低い声が近づいたりすると、「ボクのことだ!」とハッとすることがあります。

 「だいちょう」はパソコンで変換すると、まず「台帳」か「大腸」が出てきます。スタッフルームで仕事をしていると、時々「アラ、台帳と合わないわ!」という総務の女性の声にドキッとすることもあります。耳の方がダイチョウ過敏症のようです。

 実は、「まことさん」と呼ばれることがときどきあります。こうじさんから「日記」が返ってきたとき、広報担当の若い女性スタッフから「まことさん、こうじさんから返事がきましたよ!」と教えられます。うれしい瞬間です。

 呼び名・名前で不思議に思うのは、名前を呼ばれたときは、「私だ!」と強く意識するのですが、独りで自分のことを考えるとき、自分の名前を意識することはほとんどないような気がします。「私は私」で、「私はまこと」と考えることはほとんどないようです。自分で自分の名前を呼ぶときがあるとすれば、どんなときでしょうか。

 名前にはいろいろ面白いことや不思議なことがありますね。本の名前もいろいろですが、「名前」で面白かったのは、ウンベルト・エコーの長編小説『薔薇の名前』(河島英明訳、東京創元社)です。

 舞台は中世北イタリアの僧院、謎の連続殺人事件が発生し、そこを訪れたウィリアム修道士が秘密を解き明かしていきます。後に弟子のアドソが回想して記した形になっていますが、様々な物語が展開します。

 この本で面白いのは、この僧院には立派な図書館(「キリスト教世界最大の文書館」)があり様々な本が登場します。「本の本」のようですが、最後に、火災のため全て焼失してしまいます。ウィリアム修道士もボクも大変落胆してしまいました。
それから、ウィリアム修道士がアストロラーベを使って天体観測をしたり、渾天儀(天球儀)が凶器として使われたり、レンズ(眼鏡)の話など、天文学や科学史的にも興味深い場面があります。

 この物語は世界的にベストセラーになったそうですが、同じ題名で映画化され、ショーン・コネリーがウィリアム修道士に扮して好演しています。図書館の火災で焼死したと思われたウィリアム修道士が弟子アドソの前に煤にまみれた姿を現します。弟子アドソが駆け寄ると、焼け焦げた僧衣の下から数冊の本が落下するのです。感動的な場面でした。

 ところで、この本の題名がなぜ「薔薇の名前」なのかよく分からないのですが、いろいろな解釈や議論があるようです。最後は次のような謎めいた言葉で終わります。

「過ぎにし薔薇はただ名前のみ、虚しきその名が今に残れり。」

少し長くなりました。ボクもここで終りにします。

(10月20日)

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第5回<前編> こうじ(詩人)→まこと(天文学者)へ

 

kouji.jpgまことさん、こんにちはー。
もう9月なのに、全然秋の気配がしない...。今年の残暑は厳しいですねー。
 
日記の更新、ありがとうございます。確かに、わからないもの、確認できないものは、すべてUFOということになって、イコール宇宙人の乗り物になってしまいますね。ぼくが見たのは、中3の時だったのですが、やはり、その時も「宇宙人が乗っている!」と決めつけてしまいました。(前回天文台に行った時、みなさんに話したのですが、あれは信じていない目でした)
 
USOの話ははじめてでした。それこそ、そうしたミステリーは世界中にあって、人々を惹き付けて止まないですよね。ぼくも、テレビで怪談ものとか怪奇現象みたいなものとかやっていると、ついつい見てしまいます。そして、夢中になってしまいます...。
 
最近、詩をつくる仕事を依頼されて、よく考えるのは、嘘とかほんとってなんだろう、ってことです。基本的に、嘘をつくのは良くないことで、人は相手にほんとのことを言ってほしいと思っています。詩もきっとそうで、ほんとのことを書いてほしいと望まれていると思います。でも、そこで、考えるわけです。ほんとのことってなんだろう、と...。
 
よく小学校に行って、ワークショップをするのですが、なかなか書けない子供がいると、「思いっきり、嘘を書こう」って言うと、すごい盛り上がるんですよね。そして、その言葉の中に、その子のほんとの気持ちがあるような気がしてくるのです。
 
そうそう、まことさんの日記にあった「雲は天才」という言葉、素敵ですね!これは、もうそのまま詩のタイトルになりますね!
今年の夏は、暑すぎて、何もすることができず、空ばかりずっと眺めていて、かなりサボり気味でした。雲の動きって、見ていて、ほんと飽きないです。ぼくは一緒に暮らしている犬の毛が、白いので、空を見ていると、雲がだんだん犬に見えてきて、空を散歩しているような気がしてくるのです。
 
「雲は天才」
 
雲は言葉みたいだ
なにも話さないけど
携帯も使わないけど
言葉みたいだ
いろいろおしゃべりしている
 
雲はひとりぼっちだ
雨とも仲好しだし
時々虹とも遊んでいるし
UFOともかくれんぼしているけど
なんか ひとりで
プカプカしている
 
雲になりたい
すごいなりたい
そんなことを思いながら
暑い夏の日に
滑り台にあがって
林檎をかじった

(9月4日) 

第5回<後編> まこと(天文学者)→こうじ(詩人)へ

makotokao.jpgこうじさん、お元気ですか。ボクの方は、なんとか猛暑の夏を乗り切れたようです。

こうじさんの経験、小学生とのワークショップで「思いっきり、嘘を書こう」という話、面白いですね。「その言葉(嘘)の中に、その子のほんとの気持ちがある」、まさに「嘘からでたまこと」ですね。

学生時代、「とさまことです」と自己紹介すると、よく「嘘から出たまこと」とからかわれたことを思い出しました。冗談でも、ちょっと気になる言葉でした。嘘と言う言葉に何となくネガティブな感じがしたからです。

でも、ほんとうに「嘘とかほんとってなんだろう」と考えてしまいますね。そこで、「嘘」を辞書で引いてみました。ところで、今気がついたのですが、手元にある辞書はなんと「こうじえん」。こうじさんの名前、もしかして「辞書からでたこうじ」、言葉で仕事をする人にふさわしい名前ですね。

辞書には「真実ではないこと」とか「正しくないこと」などとありました。でも、「嘘を言う」とか「嘘をつく」という風に使うと、何となく事実ではないことを自覚している、意図・意志があるように感じますね。だから、嘘を重ねると、隠れていた真意・真実が自ずから現れてくるような気がします。

そういえば、幼少の頃、親に隠し事をして、言い訳に嘘を重ねているうちに、無意識に隠し事をしゃべってしまったことがありました。

「事実ではないこと」となると、フィクション・物語のように想像力によって創造されたものも含まれますが、これは嘘とは言いたくないですね。

科学の世界でも、「事実と違っていた」という意味では嘘がたくさんはあります。科学は未知の自然を解明しようとするものですから、無知や思い込み、あるいは不適切な研究方法などによって、科学者はしばしば間違いを犯します。そこで、観測や実験によって検証し、間違いを修正しながら真実に近づこうとします。これが科学の精神ですね。

でも、最近、実験データの捏造など、悪質な嘘のニュースがありましたね。激しい競争や成果主義など、短期間に研究成果を上げなければならないような強い圧力のもとでおこりましたね。そのような圧力が科学の精神を押しつぶしてしまいます。大発見には要注意です。

 嘘にもイロイロありますが、心の緊張を解いたり、ユーモアに富んだ楽しいウソ(ホラとも言いますね)は大好きです。そこで思い出したのが、河合隼雄さんの『ウソツキクラブ短信』河合隼雄,大牟田雄三(共著)、講談社1995年です。先年亡くなられた有名な心理学者・心理療法家の河合さんですが、日本ウソツキクラブ会長ということです。河合さんは(まじめな!)心理学や心理療法の本をたくさん書かれていますが、その河合さんの「ウソの本」ということで興味がありました。

この本を読んでいると、何がホントかウソか分からなくなるのですが、そこが面白い。例えば、この本の共著者の名前を見ると大牟田雄三(おおむだ ゆうぞう)、何か怪しい気がします。何かウラがあるような気がして、表紙カバーの裏を見ると、国際ウソツキクラブ会長の言葉が紹介されていました。「Believe it or not, the truth lies here」。何と訳すのでしょうか。「信じようと信じまいと、真実はここにある」。それとも「真実はここでウソをつく」。そして、国際ウソツキクラブ会長の名前は「ライアー」。多分、英語のスペルは「Liar」。辞書が必要ですね。

こうじさん、ところで、ウソはどこにでもありますが、「ホンモノ」はどこへ行けば見られると思いますか?

答えは、図書館か、本屋さん! 

残暑に寒い思いをさせてしまったかな? でも、これホントです。本から多くの真実を学ぶことができると思います。言葉も天才ですね!
 
(9月15日)


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 第4回<前編>こうじ(詩人)→まこと(天文学者)へ

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まことさん、こんにちは。
ほんと、今年は暑い夏ですねー。
今月になって、何回「暑い」と言ったことか...。
この暑さ、いつまで続くのでしょう。
 

詩集『バンスイ、トウソン ヲ、イマ ヨム。』読んでいただき、ありがとうございます!!!
文学館のイベントで、ずっとリーディングしてきた作品をまとめることができて、とても嬉しいです。
晩翠と藤村、二人の大先輩に話しかけるように、作品をつくり、詠み、まとめていきました。
それは、どこか時空を越えた、作業だったと思っています。
この作品を未来の詩人が、新たな言葉(表現)で、更新してくれたら、と願っています。
 
 
さて、前回のお返事、楽しく読ませていただきました。
(<宇宙をポケットに入れて>...新しい詩が書けそうです☆)
 
やはり、宇宙人に会えるのは、SFの世界だけなんですね。
 
だけど、なぜか、まことさんの日記を読むと、宇宙人に対する興味が増してきます。
 
実は、ぼく、中学生の頃、UFOを見たことがあるんです!
 
絶対にあれは、飛行機とか人工衛星ではないはず...だけど、なにかはわからない...まさに未確認飛行物体でした!
 
それからというもの、テレビなどで、UFOや宇宙人の特集があると夢中になって見ました。
ほんと、「地球人は、なぜそれほど強く宇宙人に興味を持つのでしょう」。
 
そう言えば、最近って、あまりそういう番組がないような気がします...ぼくが見ていないだけかな。
 
以前、なにかのテレビで「パイロットやNASAの人は、よくUFOを目撃している」みたい特集がありました。
ならば、宇宙のスペシャリストのまことさんは、そういうことを、どう考えているか、興味があったのです。
 
 
未知の世界はどこまでも広く、果てしない。だけど、日常の近くにいろいろな魔法があるように。
<ぼくたち以外の宇宙に暮らしている人が、ちょっと地球に寄り道しているのではないか...>
空とか見て、ふと詩が浮かんでくる時、そんなことを、たまに考えてしまいます。
 
どんなUFOだったか、今度会った時にでも、詳しく話しますね(笑)。

(8月12日) 


 

第4回<後編>まこと(天文学者)→こうじ(詩人)へ


 

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こうじさん、「残暑お見舞い・・・」と申し上げたいところですが、まだ「暑」の真っ最中ですね。若い人でも、熱中症に要注意だそうです。

宇宙人・UFO、いろいろな物語が想像できて面白いですね。UFOを低音でゆっくり発音すると夏向きの話題に聞こえます。こうじさんもUFOを目撃したことがあるそうですが、今度、その話を詳しく聞かせてください。UFOバスターになって、その正体を追求してみたいと思います。

UFOは英語のUnidentified Flying Object の頭文字をとったもので、本来の意味は正体不明の未確認飛行物体、1950年代始めにアメリカ空軍が使い始めた言葉だそうです。正体不明の飛行物体が目撃されたとき、調査しても正体が分からなかった場合にUFOとされたそうです。国籍不明の航空機やミサイルなどもUFOになるので、冷戦の時代、空軍はUFOに大いに関心があったと思われます。

どんな飛行物体でも、十分に情報があれば正体が判明しますが、情報が少ないと正体不明のUFOになってしまいます。それがいつのまにか宇宙人の乗り物を表す言葉になってしまいました。しかし、もし宇宙人の乗り物と正体が分かったら、もうUFOではありませんよね。不思議ですね。

最近は、正体がすぐには分からないもの、特に夜間の見慣れない光が目撃されると、すぐにUFOになってしまうようです。埼玉県に住む私の母が「最近、決まった時間にUFOがたくさん見える」といって見せてくれたのは、近くの飛行場に着陸する航空機の着陸灯でした。明るい光がゆっくりと下降する様子は、見慣れない人にはUFOに見えます。正体を説明すると、「なるほど!」と合点したものの、少し失望したようでした。

UFOに対して、USOと言う言葉があるのですが、こうじさんは聞いたことありますか。これはUnidentified Submerged Objectの略、未確認潜水物体で、海や湖や川などの水中にある正体不明の物体を指す言葉です。UFOが水中にもぐったらUSOになりますね。カッパやネッシーなどもUSOにはいるかもしれません。ところで、ネス湖の水面から頭を出している有名なネッシーの写真は、実は人間が作った模型だったそうです。文字通り「uso」でした。

UFOのように見えるものはいろいろありますが、よく見られる楽しいものは夕焼けの西の空を低く飛ぶ飛行機雲、珍しいものでは円盤の形をしたつるし雲・レンズ雲があります。空や雲を観察していると、とても自然のものとは思えないような面白い形に出会うことがあります。ほんとうに「雲は天才」ですね。こうじさんは面白い形の雲を見たことがありますか。

そんな風景を見ながらいろいろなことを想像するのが好きですが、やはり、宇宙人やUFOは、恣意的な目撃談や捏造された写真などより、SFやファンタジーの中で、自由にのびのびと活躍してもらうほうがいいと思います。

日頃、空を見慣れているとUFOに出会うことは少ないようですが、そうでない人にとっては、少し珍しい自然現象がUFOに見えてしまうようです。やはり、UFOは人の心を写す鏡でしょうか。

今日はここまでにします。UFOを目撃したら教えてください。

(8月26日)


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第3回<前編>こうじ(詩人)→まこと(天文学者)へ

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まことさん、こんにちは!
ぼくは、なんだか、とても忙しい7月になっています。
なので、早くも夏バテ気味です(笑)。
まことさんはお元気でしたか?

さて、いろいろと丁寧にお答えいただき、ありがとうございます!
                              とても、よくわかりました!
                              そして、とてもおもしろい!
                              何度も何度も、読み返しました。

                               いろんなことを想いました。
                               そして、いろんな言葉が浮かびました。

                                なので、今回はそんな言葉をいくつか書いてみます。
                                (メモみたいなものですが)

                                *
                                たくさんの星 たくさんという言葉も意味がないくらい たく
                                さんの星

                                *
                                名前を見つけて 名前を呼んで
                                いつの間にか その名前になって

                                *
                                輝くという言葉は エネルギーなんだ
                                真ん中って いつも アツイんだ

                                *
                                壊れた 壊れやすい 壊してしまった
                                そんな錬金術に助けられて
                                ぼくたちは夜を繰り返す

                                *
                                ここも そこも
                                星のかけら
                                あっちも こっちも
                                銀河の途中


                                さて、今回も質問したいと思います!
                                (ちょっと流れを変えて)とても、とても広い宇宙。
                                まことさん、宇宙人っているんですか?

                                (7月10日)

第3回<後編>まこと(天文学者)→こうじ(詩人)へ
 
makotokao.jpg こうじさんお元気ですか。忙しく夏バテ気味とのこと、ボクもこのところの暑さで少々しなびています。

詩集『バンスイ、トウソン ヲ、イマ ヨム。』(イーピー 風の時編集部発行)の出版おめでとう。朝日新聞の紹介記事(2010年7月11日、宮城)も読みましたよ。

早速、買って開いてみると、懐かしい詩が目に入りました。「まだあげ初めし前髪の/林檎のもとに見えしとき/前にさしたる花櫛の/花ある君と思ひけり」藤村の「初恋」です。何十年も前、中学生のときに暗記させられました。初心な少年にとっては、声に出して読むのも恥ずかしいことでしたが、内心「いつかボクにもこんなことが起こるのかな」と胸をドキドキさせたことを思い出します。「イマ」の子はこうじさんの詩を読んで胸をときめかせているのでしょうか。

こうじさんの返信・詩、楽しく読みました。宇宙をポケットに入れて持ち歩けそうですね。

言葉というと、ふだんは無意識に使っていますが、ときには強く意識させられることがありますね。文章(恋文?)を書くとき、自分の強い気持ちや意見を伝えたいとき、相手の真意が理解できないとき、などなど。

言葉で不思議に思うのは、短い一言二言で意思や気持ちが伝わることです。言葉の情報量としてはとても限られているのに、豊かな気持ちや意思が伝わる、すごく効率がいいですね。

想像するに、言葉を交す前に、聞く側・読む側の無意識の中に「伝えたいこと」がすでに用意されていて、言葉が「それ」を意識化するスイッチをオンにするのでしょうか。一言が心の深層に埋もれていた記憶やアイデアを呼び起こすこともありますよね。詩人の言葉はこのスイッチをオンにする働きが強いのでしょうね。

反対に、いくら言葉を重ねても通じないことがありますね。考え方や感じ方が違っていたり、共通の了解がないときでしょうね。

そう考えると、言葉が成り立つためには、共通の生活や歴史・文化(進化?)が必要だと思うのですがどうでしょうか。だから、宇宙人と出会ったとしても、言葉によって気持ちが通じ合ったり、理解しあうことは難しいだろうと思います。

ところで、こうじさんの質問「宇宙人っているんですか?」ですが、実は、仙台市天文台にペーパークラフトの宇宙人が勢ぞろいしています。夏の企画展「ダンボールプラネット」です。8月22日までやっていますので、「宇宙人」に会いに来てください。

話をそらせてすみません。地球以外の宇宙人については、いるかいないか全く「分かりません」。そっけない答えで申し訳ないのですが、今のところ「いる」証拠は見つかっていません。また、「いない」ことを証明することも不可能ですが、少なくとも太陽系の中にはいないようです。

宇宙人・宇宙文明の可能性については、いろいろな推測がなされていますが、有名なものに、天文学者ドレークが提案したドレークの式があります。宇宙文明が存在するためには様々な条件がそろわなければなりませんが、それぞれの条件が実現する確率を評価し、銀河系内の宇宙文明の数を推定しようとするものです。しかし、よく分かっていないことが多いので不確実な仮定をしなければなりません。その結果、悲観的な仮定に基づくとその数は1(地球人だけ)、一方、楽観的な仮定から推定すると100万にもなります。要するに「分からない」ということ。

楽観的に考えて、銀河系内に100万の知的文明があるとしても、宇宙人に出会えるかどうかは楽観できません。というのは、お隣の宇宙文明までの距離は平均すると数100光年になります。つまり、電波や光で交信するのに数100年かかり、もし、互いの姿や情報を得たとしても、それは数100年前の古いものになります。また、我々が考えうる現実的な宇宙船では、たどり着くまでに数万年はかかるでしょう。これでは交信も航行も不可能です。宇宙はそれほど広いのです。ということで、もし、銀河系内に数百万もの宇宙文明があり、「ネリリし キリリし ハララしている」宇宙人がいて「地球に仲間を欲しがった」としても、いかなる関係も結べないのです。宇宙人に出会えるのはSFの世界だけのようです。

ボクは幼少のころからSFが好きで、宇宙人にはずっと興味がありましたが、このごろふと考えるのは「地球人は、なぜそれほど強く宇宙人に興味を持つのだろうか」ということです。ボクの興味が宇宙人から地球人に移ってきましたね。

ところで、こうじさんから宇宙人の質問がありましたが、なぜ宇宙人に興味があるのですか。どんなところに興味がありますか。

長くなったので、今日はここまでにします。暑さに負けずに、お元気で。

(7月24日)

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第2回<前編> こうじ(詩人)→まこと(天文学者)へ

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 まことさん、お返事ありがとうございます!(まことさんって呼び方、失礼かもしれませんが、せっかくのタイトルなので、お許しください)ほんと、いきなりの直球ですいません。でも、この連載の中で、ぼくはどうしてもそういうことを訊きたくなっているようです。だって、実際にまことさんに会っても、そこまで大きな、直球のテーマで質問はできないですから(笑)。なので、この場を借りて、というわけです。
 
 そして、お返事に書いてあったこと、とても興味深く読みました。なんか、言葉によって<宇宙>という存在が作られっていったような気が、ぼくはするんです。<宇宙>を知り、考えた時、それを言葉にしていくうちに、ぼくたちの知る<宇宙>ができていったような気がするんです。時間があって、そこに空間があって、それを解き明かしていくうちに、次々と当てはまる言葉が生まれていく、そんな感じです。
 
 そこからより<宇宙>の解明に向うということは、ファンタジーでもあり、科学的でもあり、とてもとてもすごいことに思えます。もしかしたら、今存在している言葉だけでは説明できないものに出会えるかもしれない...そんなことを思ったりします。構造と進化、つながり...どこまで解き明かされているんでしょう?(これも簡単には説明できないとは思いますが)
 
 <宇宙>とはなにか? そして、ぼくたちとはなにか?
時間とはなにか? そして、言葉とはなにか?
神秘的でもあり、科学的でもある...。
答えはわかっているのに、答えられない...そんな感じなのかなぁ。 (6月2日)
 

第2回<後編> まこと(天文学者)→こうじ(詩人)へ

 

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 こうじさん、お返事ありがとう。ボクもこうじさんと呼ばせていただきます。今度はたくさんボールが飛んできたので、どれをキャッチしようか迷っているうちに、ボールを全部逃してしまいました。ボールを拾ってきます!

 近くに落ちたボールは「構造と進化、つながり...どこまで解き明かされているんでしょう?」。
これから時間をかけて少しずつお話したいと思いますが、今日は「宇宙の構造と進化」に関する言葉を少し紹介してみます。

 「構造と進化」、硬い言葉ですが、社会科の言葉を使うと「宇宙の地理と歴史」になるかな。宇宙を構成する最も基本的な構造をあげると、原子、星(恒星)、銀河、宇宙(全体)、つまり、原子が集まって星を作り、星が集まって銀河を作り、銀河が集まって宇宙を作っています。そして、一つの銀河には数千億の星があり、宇宙には数千億の銀河がある、これが宇宙の最も基本的な構造・地理です。人が集まって国ができ、国が集まって世界ができているようなもの。

 私たちに最も近い、地球が公転している星を太陽、太陽が属する銀河を銀河系と呼びます。天の川は銀河系を内側から見た姿、銀河系を天の川銀河と呼ぶこともあります。星を人間に置きかえると、あなたという人間は“こうじ”と呼ばれ、私という人間は“まこと”、そしてこうじとまことが属する国を日本と呼ぶようなものです(すこしくどくなりました)。

 この中で、星は特別です。水素とヘリウムを主成分とする巨大なガスの球ですが、中心で核融合反応という原子力でエネルギーが発生し、ガスが高温になって星として輝いています。星は天然の原子炉というわけです。

 星の中心部のように超高温・超高密度になると、原子がばらばらになって、原子の核(原子核)どうしが激しく衝突し、合体・融合します。原子の核が融合するので、核融合と言われるわけです。そのとき莫大なエネルギーが発生しますが、同時に原子核が融合するので、より重い複雑な元素が作られます。通常、原子核は壊れたり、合体したりすることはありません。錬金術が不可能な理由です。しかし、超高温・超高密度の星の中心は特別です。新しい元素を生みだす星は、天然の錬金術師です。

 星には、人間と同じように誕生と死、寿命があります。星間ガスが集まって星が誕生し、核融合で輝き、元素を合成し、寿命が尽きると一部のガスを放出したり、大爆発をおこしたりして、新しく合成した元素とともに星間空間に飛び散ります。このような星の誕生と死が銀河という環境の中で繰り返されているのです。これが銀河(宇宙)の最も基本的な営みです。

 これらの宇宙の構造や仕組みは、宇宙の初めからあったものではなく、宇宙の歴史の中で作られたもの、その過程を宇宙の進化と呼んでいます。

 宇宙は、137億年前、超高温・超高密度の状態から爆発的に始まり、ビッグバンと呼ばれています。最初、宇宙はとても単純で、水素とヘリウムという最も簡単な元素とほんの僅かな物質の不均一しかありませんでした。やがて、物質の不均一が重力(万有引力)で成長し、大量の物質を集めて銀河が誕生しました。およそ百億年前のこと、銀河系もそのころに誕生しました。銀河の中では星の誕生と死が繰り返され、水素・ヘリウムより重い複雑な元素が合成され、宇宙の元素の種類も量も豊かになっていきます。そして、約46億年前、銀河系の片隅で、太陽や地球が誕生しました。そのとき、昔一生を終えたいろいろな星が合成した様々な元素を取り込んで誕生したのです。そのような元素が、今私たちの体に取り込まれひと時を過ごしているわけです。「私たちは星のかけらでできている」と言うことができます。

 実は、このような宇宙のしくみや歴史を身近にビジュアルに見ることができます。仙台市天文台のプラネタリウム「天文の時間」では、現在「星ぼしをめぐる旅」という番組が投映されています。この番組では、今お話したことが、プラネタリウムの全周スクリーンに投映された迫力ある映像によって解説されます。こうじさんはごらんになりましたか?もしごらんになったら感想をお聞かせ下さい。

 (こうじさんに「宇宙って、なんなんですか?」と聞かれたとき、このプラネタリウムを見てくださいと答えればよかった!というところで、今日は筆を置きます。)(6月19日)

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kojimako3.jpg  土曜日のスペシャルプラネタリウム第1部にてPoetry Readingを開催している詩人・武田こうじさんと、天文台台長・土佐誠が交換日記をはじめます。

天文に関しての素朴な疑問を月に1回武田さんから台長に投げかけ、それに対して台長が回答をします。また、武田さんがその回答からインスピレーションを受けて作詩をしたり、さらに生じた問いかけを交換日記の形式で綴っていきます。月の前半に武田さん、後半に台長が更新する予定です。

ロマンチスト同士の初めてのウェブ上公開交換日記。一体どんな展開になるか乞うご期待!!