六分儀のご縁

 前回の日記で、仙台市天文台で開催されたシンポジウム「八分儀・六分儀―伝来とその役割」について触れましたが、そのシンポジウムに関心がありながら参加できなかった方から質問があったので少し補足します。

シンポジウムのパネラーは(五十音順・敬称略)黒須潔(仙台郷土研究会理事)、小林幹夫(タマヤ計測システム㈱参事)、西城恵一(国立科学博物館研究主幹)、塩瀬隆之(京都大学総合博物館准教授)、土佐誠(仙台市天文台台長)、中村士(帝京平成大学教授)、古荘雅生(神戸大学大学院海事科学研究科教)、そしてコーディネーターは葛西誓司(タマヤ計測システム㈱代表取締役)の皆様でした。

六分儀は1757年にイギリスで発明されてから間もなく日本に伝来したようですが、当時日本は鎖国をしていたので、六分儀が航海に活用される機会は殆どなかったようです。その代わり測量機器として独自の発展がありました。これが今回のシンポジウムの主要テーマです。そのあたりの事情は、今回パネラーとして出席された中村士さんの『江戸の天文学者 星空を翔ける』(技術評論社)に興味深く記されています。お勧めです。
 
実は、今回のシンポジウムは六分儀メーカーのタマヤ計測システム株式会社の葛西誓司社長から全国のその道の専門家に声をかけていただき実現したものです。六分儀のご縁、重ねて感謝です。このようなテーマのシンポジウムはたぶん我が国では初めてではないかと思います。私にとって貴重な経験でしたが、天文台としても画期的なイベントでした。
 
実は、今回お世話になったタマヤ計測システム株式会社の歴史も興味あるものです。資料によると、その創業は江戸時代初期(1675年)に遡るという老舗で、最初「玉屋」という屋号で眼鏡の輸入販売を始めたということです。やがて、眼鏡から計測器へと事業を拡大し、さらに海外からの輸入に頼っていた各種計測機器の国産化を成し遂げました。その中に六分儀がありましたが、資料によると、Tamayaブランドの六分儀はドイツ製と共に世界的に高く評価され世界の六分儀市場の大きなシェアーを占めたということです(B.Bauer,  The Sextant Handbook. 2nd ed. International Marine/McGraw-Hill Book 1992)。

私の手元にある「昭和7年版・玉屋商店・商品目録」には天文経緯儀が載っていました。天文経緯儀は天体の高度方位角を精密に測る機器ですが、口径8cmの望遠鏡を備え高度・方位角を1″まで読み取れる精密なものです。「我が国天文台の命を受け製作」ということで、当時の我が国の天文学の発展に貢献したものと思われます。

実は、仙台市天文台の展示倉庫にある古い測量機器の中にもいくつか「玉屋」の屋号が刻まれているものがありました。また、1950年代末から1960年代にかけて旧仙台市天文台で人工衛星の観測に活躍したセオドライト(気象経緯儀)も「玉屋」製でした。仙台市天文台も意外に古くから「玉屋・タマヤ」さんとお付き合いがあったことを発見しました。