六分儀伝来の秘密―「星の願いが…」

先日、仙台市天文台で「八分儀・六分儀―伝来とその役割」というシンポジウムが開催されました。各方面の専門家に参加いただき、興味深い話を聞くことができました。

遠洋の航海は、目印となるものがなく、方位や自分の位置を知るのに星だけが頼りです。星を測って航海をする天文航法において最も重要な観測機器が六分儀でした。1757年にイギリスで発明され、20世紀になって電波灯台やGPSが普及するまでの二世紀余り大海の船を導いてきました。この間、原理も基本的な構造も全く変わっていません。驚くべき完成度、究極のアナログ機器です。

仙台市天文台に六分儀が展示されていますが、こんなに小さくシンプルな機器が遠洋を航行する船を導いたと聞くと驚きです。現在も、非常時のために装備している船舶も多いということです。今回は、仙台市天文台の「六分儀伝来の秘話」をご紹介します。

私はかねがね六分儀を天文台に展示したいと考えていました。そんなとき、我が国唯一の六分儀メーカーであるタマヤ計測システム株式会社の葛西誓司社長が天文台を訪問されました。

葛西社長とお会いして、当然話題は六分儀になりました。葛西社長は、我が国で最初に六分儀の国産化を果たしたメーカーの責任として、六分儀の伝来とその後の発展を調べておきたい、そして皆さんに六分儀をもっと知ってほしい、ということを話されました。私は六分儀に対する関心をお話しし、大いに意気投合したわけです。

このような出会いがあって、天文台に六分儀を展示したいという思いが一層強くなったのですが、ほどなく葛西社長から天文台に六分儀を寄贈したいという申し出を頂きました。感謝感激の極みでした。

※その時の写真はこちらにあります→宇宙のひろば「六分儀(ろくぶんぎ)をいただきました!」

天文台スタッフからは「台長がもの欲しそうな顔をするから(はしたない!?)…」などとたしなめられたのですが、実は葛西社長にはもう一つの出会いがあったのです。

葛西社長が来台されたとき、プラネタリウムをご覧いただきました。投映が始まると、ろくぶんぎ座(六分儀座)が南の空に現れたのです。ろくぶんぎ座の存在をご存じなかった葛西社長は、この星座を見て大変驚き感激したということでした。もちろん私が指図したり、プラネタリウム解説者が意図していたわけではありません。ご縁としか言いようがありませんが、思いがけない発見と出会いにたいへん心を動かされたようです。

天文台長には欲しいものがたくさんあって、事あるごとに「星に願い」をかけるので、お星さまからうっとうしがられているのですが、今回は、ろくぶんぎ座の星々が葛西社長に積極的にアッピールしたようです。「もっと六分儀を知って欲しい」という「星の願い」が葛西社長の思いと重なり、社長の心を動かしたのでしょうか。天文台長は、「星の願いがかなって仙台市天文台に六分儀が展示されることになった」、と今も信じているようです。
 
ろくぶんぎ座は春の星座で17世紀にポーランドの天文学者ヘヴェリウスが設定したものです。航海用の六分儀が発明される前から天体観測用の固定された六分儀が使われていましたが、星座になったということは、当時六分儀が大変重要な観測機器であったことを示しています。

ろくぶんぎ座は目立たない星座ですが、プラネタリウムの他に展示室の「星座を見つけよう(U12)」のパネルの方の「春の星座」に見つけることができます。それから、天文台の入口を入って左手にあるサポーターボードにも大きな星図がありますので、ろくぶんぎ座を探してみてください。何か面白い発見があるかもしれません。