元祖『土佐日記』 「ある年の12月21日」

 先日、出張に出るときに駅の書店で『土佐日記(全)』(西山秀人編集、角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス)を見つけました。薄い文庫本で、すぐに読めそうだったので買って列車に乗りました。旅に出るとふだんは読まない本を読む機会があります。

まずは現代語訳を読んで、解説を読んで、ときどき原文を参照しつつ読み進んだのですが、意外に面白く一気に読んでしまいました。

 古今和歌集の編者として有名な紀貫之の作ですが、地方長官として赴任していた土佐から京都へ帰る55日間の船旅を、同行の女性を装って記した日記です。「それの年の、十二月の二十日あまり一日の日(ある年の12月21日)」から始まりますが、気がついたら今この時期なので私も感想を書いてみました。

 悪天候や海賊の心配をしながらの遅々とした船足、狭い船の中での集団生活、船酔いなど苦労の連続です。さまざまな人間模様やドタバタ劇が「諧謔に富んだ軽快な文章で記されている」ということですが、解説をたよりに読むと、駄洒落やユーモアなど面白さが伝わってきます。さらに、土佐赴任中に亡くなった子供への哀惜の念、親の悲しみが何度も繰り返され、この日記に深い奥行きを与えています。千年以上前の日記ですが、時を超えて喜びも悲しみも伝わってきます。
 
 この旅には、もう一人(?)重要な同行者がいます。それは月です。折に触れて登場し、そのときの情景や心情を代弁します。

 1月8日の日記に「今宵、月は海にぞ入る」と月が沈む情景が記され、次の歌が詠まれます。比喩が面白くスケールの大きな歌です。

 照る月の流るる見れば天の川出づる水門(みなと)は海にざりける(現代語訳:照る月が西に流れ流れて、いつか海に入っていくのを見ると、あの天の川も地上の川と同じく、流れ出る河口はこの海であったのだなあ)
 この文庫本には挿絵があって楽しく効果的ですが、このページの月の挿絵が少し気になりました。水平線に浮かぶ満月が描かれているのですが、月の模様・ウサギの姿勢を見ると、頭を上にしているので水平線に昇ったばかりの月のようです。実は、月の模様の向きは決まっていて、月が沈む時ウサギの頭は下になります。

 「宵に沈む」ということなので上弦前の月のようです。もし、本文に合わせるなら、半月より欠けた月が、輝いている部分を下にして水平線に沈む絵になります。このときウサギは頭を下にして海に飛び込むようなかたちになります。(ちょっと道草をしました。)
旅の進行とともに、月も移り変わり、時の流れを感じさせます。もうひとつだけ私の気に入った月の歌を選ぶと、17日、水面に映る月の情景を次のように読んだ歌です。
影見れば波の底なるひさかたの空漕ぎわたる我ぞわびしき(現代語訳:水に映る月影を見ると、波の底に大空が映っているが、その空を漕いで行く私は、なんとちっぽけでたよりない存在なのか)
透明な水面に浮かぶ船は宙に浮いているように見えますが、反射した月や星が水中に見えれば、宇宙に漕ぎだした心地がしたことでしょう。
 
日を追って記された日記形式で、今風に言えばブログのようです。そう思っていたら、巻末の編者の解説は「ブログとしての『土佐日記』」でした。

 『土佐日記』は高校の古文の時間に勉強したはずですが、有名な書き出しの言葉と先生の熱弁しか記憶に残っていないようです。今回、改めて読みなおしてみると、この本の「はじめに」に書かれている編者の期待通り、元祖『土佐日記』は「思っていたよりもずっと面白い」作品でした。
 
(12月21日)