台長コラム ときどき土佐日記

 昨年、仙台市天文台で日本SF作家クラブの訪問とトークショーがありました。そのときに推薦したH.G.ウェルズ著『宇宙戦争』(1898年)についての「日記」です。すこしへそ曲がりの日記だったのでここにアップするのをためらっていましたが、「(その3)は?」という声があったので、遅ればせながら書き写しました。

 『宇宙戦争』は火星人の地球侵略、地球外文明(ET)と地球人との出会い(コンタクト)の物語です。その後、火星人の存在は否定されましたが、幼少の頃にこの本に出合い、物語の自然な展開に引き込まれ夢中で読みました。

 もしETがコンタクトを求めてきたら、彼らが平和で友好的かそれとも乱暴で敵対的か、それは現実にはあり得ないと思いますが、それゆえSFとして興味があります。

 『宇宙戦争』は、その後映画で何度も取り上げられましたが、不安や恐怖が誇張されてホラー映画になりました。そこには製作者(地球人)の恐怖心や残虐性が投影されているように感じられ、後味が良くありません。一方、映画『ET』や『未知との遭遇』などでは、平和で友好的なETが登場しました。こちらは、私たちの願望が表現されているようですが、地球人の愚かさや醜さを誇張してETと対比させる手法が気になり、少し違和感が残りました。

 ところで、現実的にはETの地球訪問・恒星間の旅行は不可能に思われます。一番近い恒星からでも(そこにETがいる兆候はありませんが)、現実的なロケットによる宇宙旅行を考えると何万年という途方もない時間がかかります。SFでなければ超えられない「時間・空間の壁」です。ですから、ETの気持になって(といっても地球人の考えですが)地球に来なければならない理由を考えると、生存の地を地球に求めること以外にはないでしょう。その地球では、地球人どうしが生存をかけて争っています。すでに地球は飽和状態、宇宙人を受けいれる余地はなさそうです。とすると、地球人との衝突は避けがたいことになるでしょう。

 『宇宙戦争』の火星人(「人」と呼んでよいかどうか疑問がありますが)は徹底的に人類社会を破壊していきました。地球人の都合など一顧だにせず、その冷酷非情さは想像を絶するものがあります。しかし、地球侵略に彼らの存亡がかかっているとすれば、地球人の都合など問題ではないのでしょう。

 私たちは、残念ながら自分以外の宇宙人と出会った経験がありません。そこで、私たち人類の歴史を振り返えってみると、異民族・異文化が新天地を求めて新しい世界に進出したとき、武力に勝る「文明」が何をし、何が起こったか、歴史が教えてくれます。地球人どうしでも残酷な争いがありました。火星人だけが冷酷ではないようです。ですから、一方的に平和友好を「わけあり」の火星人や宇宙人に期待することは都合が良すぎます。「地球の水は甘いぞ」とか「地球は良い所一度はおいで」などと宇宙に向かって叫んではなりません。できるだけ目立たないようにしているのが賢明です。

 もし、ETが地球に到達できるほどの技術力を持っているとすれば、彼らの武力・破壊力は私達の想像を超えています。彼らと武力で戦うことは賢明ではありません。戦わずして平和共存あるいは生き延びる道を探すべきです。ETが地球にやってくると信じている人は、このことを考えておく必要があると思います。

 こんなことを書きながら、現実と空想が入り混じって頭が混乱してきました。いずれにしても、幸い、地球は「空間と時間の壁」に守られています。もし地球外文明があったとしても、地球に飛来することはあり得ません。

 このような話をすると、「夢がない」、「悲観的」、「後ろ向き」と批判されそうですが、私が天文学と歴史から学んだ地球外文明との出会(コンタクト)についての結論です。ここで、あらためてお断りしますが、科学的には「起こりえないと思うこと」の話ですからフィクション、これもまたSFです。とりあえず、今回のSFシリーズはこれで終わりに。(その4)はありません。