ソラリスト夏号Vol.23でも少しだけご紹介していた、富谷隕石落下当時の様子...。
今回、ちょうど落下30周年を迎える8月22日を記念して、その全貌をご紹介します!
ソラリスト誌面には載せきれず、泣く泣く断念したエピソード満載です。
************
2014年5月18日(日)、7月からはじまる富谷隕石展示に向けて、落下当時の詳しい話をうかがうべく、隕石の持ち主である、浅野さんと早坂さんを訪ねました。
「音がしたので外を見たら目の前で落ちてきた。」
そう語るのは富谷隕石の第一発見者である浅野美奈子さん。浅野家を訪ねると、浅野美奈子さんと、浅野さんの娘さん、さらに、可愛らしい子どもたちが出迎えてくださいました。浅野さんのお孫さんたちです。
ご挨拶もそこそこに、早速、浅野さんは当時の様子について話してくださいました。
「4歳になる上の娘に薬を飲ませていたら、突如"ドン!"という音が聞こえました。風の強い日だったので、物干し竿でも落ちたのかと思い、おもむろに窓の外を見ると、目の前で空から何かが落ちてきました。
不思議に思い、窓際に近づくと、風に飛ばされ縁側に落ちた娘のパジャマの上に、黒い石が乗っていました。
手に取ると、生臭くて、冷たかったんです。夏なのに冷たいなんて変だなと思いました。
実家に電話をかけてみたら、気象台に聞いてみればいいと言われたので、気象台へ電話をかけてみました。すると、そういう内容なら天文台へ問い合わせてほしいとのことだったので、天文台へ。あいにく遅い時間だったため、天文台はすでに閉まっていました。
翌日、夫に石を託し、実家が経営する会社の事務所から天文台へ電話をかけてもらいました。」
今回富谷隕石の展示を企画しているスタッフの高橋。なんと彼女がその第一報を天文台で受けたのでした。
「8月23日の午前中に電話がきました。話を聞くと、どうも隕石っぽいな、と思ったので、詳しいスタッフに電話を引き継ぎました。」と高橋は振り返ります。
電話口では浅野さんのお姉さんが「空から石が降ってきたのを見た」ということを伝えたそうです。
電話に出た当時のスタッフは、「近くをトラックが通りかかりませんでしたか?」と聞きました。
小石を積んだトラックから石が落ちてくることもあるからだそうです。
けれども、浅野家は閑静な住宅街にあり、その日もトラックなどは通りませんでした。
「降ってくるのを見なければただの石だと思った」
浅野さんがしきりに言うように、電話を受けたスタッフも、この一言が決め手となったようです。早速、その日のうちに天文台から2名のスタッフが浅野家へ向かいました。
天文台からは千田と小石川という2名のスタッフが向かいました。小石川は隕石を見たとたん、とても驚いていたそうです。
後に聞いた話では、一緒に行った千田も落ちてきた石を見てすぐに「これは隕石に違いない」と思ったそうです。それほど、富谷隕石の見た目は隕石の特徴に当てはまっていました。
一通り調査を終えた後、二人は隕石を天文台へ持ち帰りました。また、千田と小石川から連絡を受けた天文台スタッフは、すぐに東京の国立科学博物館へ連絡を入れました。
当時国立科学博物館で勤務していた、隕石の専門家である村山定男氏は、その連絡を受けるや、新幹線に飛び乗り、仙台までやってきました。
かくして、富谷隕石は発見された翌日の夕方には、専門家の手に渡りました。
「隕石はナマもの」ともいわれ、回収されたらすぐに専門家の手で科学的分析をするのが望ましいそうです。地球の外気や水などに汚染されていない状態が重要なのだとか。浅野家のみなさまの素早い連絡、当時の天文台スタッフの迅速な判断により、富谷隕石は発見からわずか26時間後という異例の速さで分析を始めることができたのです。
「音は1回だけしました。あの音がしなければ降ってくるのにも気づかなかったと思います。最初は、近所の公園から、誰か子どもがいたずらで何かを投げてきたのかと思ったんです。けれども、石を発見してからすぐに公園へ向かいましたが、そこには誰もいませんでした。」
隕石の発見当時について、浅野さんと高橋は、持参した資料を見ながらさらに当時を振り返っています。側にいる子どもたちも興味津々です。
「降ってきた時も、たまたま洗濯物が風に飛ばされてなければ、そのまま地面に落ちていて、気づかなかったかもしれません。パジャマがクッションになってくれたのではないでしょうか。音がした時も、子どもを見ながらだったので、音がしてすぐに部屋を出ず、中からその様子を見ていました。外に出ていたら、当たって危なかったかもしれませんね。石が落ちてくる時に特に音はしませんでした。」
パジャマの上に乗った隕石の写真が残されていますが、実はこのパジャマは、偶然にも風で飛ばされて縁側に落ちていたというから驚きです。浅野さんの言うように、もしパジャマがなければ、跳ね返って地面に落ちていたかもしれません。
小さい隕石ですから、地面に落ちていたら他の石に紛れてしまっていたかも!
当時浅野さんは、4歳の長女の他に、隣のベッドで寝かせていた双子の姉妹の子育て中でした。パジャマはそのお姉ちゃんのもの。
「双子だから二つの隕石がやってきたのかもしれない。」当時はそんなことも言われたそうです。
隕石だと判明してからというもの、テレビや新聞など、取材が殺到しました。
どこから調べたのか、家の電話は鳴り止まず、家の周りにはたくさんの人ですし詰め状態に。取材でたくさんのカメラに撮影されるというのに、3人のお子さんの子育て中だった浅野さんは、着替える間も、お化粧をする暇もなかったそうです。あまりの人の多さに、殺人事件でも起きたのでは?と近所であらぬ噂も立ったとか...。笑
取材はその後、およそ半年ほど続きました。
発見されてから数年間は、毎年1回TV番組でも取り上げてくれたといいます。
中には、隕石を売ってくれという電話もあったのだとか。
専門家にいわせれば、科学的価値はあっても、金銭的価値はないだろうということなのに、好きな人は手に入れたいものなんだなぁと、浅野さんは思ったそうです。
「今となっては、一生忘れられない思い出。隕石は浅野家の家宝です。宝くじが当たるなんて特別に良いことはありませんでしたが、子どもたちの自慢にはなっているようですよ。」
浅野さんは、当時を懐かしみながらそう語ってくださいました。
子どもたちの自慢になっているとのことですが、お孫さんたちは、学校で隕石の話をしても信じてもらえないのだとか。確かに写真や物がなければ中々信じられない話かもしれませんね。ぜひ天文台で実物を見て、自信を持ってみんなに自慢してもらいたいものです。
展示を企画する高橋は、「地元宮城に隕石が落ちたということを知らない人がほとんどで、それがとても残念で、なんとかして宮城で展示できないかと考え、今回の企画に至りました。」と展示開催への想いを語ります。
浅野さんも、自分の隕石は東京まで行かないと見られないので、今回宮城に帰ってくるのが嬉しく、とても楽しみなのだとか。
最後にみんなで記念撮影をし、浅野家を後にしました。
次のお宅へと移動します。もう一つの隕石の持ち主、早坂家です。
飼い犬のワンちゃんと一緒にお出迎えしてくださった早坂さん。
早速話しをうかがいましたが、当時、早坂さんは仕事中で家には居らず、落ちてきた時の音も聞いていないのだそうです。
当時、現場で調査をしたスタッフが撮影した写真には、トタン屋根の上に乗った隕石を眺める息子さんが写っており、どうやら夏休み中だった息子さんがその場に居合わせたようです。
隕石は、発見されてすぐに回収されたため、早坂さんは後日、研究のため半分に切断された石と対面しました。
「なんだか自分のものであって、自分のものでないようだ...」
(いえいえ。ちゃんと早坂さんの隕石なんですよ!)
実際に持ってみたら、小さい割に重かったそうです。
当時の資料を大切に保管されていて、一つ一つ紹介しながら当時の様子を語ってくださった早坂さん。貴重な資料のいくつかは展示のためにお借りさせていただきました。
早坂さんは、元々宇宙への興味が旺盛な方で、落下の様子について、「トタン屋根に何も後が残っていないことから、どこか別の場所に落ちてから、うちの屋根に落ちたのではないでしょうか。」と推測。話を聞いた高橋もきっとそうなのだろうと、早坂さんの推測を後押ししていました。
早坂さんとも記念撮影をして、インタビューは終了しました。
************
話を聞けば聞くほど、偶然が重なったエピソードにただただ驚くばかりです。
後から分かったことですが、富谷隕石はその質量から、「日本一小さい隕石」なんだそうですよ。なんだかとっても可愛らしいですね。
展示室では、11月3日(月・祝)まで、ケースの中でちょこんと、小さな隕石がみなさまのご来場をお待ちしております。
ぜひ、大きなエピソードを持った小さな隕石に会いに来てくださいね!
インタビューにご協力いただいた浅野家のみなさん、早坂さん、本当にありがとうございました。
~おまけ~
8月中旬、浅野家のみなさまと、早坂家のみなさまが隕石を見に天文台に遊びに来てくださいました!ご自身の隕石と30年ぶりに感動のご対面です。
<浅野家のみなさん>
<早坂家のみなさん>